サテン

 時は流れ、高校三年生の冬。専門学校のパンフレットを読み込んでいた直太朗は、スマホからタイマー音が鳴りだしたのを止めて、ふう、と息を吐いてパンフレットを置き、ひとつ大きな伸びをした。


「ふわあ……休憩っと」


 ちょうど二次試験の面接対策をしていたところだった。書類選考を待っている身なので緊張してもいいところだが、直太朗は書類選考で落ちることなどちっとも心配していない。むしろ実技ではどんなお題が出て、それにどう対応しようかと想像する方が忙しいくらいだ。


 首をこきこきと横にほぐした直太朗は、そのままスマホに手を伸ばす。ロックを解除して、画像アプリを開いた。アルバムのひとつをタップして、画像を流し見る。写っている人物に思いを馳せて、直太朗は机に頬杖をついた。


「ゆいと、今頃勉強大変だろうなぁ」


 高校はもうすでにカリキュラムを終了して自由登校期間に入っている。結人は移動が寒いからとあまり学校に来ておらず、必然的に直太朗の足も遠のいて、たまの登校日に顔を合わせるくらいだ。


 つらつらとそんなことを考えながらフォルダを遡っていた直太朗の手が止まる。スポットライトに照らされて、恥ずかしそうに手を挙げている結人の写真。高校二年生の時のミスターコンだ。




 高校二年生の文化祭最終日。手芸部の片付けを他の部員たちに任せて、直太朗と結人はミスターコン控室に向かっていた。


「……なんか、実感がわかない」


 結人がぼそっと呟いた言葉に、直太朗は笑う。手にはずっしりと衣装の重みがあって、それが嬉しい。


「おれは出ないのに緊張してるよ。ゆいとって実は大物?」


「大物じゃない……単に、自分に似合わないっていうか」


「似合うと思ったからゆいとを説得したんだよ」


 直太朗が頬を膨らませると、結人ははにかむように笑んだ。


「ん……そうだな」


 その表情に見惚れそうになって、直太朗は慌てて激しく瞬きをした。結人の魅力を独り占めしないで学校中に自慢することを選んだのは直太朗で、直太朗の役目はその結人をいちばんかっこよく飾ることなのだ。しゃんとしなくては。


 控室に着いたのは二人が最後だったらしく、控室では他の参加者たちが独特の高揚した緊張感をもって準備をしているところだった。二人も「手芸部代表」と書かれた紙の貼ってあるブースに向かう。ブースと言っても簡易的な間仕切りで囲まれた小さなスペースだ。もそもそと服を緩め始めた結人の先回りをするように、直太朗は自前の鏡を置いたり衣装の皺を伸ばしたりしていく。この日のために母親に教えてもらって、メイク道具も持ってきたのだ。


「はいゆいと、次はこれ」


「ああ」


 直太朗がデザインして、哲が縫いたそうにしていたのを頼み込んで直太朗自身が縫った衣装が、結人の身にまとわれていく。そしてそれは想像していた通りに、結人をより魅力的に彩っている。


 そうそう、ゆいとはこういうところがかっこいいんだ。


 直太朗は心の中でそう呟きながら、衣装を着終わった結人にメイクを施す。結人がくすぐったそうに目を瞑った。


「もう、我慢して、ゆいと」


「慣れないことだらけだ」


「そんなこと言って、ステージ大丈夫なの?」


「それは大丈夫」


 座っている結人が、立っている直太朗を視線だけで見上げる。普段にない景色だ。そのまま結人は不敵に口角を上げた。


「栗谷の話術とナオの衣装があるんだから、俺は無敵」


「……へへ。頑張って」


「勿論」


 しっかり準備完了した結人をステージ裏に送り出して、直太朗は急いで会場の方へ向かった。哲が場所をとれそうだったらとっておいてくれる予定なのだ。人混みを歩きながらスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。


『てっちゃん、場所とれた?』


『とれたとれた。誰かが迎えに行くから近くまで来てちょ』


『やった!』


 直太朗は足を速める。観客たちが集まっているあたりに着くと、手芸部の中学一年生のひとりが待っていた。空手部と兼部している珍しい子で、たぶん大きくて人混みをかきわけやすいから迎えによこされたのだろう。


「先輩、こっちっす」


「ありがと」


 予想通りわりと強引に人混みをかきわけて着いたのは、最前から数列目くらいのかなりいい位置。直太朗が着いたのを見て、ほかの手芸部員と話していた哲が得意げに胸を張った。


「なかなかいいでしょ」


「最高だけど……片付け、大丈夫だったの?」


「みんな霧島クンの勇姿が見たくて頑張ったのさ」


 周りにいる手芸部の面々が頷く。直太朗は何故だか自分のことのように胸が熱くなるのを感じた。でもまだ早い。そう、今からその結人がパフォーマンスをするのだから。


 そうこうしているうちに舞台に照明が点く。ミスターコン開催のアナウンスと共に、候補者たちが入場してきた。直太朗の目は誰よりも早く、結人に吸い寄せられる。


 最初は一人ずつ花道を歩いていくファッションショー的な演出から始まる。思っていたより細くて高い花道に、直太朗は少し背筋が冷えるのを感じた。リハビリや慣れで遠近感はだいぶ取り戻してきたらしいが、それでも結人がうっかり落ちでもしたら洒落にならない。


 けれど結人は涼しい顔で花道を歩き、たぶん哲のアドバイスだろう、少し大げさなくらいのお辞儀をして、くるりと身を翻す。直太朗が舞台の方に戻ってくる結人を少し安堵しながら見つめていたら、目が、合った。


 結人は口元だけで小さく笑う。直太朗に気付いてくれたのだ。直太朗は頬が熱くなるのを感じて慌てて頬を手で押さえた。


 その後のパフォーマンスも結人は涼しい顔でなんなくこなしていく。なんだか結人が少し遠い世界に行ってしまったようで、でも、


「かっこいい……」


 思わず直太朗が呟いたのには、喧騒のおかげで誰も気付かなかった。




『ゆいとの「オシャレで賞」の写真。懐かしいね~』


 高校三年生の冬の日、直太朗がアルバムから写真を転送したら、結人からの既読が案外早くついた。


『いきなりどうしたんだよ……恥ずかしい』


『かっこよかったな、と思って』


『それは、どうも』




 高校三年生の春。卒業式を終え、放課後になった昼間、直太朗は哲と結人を誘って家庭科室へ向かった。手芸部の後輩たちが卒業を祝ってくれる予定なのだ。直太朗自身も、哲や結人と改めて最後の思い出作りをしたいというのもあった。


 直太朗は第一志望の手芸の専門学校の洋裁科に、結人も第一志望の市外の文系の大学に、哲は第二志望の県外の私立大学の理学部に、進学が決まっていた。一時期は悔しそうにしていた哲も、最近は一人暮らしが楽しみだと開き直って、結人と家具の話などをしたりしている。


「ご卒業おめでとうございまーす!」


 家庭科室の扉を開けたとたん部員たちの声が響いて、三人は思わず立ち止まった。「手芸部からのラブレター」の頃をふと思い出して、直太朗は目頭が熱くなる。こんなに人数が増えて、直太朗は決して最高の部長ではなかったはずなのに、それでもこんなに慕ってもらえているなんて。


「ナオ、どうした?」


「ううん……なんか、感動しちゃって」


「いやいや、まだっしょー。古賀チャン気が早いねぇ?」


 三人は声を上げて笑って、改めて家庭科室に足を踏み入れた。


 それぞれの学年から、刺繍のされたハンカチ、巾着袋、刺繍のされたネクタイ、手作りバッグ、手作りTシャツをもらった三人は、顔を見合わせる。さすがに哲も結人も、直太朗と同じようにそこまで想像していなかったようだ。三人と向かい合うように囲んでわいわいと嬉しそうにしていた部員たちが急に静かになったので、三人は見合わせていた顔を部員たちの方に向ける。数人の部員が後ろの方でごそごそしているのがちらりと見えた。


「みんなのムードメーカー、栗谷先輩!」


 現部長に名前を呼ばれて、哲は小さく飛び上がる。


「えっ、なになに?」


「みんなからの寄せ書きです!」


 後ろでごそごそしていたうちのひとりが出てきて、哲にうやうやしくびっしり文字で埋まった色紙を手渡す。哲はおっかなびっくりそれを受け取って、相変わらずの丸刈り頭をかいた。


「いやあ、照れますねえ。……ありがとう」


 いつになく真面目に礼を述べた哲に、わっと部員たちが盛り上がる。哲は恥ずかしそうに次を促した。


「不器用イケメンの霧島先輩!」


「それは褒められてるのか……?」


 結人も少しはにかみながら色紙を受け取る。小さく呟いたありがとうという言葉も、みんなに届いたようだ。


「最後は、可愛いカリスマデザイナー、古賀先輩!」


「ええ? おれ、そんなふうに見えてたの?」


 思わず直太朗が自分を指さしながら訊くと、どっと笑いが起こった。横を見たら哲も結人も笑っているので、主に前半がいまいち釈然としないがそんなふうに見えていたらしい。


 そして、文字やちょっとしたイラストなんかで埋まっている色紙を、直太朗も受け取る。ちらっと目に入った「ずっと憧れてます」という言葉に、またうっかり涙腺が緩む。


「ありが、とう……おれ、これからも頑張るね」


 誰からともなく拍手が起こる。そうやって、手芸部の送別会は過ぎていったのであった。




 三十分前が解散でしょ、という気の利いた冗談を飛ばして部員たちが帰っていった夕暮れの家庭科室で、三人はそれぞれアルバムの寄せ書きコーナーに寄せ書きを書いていた。ひととおり書き終わって、哲がスマホを取り出す。


「あとは記念撮影かな?」


「いいね!」


「ああ、そうだな」


 それぞれのスマホで三人並んで自撮りをしたり、セルフタイマーに失敗して大笑いしたり、あっという間に時間が過ぎて、下校時刻になる。直太朗は下校を促すチャイムに覚悟を決めて結人の肩を叩いた。


「どうした、ナオ?」


「あのさ、ツーショット撮ろう?」


 このとき撮ったツーショットは、直太朗がスマホの中に結人の写っている写真を集めた「ゆいと」アルバムのトップ画面に設定された。

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