鬼の住まう島③

「俺達、これを返しに来たんだ。誰のものかわかるかい?」


 そう尋ねると、鬼の子どもは、ええと、と一瞬考えるような素振りを見せたが、すぐに「ああ!」と言って飛び上がった。


瑞葵みずき様のよ、それ!」


 やっとお戻りになったわ、とその場でぴょんぴょん跳ねる小鬼に、白狼丸がちょっと落ち着け、と苦笑する。


「誰だ、その『瑞葵様』って」


 そう問い掛けたのは白狼丸だった。太郎はというと、手のひらに乗せたかんざしを、じぃ、と見つめたまま動かない。


「瑞葵様はね、この島のお社に祀られている女鬼めおに様よ」


 ほぉ、と白狼丸が頷く。

 鬼が鬼を祀るのか、と。

 いや、人間にしても、いつだったか都で謀反を起こした侍の霊を鎮めるだか何だかといって、立派な社を建てたと聞く。何だ、やはり人も鬼も、することは変わらないのだな、と思う。


 とするとその瑞葵様とやらは、何をして祀られるのに至ったのだろう。


「その――瑞葵様は」


 どうやら太郎もそこが気になったようである。喉が乾いているのか、その声はからからにかさついている。


「瑞葵様はね、その昔、禁忌を犯されたのですって。それで、家族と離れ離れになってしまって」

「禁忌……?」

「それはね、あたしはわからないの。じいちゃま、それは教えてくれなかったのよ」

「そうなのか。それで、その瑞葵様はどうした」


 祀られているということは、つまりは既にこの世にはいない、ということだ。それはわかっている。


「あそこから」


 そう言って鬼の少女は草原の先を指差した。青い空と、わずかに見える青い海である。


「身をお投げになったのですって。それで、草履とかんざしだけが崖の上に残されていたの」


 は、と太郎が浅い息を吐く。

 かんざしを持つ手が震えている。

 

「それから、ぱったり魚が捕れなくなって、作物が育たなくなって、それで、大人達は人間のところから食べ物を盗んでこなくちゃならなくなったって」

「成る程、おれ達が絵巻で見る鬼ってぇのはその姿か」

「だからね、きっと瑞葵様の祟りだ、ってその草履とかんざしを祀ったの。そしたらしばらくはとても平和だったって」

「だった、ということは」


 そこで少女はこくりと頷いた。


「ものすごい嵐が来たんですって。あたしが生まれる前の話よ。それで、お社が飛ばされちゃって、草履は見つかったんだけど、かんざしだけはどうしても見つからなくって。そしたら、嵐が去った後も、やっぱり魚は捕れなくなったの。だからいまは、うんと遠くまで船を出して魚を捕ってるのよ。人間に見つからないように。また人間のところから盗んでくれば良いって言う大人もいるけど、仕返しされたら怖いから」

「怖い? 鬼なのに人間が怖いのかよ」

「怖いよ。だって、人間って頭が良いでしょ? それにたくさんいるもの」

「鬼は少ないのか?」

「とっても少ないよ。どんどん減ってるの。食べるものが少ないからってここを出て行く鬼もいるし、病気で死んじゃったりもするし」


 あたしの弟も、紅雄の姉上も、と言って、少女は、すん、と鼻を鳴らした。

 

「それじゃ、このかんざしが戻れば」

「うん。きっとね」


 顔を上げた少女は、目の端の涙をごしごしと擦って笑った。


「あたしがこっそり返しておいてあげる。お兄ちゃん達が見つかったら大変だから」

「見つかったら、どうなるんだ?」


 ごく、と白狼丸が唾を飲む。

 やはり殺されるのだろうか、と。


「たぶん、出て行けー! って怒られると思う」

「お、怒られる……だけ?」

「そうよ? たまぁに人間が流されてくることがあるんだけど、いっつもそんな感じ。出て行けー、ってうんとおっかない顔で脅かすの。鬼はね、怒ると顔も身体も真っ赤になるのよ。紅雄なんてそれ見てちびっちゃうんだから。あはは、おっかし」

「笑ってやるなよ、未来の旦那だろ。しっかし、おっかない顔で脅かすだけかよ。何か手荒なことはしないのか? ほら、金棒で殴る、とかさぁ」


 白狼丸がため息混じりにそう言うと、少女はあからさまに軽蔑したような目をして身を引いた。


「何それ。人間ってそんなことするの? 野蛮ね」

「はぁ? 何だとぉ」


 それをお前らが言うのかよ、とつい口が滑りそうになる。だって、鬼というのはそういうものだと昔から聞いている。


「あたし達はね、そりゃあ人間よりも身体も大きいし、力もあるけど、だからって、乱暴なことはしないわよ。そりゃあ悪いことをしたら打たれるけど。人間は自分より弱い生き物を理由もなくいじめたりするの?」

「そんなことは……」


 ない、と否定したいところではあるが、人間の中には、そういうやつらも存在している。遊び半分で動物の命を奪い、それの皮やら肉やらをまるで勲章のように掲げるようなやつらのことだ。


 でも、


 これは違う。


 そう思って、白狼丸は、纏っている毛皮を撫でる。


 これは、白狼丸が生まれる前に両親が飼っていた白狼の毛皮である。なかなか子に恵まれなかった二人は、山で怪我をしていた白狼の子を拾い、それを我が子のように大事に育てていたのだという。それが立派に成長したある夜のこと、母の夢に、その白狼が現れてこう言った。


「おれはもう随分生きた。残りの命をお前のややこにくれてやる」


 何とも不思議な夢だと目を覚ませば、足元で丸くなっている白狼は既に冷たくなっていた。そして、それから数日の後、母は彼を身ごもったのである。


 だからおれは白狼丸と名付けられたのだ。

 

 しかし、そんなことは言わなければわからない。もしかしたらこの少女には自分もそんな人間だと思われているのではなかろうか。そう考えると、背中に冷たいものが流れて、白狼丸は身震いした。これは違うと、口を開きかけたところで、少女は、大丈夫、と笑った。


「わかるわよ。その毛皮はお兄ちゃんのなのよね?」

 

 すべてを悟ったような顔でそう言われ、思わず「なぜわかった」と口が滑る。慌てて太郎を見れば、「白狼丸の兄上って白狼だったのか?!」と目を剝いている。


「い、いや、それはつまり、言葉の綾というかだな。本当の兄ってわけじゃないんだ。――って、そんなことは一旦良いんだよ!」


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