バックステッチ

 その夜、直太朗は自室に戻るとクローゼットを開け、今まで縫ってきたものがぎゅうぎゅうに詰まった収納ケースから小さな手提げ袋を取り出した。それを抱きしめてベッドに寝転がり、頬を緩ませる。


「えへへ……ゆいとが手芸部に入ってくれるって」


 仰向きになった直太朗は手提げ袋を天井の照明にかざす。高校生の今から見ればお粗末な出来栄えだが、小学生が家庭科の授業で作ったにしては見事なものだ。思えば直太朗と結人の関係は、この手提げ袋から始まったのだ。




 小学生の頃の直太朗には女子の友達の方が多かった。それは直太朗が穏やかな性格だからというのもあったし、他の男子のように運動ができなかったというのもあった。直太朗としては自然にそうなったことだったので特にいいとも悪いとも思っていなかっのだが、小学四年生のときの家庭科の授業でそれががらりと変わったのだった。


 その月の家庭科の課題は手縫いでパッチワークをしたりミシンを使ったりして手提げ袋を作ることだった。母親がファッションデザイナーの直太朗は裁縫に触れたのも早く、ミシンはまだそれほど使ったことがなかったものの、すでに洋裁はお手のものだった。


 面倒くさがりな男子が雑に仕上げたりする中、直太朗はクラスで一番上手に手提げ袋を作り上げた。それは家庭科の教師を唸らせるほどで、普段仲良くしている女子たちからも歓声があがった。


「上手だね、なおくん!」


「えへへ、ありがとう」


「どうしてこんなに上手にできるの?」


「ちっちゃいころからこういうの好きだったんだ。いっぱい作ってたからかな」


 ふわふわと微笑む直太朗とは裏腹に、女子たちは顔を見合わせて首を傾げた。


「男の子なのにお裁縫が好きって、変わってるね」


 直太朗の心に、大きな衝撃が襲った。男の子だと、裁縫をしていては変なのか。いつも仲良くしている彼女たちでも、直太朗のことを完全に受け入れてくれているわけではなかったのだ。


 直太朗は無性に恥ずかしくて情けなくてたまらなくなり、返す言葉を見失って、目をさまよわせた後うつむいた。そこに、でもさぁ、と割って入った声がある。


「クラスで一番上手くなるくらい好きってことなんだろ? それってすげーじゃん。かっこいい」


 直太朗が声の方向に顔を上げると、クラスの中でも人気者の霧島くん――結人の姿があった。たまたま直太朗の近くに座っていて、話を聞いていたようだった。今度は女子たちの方が気まずそうにおのおの顔をそらし、直太朗は一瞬何を言われたのか分からなくて目を瞬かせる。


 すごい? かっこいい? おれが?


「どうしたんだよ、変な顔して」


「な、なんでもない……ありがとう」


「ん」


 小さく笑った結人に、直太朗も泣きそうだったところを微笑み返して、その場はそこで会話が終わったが、直太朗は結人に救われたような心地がしていた。裁縫が好きでも変じゃないって認めてくれた。すごいって、かっこいいって、褒めてくれた。それがどんなに、嬉しかったか。


 翌日の昼休み、直太朗は結人が他の男子とサッカーに行こうとするところを呼び止めた。


「あ、あの……おれも一緒に、やっていい?」


「もちろん。いっつも人数ギリギリなんだ、大歓迎」


「あ、でも、あんまり戦力にはならないと思うんだけど」


「いいよ、俺がカバーする」


 な、と結人が言うと他の男子もおっかなびっくりといった様子ではあったが頷く。直太朗はそのまま彼らと一緒にサッカーをした。当然のように足手まといになったが、何度目かのサッカーで結人に「直太朗って長えからナオでいい?」と訊かれたときは嬉しくてたまらなかった。


 サッカーをしている時の結人はとても生き生きとしていて、躍動感にあふれている。直太朗はいつしか、本当にかっこいいのは結人の方だ、と思うようになった。




 直太朗は手提げ袋を抱きかかえてベッドの上を転がる。


「手芸部に入ってくれるだけじゃない……まさかまた同じ学校になれて、しかも覚えててくれたなんて」


 小学校を卒業して、直太朗は今の私立の中高一貫校に入り、結人はたぶん公立の中学校に進んだのだろう。直太朗が私立の中学校を受験することは決まっていたので、寂しくはあったが離れるしかなく、中学校は別れざるを得なかった。それでも結人の存在は直太朗にとって大きく、直太朗は男子校でもずっと手芸を続けたし、中学三年生のときに手芸同好会も作った。


 そんなところに、高校から結人が入学してきたのだ。クラス名簿を見てそれを知ったとき、直太朗は奇跡が起こったのだと真剣に思った。勇気を出して結人のクラスに行って彼が事故に遭ったと聞いたときは心から心配したが、三年間会わなかった小学校のときのただの友達、が突然お見舞いに行っても気まずいだろうと思って、病院に行く勇気が出せなかった。


 でも、退院してきた結人は直太朗を覚えていた。自分でもしつこくつきまとったと思うのに、そんな直太朗の誘いに乗ってくれた。そしてこれからは、一緒に放課後を過ごすのだ。


「ゆいとに似合いそうな服のデザイン、考えなくっちゃ」


 直太朗はこれからの楽しい時間を想像して、満面の笑みを浮かべた。

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