満腹だ……。
「あれは、魔物か……?」
カルミナが眉をひそめてそう口にするのを聞きながら、アーレンハイトは『それ』の姿を観察する。
湖全体に広がっている部分は根のようであり、うねうねと這うように波打っている。
さらに、中央にあるツルの塊の表面にはびっしりと、葉のような、鱗のようなものが生えていた。
そしてツルの塊の最上部には、花の蕾のようなものが首を垂れている。
異様な植物だ。
「あんなものは見たことがない。闇の精霊力を感じるが……」
「悪いもんか?」
カルミナの呟きにオメガが問いかけると、彼女は首を横に振った。
「そんな感じはしないな。強い力を秘めてはいるが、眠っているような状態にあるように感じられる」
「起きたらどうなるんだ?」
「知るわけがないだろう。今初めて見たんだ。動物のように動くのか、本当にただの植物なのかすら分からん」
「ふーん。じゃ、始末しとくか?」
オメガがあっさりと言うが、カルミナは自分の意見を述べる前に、アーレンハイトの方を見て話を振ってきた。
「どうされます?」
問われて、アーレンハイトは少し考えた。
「邪悪なものや、道中こちらに襲いかかって来るものならば、そうした対処も必要かとは思いますが……魔物かどうかも分からず、ただ眠っているものを魔物らしいからと手を出すのは……」
「そうですね。下手に刺激して起こしてしまっても藪蛇ですし」
「お前らがそれで良いんならいーよ。人間に害がないなら、ツルは貰ったしな!」
オメガ的には、結局そこに行き着くらしい。
カルミナはそんな彼を無視して、話を続けた。
「ですが、再び川を堰き止められても困りますね。……アーレンハイト様。水の精霊に働きかけて、この湖の地下から、川の流れが湧き出るような形にする事は出来ますか?」
「多分、大丈夫ですよ」
無闇に精霊の力を使うことは避けたい。
が、再び川が堰き止められ、誰もそれに気づかずやがて周りに氾濫してしまえば、より困ったことになるのは明白だ。
アーレンハイトは、体の前で祈るように両手を合わせて目を閉じる。
そして、川の流れが復活して喜ぶ水の精霊と、湖の周囲を支える土の精霊に働きかけ、上を流れる川の他にもう一つ、地下から川へと繋がる地下道を作って貰った。
「これで、大丈夫でしょう」
「便利な力だよなー。それ、どうやるんだ?」
「ただの人族には行使出来ん。アーレンハイト様は、世界の始まりである光の精霊に愛された方であらせられるのだ」
「それ、前に聞いたな。魔王に狙われた理由だったっけ?」
「そうだ」
カルミナはうなずくと、エルフ軍に手ぶりで隊列を整えるように指示しつつ、言葉を重ねた。
「普通は交流を得意とする属性の精霊以外は、あまり言うことを聞いてはくれん」
「でも、カルミナも凄いんですよ。光と対を成す闇の精霊と契約しているのです。数十年に一人の逸材です」
「血筋もあるでしょう。私はダークエルフですから……」
それを口にしたカルミナの表情が陰るのを、アーレンハイトは心配になって見つめた。
「カルミナ?」
「……先に進みましょう。ここまで来れば、ダークエルフの里はすぐそこです」
すぐに笑みを見せるカルミナにうながされて、アーレンハイト達とエルフ軍は、ツルを放置したまま先に進み始めた。
※※※
「行ったか……」
川を堰き止めていたツルの崩壊。
それを遠くから眺めていた、一人の男がいた。
ダークエルフだ。
しかし猫背で貧相な体をしている。
ローブを身に纏っており、目ばかりがぎょろりと大きかった。
「全く、焦らせてくれる。……もう少しで完成だというのに、邪魔されては敵わんからな」
ダークエルフの男は、湖の中央にあるツルの塊を見つめた。
「今夜だ。この〝バイオリア〟が開花すれば、里のダークエルフどもなど……!」
フフフ、と邪悪に笑い、妄執に満ちた目をしながら、大きく両手を広げる。
「バイオリア……我が子よ。私の悲願を達成する為に、さらに力を蓄えるのだ……フフフ、フフフフフフ……!」
ひとしきり笑った後、男はそのまま、自分の住処へと戻って行った。
※※※
「満腹だ……」
ダークエルフの里で振る舞われた料理に満足したのか、オメガがお腹をさすりながら板敷の床に倒れ込む。
「礼儀がなってないぞ」
「よい、カルミナよ。シャルダークを倒してくれた恩人に、口うるさい真似をしようとは思わぬ」
「は……」
歓迎し、応対してくれている長老の言葉に、カルミナは不承不承、という様子で口を閉ざした。
エルフは歳を取るのが人族に比べて遥かに遅いため、長老も外見だけは若々しい。
「シャルダーク? ……ああ、魔王の名前だっけ」
「そうです。なぜ忘れているのですか?」
「死んだ奴に興味ないからなー。食えないし」
話題に乗りながらも、寝転んだまま頬杖をついているオメガの答えに、長老が小さく笑みを漏らす。
「奴は、この里の出でしてな。虚無の力と契約して魔王と化した奴を倒すのは……本来ならば、我らの責務でした」
「ん? って事はカルミナってアイツの知り合い?」
「……幼馴染みだ」
肯定したカルミナは、厳しく表情を引き締めていた。
「その為にアーレンハイト様の元に参じ、奴を討伐するために軍に加えていただいた。非力の身には余る地位まで賜ってな」
「将軍になったのは、カルミナの実力です」
自嘲するカルミナに、アーレンハイトは首を横に振って伝える。
実際、討伐軍の精鋭ですらカルミナには敵わないのだ。
「シャルダークとカルミナは、共に文武に長けておったのですよ。里の中では甲乙つけがたいほどに拮抗した実力の持ち主達でした。奴が虚無の力に魅入られなければ、今でも共に里の自慢であったことでしょう」
長老の呟きに、カルミナは唇を噛み締めた。
「シャルダークは、愚か者です」
「力はあるに越した事はねーが、人に害を為すような真似をしちまったら、俺サマとしちゃ倒さざるを
得ねーしなぁ」
「分かっている。出来れば私の手で始末したかったが、奴の力は強大すぎた」
「勇者殿も奴の手に掛かってしまわれた……詫びの言葉もない」
暗い長老とカルミナの二人に、オメガは起き上がって顎を掻いた。
「勇者も人間だし、死体は回収したけどな。流石に生き返らせる方法は知らねーなぁ。……あ、それでさ」
オメガは話題を変えたかったのか、縁側から見える山を指差した。
「なんかえらくエネルギーがデカいのがあの山にいるみてーだけど、何なんだ?」
それは、昼夜を問わず雷鳴を放つ暗雲の垂れ込む、峻険な山だ。
アーレンハイトが口を開く前に、カルミナがオメガの疑問に答える。
「あれはホーコー山だ。近づくなよ。あそこには凄まじい力を持つ魔獣が生息していると言われている」
「魔獣か……旨いかな?」
「やめておけ。あの山に入って行方知れずになった者は数多い。崩落しやすい脆い山でもあるしな。それにあそこの魔獣は、魔王など比較にならんぞ」
アーレンハイトを狙い、勇者を殺した魔王ですらも、ホーコー山の魔獣には手を出しあぐねていたそうだ。
近くで暴れすぎると気配を察して目覚める可能性があるので、真っ先に滅ぼされることもなく、ダークエルフの里は無事だったのだと言う。
「先ほどのツルがいた湖は、かつて魔獣が暴れた時に奴の放った〝黒き光〟によって生まれた、
「へぇー。あんだけのモンが?」
オメガの感心したような口調に、カルミナは眉をしかめた。
「如何に貴様でも、あれだけの破壊の力を受けては無事とはいかんだろう?」
「実際に見てねーからなんとも言えねーなぁ。スゲェ威力だとは思うけど」
「ならばやめておけ。先ほどの妙な植物と同じだ。下手に刺激して、目覚めさせるような真似はするな」
「ま、仕方ねーか。ちょっと食ってみたかったのになー」
名残惜しそうにもう一度山を見てから、オメガはこちらにごろんと背を向けて、すぐに寝息を立て始めた。
「寝るなら寝所へ行けばいいものを……」
「オメガ殿は面白いお方だ。魔獣を喰らうと申されるか」
「長老……面白がらないでください」
「傑物とは、往々にして他とは違うと思わせる何かを感じさせる者だ。故にしばしば凡人には理解し難い振る舞いをし、周囲を戸惑わせる。どう思われますかな? アーレンハイト様は」
「オメガ様は自由です。そして、わたくしに希望を与えて下さいました。尊敬に値する方です」
「で、ありましょうな」
眠るオメガの背中を眺め、アーレンハイトは微笑んだ。
「私には、ただの無礼としか思えぬのですが……」
納得いかなそうなカルミナに、長老は笑う。
「まだまだ、修行が足りぬの」
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