レースリボン
結果として、『手芸部からのラブレター』作戦は成功をおさめた。中学一年生が二人、二年生が三人、三年生も三人、計八人の新参加者を得て、構成員合計十一人になった手芸同好会は無事に手芸部に昇格し、七月になった今はクーラーの効く家庭科室を広々と使って、夏休みに活動する権利も得た。どうしても学年ごとに固まってしまうのはもう仕方のないこととして、それでもできる範囲で学年を越えて交流していこう、という方針で今のところ動いている。
部長になった直太朗はデザインの合間に夏休みの活動申請書を書いていた。全員の予定と校舎使用可能期間を見比べながら、過半数が出られる日を申請書に記入していく。ふと生徒会のスケジュールに目をやると、九月の新学期開始一週間後に、文化祭参加申し込み締め切り日があった。
「そっかぁ……部活になったから、文化祭に出られるんだ……」
直太朗が感慨深く呟くと、近くでミシンを走らせていた哲がミシンを止めて振り向いた。
「おお、単体での出店が可能ってことか。霧島クンのファッションショーでもする?」
最近気が向いたのか小さい物を縫い始めて、今日も不器用ながら縫い進めていた結人が、針を指に刺したのか、痛え、と声を上げた。
「いや、確かにモデルになる約束で入ったけど、それはさすがに恥ずかしい」
「えー、じゃあミスターコンに手芸部から出場」
「栗谷、ハードル上げないでくれ」
「マジレスこわぁい」
きゃあ、とぶりっこのように体を縮めた哲に、直太朗は小さく笑った。真顔だった結人も半笑いになっている。直太朗はミスターコンに出ている結人を想像してみた。衣装はもちろん、直太朗がデザインして哲が縫い上げたものだ。
「かっこいいだろうなぁ……」
結人が目を丸くして直太朗の方を向く。
「ナオまでそういうことを言うかなあ」
「あ、ごめんごめん。でもおれ、ゆいとがその気になってくれたら衣装デザインするよ?」
「それは、かなり魅力的だけど、悪いけど断る」
「ええー」
哲と直太朗の声が重なった。本当に恥ずかしいんだって、と顔を手で隠す結人をふたりでからかって時間が過ぎていく。
直太朗と結人は小学校の学区が同じだっただけあって、帰り道もほぼ同じだ。課外活動の時間が終わって、ゆっくりと陽が傾き始めた道を歩きながら、ふたりはそこでも手芸部の話をしていた。
「ゆいとは最近なに作ってるの?」
「……ぬいぐるみ。簡単なやつ」
少し照れくさそうに答えた結人の顔を、直太朗は覗き込む。
「面白いでしょ?」
「どっちかというとまだ難しい、の方が強いけど。まあ面白くないわけではない」
「ふふ。完成、楽しみにしてるね」
「一気にハードルが上がった……」
直太朗は、あはは、と笑う。結人は困ったように肩をすくめて苦笑したが、まんざらでもなさそうだ。モデルだけやっていたとしても結人が手芸部にいてくれるだけで嬉しいのに、裁縫にちょっとでも興味を示してくれたのは、直太朗の嬉しい誤算だった。
「ナオは相変わらずずっとデザイン描いてるな」
「うん! ゆいとは身長がちょうどよくて、筋肉があって、体型がすっとしてるからいろんな服が似合うよね」
「自覚なかったけど、そうなのか?」
「そうだよ! たとえばぴったりしたパンツは脚の線が映えるし、逆に襟元がゆったりしたちょっと大きいシャツでも手首の方にだんだん絞っていったりするとカジュアルでかっこいいと思うし……」
直太朗はぱっと思いつく結人に似合いそうな服のデザインを挙げていく。興味深そうな顔で聞いていた結人が、突然、ふっと笑った。
「ナオの頭ってデザインでいっぱいなんだな。すげーや、かっこいい」
「えっ……?」
直太朗は一瞬幻聴を聞いたのではないかと思って目を大きく見開いた。だってその言葉は、ずっとずっと、直太朗が頭の中で反芻してきた言葉だったから。直太朗がぽかんとしていると、結人は不思議そうな表情になる。
「どうした?」
「え、あ、いや、ちょっとびっくりしただけ」
「なんで」
結人は小さく笑う。ちょうど向こうに太陽が輝いていて、まるで後光が射しているようだ。
「そうやって夢中になれるものがあるってのは、やっぱすげーよ。実際にナオが描くデザインもかっこいいしさ」
幻聴じゃなかった。その事実を噛みしめて、直太朗は心の中で呟く。違う。本当にすごくて、本当にかっこいいのは結人の方だ。今みたいに、いとも簡単にあっさりと、他人の長所を褒められるところ。あの日直太朗の心を救ってくれた結人は直太朗の救世主で、憧れで、そして――。
どくん、と直太朗の心臓がひとつ大きく鳴った。今よぎった気持ちは、なんだ?
「ナオ?」
直太朗がはっとすると、ちょうどふたりの分かれ道の分岐点で立ち止まった結人が少し心配そうな顔で直太朗のことを見ている。直太朗は慌てていつもの笑顔を作った。
「褒めてくれてありがとう、嬉しい。またね、ゆいと!」
ああ、と応じた結人の返事が聞こえるか聞こえないかのタイミングで、直太朗は家に向かって駆け出した。
その日の夕方から夜にかけて、直太朗は自分が家でどんなふうに過ごしたかあまり覚えていない。どこかうわの空のままで、いつの間にか寝る支度を整えて自分の部屋でぼんやりとしていた。ふとそんな自分を自覚した直太朗は、頭をこつんと小さく叩いて机に向かった。手芸部ではデザインばかりしているので、家ではちょっとしたものを毎晩少しずつ縫っているのだ。最近は新しいペンケースを作ろうとしているところで、続きに手をつければいつも通りすうっと集中に入っていく。
デザインを考えているときには直太朗の頭の中はデザインのことでいっぱいになるが、実際に手を動かして何かを縫っているときはその逆で、頭の中がまっさらになる。しかし今日は、そこに手芸部で結人と過ごした日々の映像が入り込んできた。
まだ同好会だったとき、難しそうな顔をしながらリハビリと向き合っていた結人。『手芸部からのラブレター』を黙々と裁断して封筒に詰めていた結人。部活に昇格して、いきなり人が増えて顔と名前が一致しないと苦笑していた結人。直太朗が考えたデザインの服一式が完成して、それを着て「ありがとな」と照れたように笑った結人。今日の帰り道、「すげーや、かっこいい」と柔らかく笑った結人。
ぽたりと涙が手に落ちて、直太朗は無心に縫い進めていたはずだった手を止めた。
「ゆいと……」
おれは、ゆいとが、好きだ。
憧れとか、友情とか、そういうのを超えて。きっとこういうのを、恋と、いうのだろう。一度その言葉を受け入れてしまえば、何故今まで気が付かなかったのかと思うほどの恋しさがこみ上げてくる。好きだ。好きだ。好きでたまらないから、だからこんなにも、一緒にいる時間が彩りに満ちているんだ。
でも、と直太朗は息だけで呟いた。結人は普通の男子高校生だ。直太朗にとって結人が恋心を向ける対象でも、結人が直太朗に向けてくれる好意が友情以上になることはきっとない。結人は普通に女の子が好きなはずだから。直太朗がそういう気持ちを結人に向けてしまったら、結人はきっと迷惑に思うだろう。気持ち悪がって離れていってしまうかもしれない。そんなことは耐えられない、と直太朗はそっと首を横に振った。
「おれ……明日から、どうしたらいいんだろう」
大きな想いを持て余したまま、直太朗の夜は更けていった。
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