シャドーステッチ

 大学一年生の冬。結人は直太朗の専門学校の近くの喫茶店でぼんやりとコーヒーを飲んでいた。直太朗が今日は結人に会わせたい人がいるというのだ。


「……たぶんまた、女子だろうな」


 それは直太朗の学校の女子比率が高いからというのもあったが、どうも直太朗は結人に彼女をつくらせたいようだから、という予想もあった。


 たしかにもう女子と話すのに抵抗はほぼないけど、と結人はため息を吐く。人並みに恋愛する自分まではまだ結人には想像ができなかった。


「ゆいと! お待たせ」


「ああ、ナオ」


 声の方向に振り返ると、やはり女子をひとり連れて直太朗が結人のテーブルに向かってくるところだった。片手を挙げて応じると、結人は元の姿勢に戻ってコーヒーを口に運ぶ。初対面の人と話すのは、男子だって緊張するのだ。


 直太朗とその女子が結人の向かいの席に並んで座る。いかにも結人の好みの感じの美人だ。直太朗がにこにこしながら口を開いた。


「じゃあ早速紹介するけど、彼女は掛井明子さん。おれの同級生」


「こんにちは」


「どうも」


「で、こっちが霧島結人くん。おれの親友だよ」


「ふふ、知ってる」


「なんで?」


 思わず疑問が結人の口をつく。微笑むと意外と柔和な印象の明子は、直太朗を手で示した。


「古賀君が事あるごとにあなたのことを話すから」


「そうなのか、ナオ?」


「え、あー、うーん、そうかも」


 お互いのプロフィールを話し合って、これじゃ簡易合コンだな、なんて結人が考え始めた頃、直太朗が席を立った。


「おれはこのあと用事があるから先に帰るけど、ふたりはゆっくりしてね」


「おい、ナオ」


 直太朗は引き留める結人の声も虚しく、ココア代をテーブルに置いて帰ってしまう。途方に暮れたくなった結人を、明子はくすりと笑って見つめた。


「私、あなたに興味があるの――もう少しお話ししましょう?」




 なんとなくの流れで、結人はそのまま明子と付き合い始めていた。明子は美しいものが好きだと言っていて、美術館や博物館など、結人が疲れもせず夢中にもならずといったまあまあなところによくデートに誘ってきた。


 今日も冬の美術館のカフェで、ふたりは向かい合ってコーヒーを飲む。学生のうちから男にたかるのは明子の美意識に反するらしく、それぞれ別会計で買ったものだ。


「入口の彫刻の印象が強かったけれど、途中のデザイン画集のほうが私は気に入ったわ」


「そうか」


「あなたはどう? 気に入ったものは?」


 正直芸術方面にそこまで詳しいわけではない結人は明子の問いかけに苦笑する。


「素人の意見を聞いて楽しいものか?」


「あら、素人こそ最大の観客よ」


「そうかな」


「ええ」


 さっきまで見て回っていた展示を思い出していたら、結人の口から自然とため息が漏れる。結人は思わず苦笑した。明子は少しだけ心配そうな顔になる。


「無理をさせてしまっているかしら。あんまりデートスポットというわけでもないし」


「いや……そういうわけじゃない。そういうわけじゃないんだが」


 うまく言葉にできずに、結人は視線を泳がせる。言葉にできないというよりは、言葉にすることをためらっている感情なら、ある。


 どうしたものかと結人が考えていたら、明子が小さく息を吐いた。


「当ててみましょうか」


「何を?」


「あなた、私と付き合っていて楽しくないんでしょう」


「…………」


 明子のほうから言葉にされてしまって、結人は返事に窮する。やっぱりね、と明子は意外にあっさりと笑った。


「よく言われるもの。堅苦しいとか、可愛くないとか」


「可愛くないとは、思わない」


「ありがとう。でも楽しくないのは本当なのね」


「わからない。こういうものだと言われればそうなのかもしれないと思うし、そうじゃない気もする」


 明子は顔を結人に寄せた。整った顔が、少し悲しげに微笑みを浮かべる。


「私もね。思っていたことがあるの」


「なんだ?」


「きっと私たち、お互い古賀君のことが好きなんじゃないかしら。形はどうあれ、ね」

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