鬼の住まう島①

 船と人を貸してくれと何人かの漁師に声を掛けたが、礼をちらつかせようとも誰一人首を縦には振らなかった。

 

「波は穏やかだし、この様子だと今日は一日風も落ち着いているだろう。船釣りがしたいってんならいくらでも乗せてやる」


 だがな、と言って、ここいらを牛耳っているらしいその漁師は、「あの島だけは駄目だ」と首を振る。


「船も人も貸せん。ワシらを巻き込まんでくれ。見ろ、あの雲を」


 そういって指差す方には、彼らの目的である小さな島があり、その上空にだけ黒く淀んだ雲が浮かんでいた。


「こっちでどんなにお天道さんが頑張ってても、あそこだけはああなんだ。いつからだったろうな。もう随分前からだ。ああなるようになってから、ここいらでは度々女共が騒ぎを起こすようになってなぁ」


 女共が騒ぎを、という言葉で四人の肩がぴくりと動く。青衣が、ずい、と一歩前に出れば、四十も過ぎていると思しきその漁師は、ぅお、と声を上ずらせた。


「もしかして、あれかい? 亭主に噛みついたり、好いた男と心中するってェんで胸を突こうをしたやつかえ?」

「よ、よく知ってるな。そうだ。でもそれだけじゃあないんだ」


 他にもあんなことやこんなことや、と語り出す男に、聞いているのかいないのか、ふんふん、と歌うような相槌をしてから、青衣は「だからさ」と言葉を被せる。


その諸悪の根源を元のところに返してやろうってェ話なんだよ」


 と、布に包んでいたかんざしをちらりと見せる。


「アンタが持ち出したこのかんざしをねェ」

「そ、それは……」

「駄目だよゥ、人様の物を勝手に売っ払っちゃァ。まァ、これを返したからって、あの雲が晴れるたァ思っちゃいないけどさ。でも、借りたもんはちゃァんと返さないと――」


 寝覚めも悪いだろ? と言うと、男は、ぐぅ、と喉を詰まらせた。


「何、そこまで言うなら乗れとは言わないよゥ。ただ、船くらいは貸してくれても罰は当たらんよねェ?」

「わ、わかった」


 でも、と言って、男は顔を上げた。睨みつけるように四人に視線を滑らせると、「でも、たぶん無理だ」と言って、下卑た笑みを浮かべた。


「あの島に行けたのだって、本当にたまたまだったんだ。あの日は風も強くて、潮の流れもおかしかった。俺だって何度か考えたんだ、そのかんざしを返そうってな。でも何度船を出しても駄目だった。この俺がだ」

「ああそうかい」

「あの島に近付くにはな、天に任せるか、それか『未通の女』が必要なんだ。贄としてな。だけど、島の娘を連れて行けるもんか。そうだろう? それこそ鬼の所業だ。だ、だからアンタらには無理だよ。そうだろう、なぁ、姉ちゃんよ。アンタどうせ生娘きむすめじゃねぇんだろ」

「……まぁ確かにねェ」


 ぐるり、と仲間を見渡せば、揃いも揃って野郎ばかりである。自分も含め、群を抜いて見目が良いのはいるし、残りの二人もまぁ着飾ればそこそこなんだろうが――むさ苦しい男であることには変わりない。


「い、良いよ。行けよ。船なら俺のを貸してやる。わけぇのも二人つけてやらぁ。あそこのやつだよ。ほら、行けよ」


 俺は知らねぇ、知らねぇ、と繰り返し、その漁師は小屋へと引っ込んでしまった。指名された二人はというと、親方そりゃないぜ、と涙目になっている。


 その様子を呆然と見ていた太郎、白狼丸、飛助に向かって青衣はにこりと笑い、ぱん、と一つ手を叩いて――、


「さ、船と漕ぎ手は確保した。早速船出と行こうじゃァないか」


 とまるで行楽にでも出掛けるような弾んだ声を出した。



 機嫌よく先陣を切ってさくさくと砂の上を歩く青衣に、白狼丸が問い掛ける。


「なぁ、姐御よ。どうしてあの男がかんざしを持ち出したんだってわかったんだ」


 すると、いかにも面倒くさそうに「あァん?」と眉を釣り上げ、


「当然だろゥ? だってわっちはあの男からその話を聞いたんだから」


 と返す。


「だったら何であいつは姐御に気付かなかったんだろ」

「確かに」


 飛助と太郎が首を傾げる。青衣は太郎だけに向けて優しい笑みを浮かべ「それはねェ」と甘えた声を出した。


「この顔で仕事をしなかったからだよゥ、坊。うんと地味な田舎娘の顔にして、黒子ほくろやら痘痕あばたやらをいくつかくっつけてねェ。わっちは素顔じゃァ動かないのさ。城に仕えてた時だってずゥっと違う顔をしてたんだよゥ」

「へぇ、そんじゃ、いまとは別人だったわけだ。名前も違ったりすんの?」


 そう飛助が興味津々に問い掛ける。すると青衣は、そうさ、と鼻息を吹く。


「城では『雉』と呼ばれてた。いまよりずっと派手な着物と顔でねェ」

「いまよりかよ。てことは、いまのも嘘の顔と名前ってわけだな」


 白狼丸が間に割り込むと、それを、ぎぃ、と睨みつけて「入ってくんじゃァないよ、犬っころ!」と舌打ちをする。が、その隣の太郎が「そうなのか」と切なそうに眉を寄せるものだから、さすがの青衣も少々慌てて自身の白い頬を、にゅう、と引っ張ってみせた。


「坊、坊、見てご覧な。ちゃァんとわっちの顔だとも。わっちはね、坊の前では姿を偽らないと決めてるんだ。だから、化粧はしているけど、これがわっちの本当の顔だよゥ? 坊の前だけなら化粧を落としたって良い。それにね、名前だって本当さ。だからそんな顔、しないでおくれよゥ」


 ほらほら、となおも両頬を引っ張ると、太郎はやっと安心したように眉間のしわを解いた。「そんなに引っ張ると痛いだろ。もうわかったから」などと笑って、少し赤くなってしまっている頬を擦ってやると、青衣も嬉しそうに目を細める。


「海千山千の元忍びも頭の前じゃ形無しだな」


 白狼丸が、ひひひ、と意地悪な笑みを向け、それに青衣が「だまらっしゃい」と返し――、


 そんなこんなで四人を乗せた船は、鬼ヶ島へと動き出した。


 


「潮の流れが何たらで、なかなかたどり着けないって話じゃなかったか……?」


 拍子抜けするほど呆気なく、船は千石せんごく島――いや、鬼ヶ島へと到着した。船を漕いでいた若い漁師は、鬼が恐ろしいのだろう、船の端っこで身を寄せ合い、かいを握りしめたままぶるぶると震えている。


「これは、坊を『未通の』と認めたってことで良いのかしらねェ」

 

 青衣が小声でそんなことを言いながら、ちらりと白狼丸と太郎を見る。


「でかしたよ、犬っころ。よくぞ昨晩耐えたねェ」

「うるせぇ!」

「白ちゃんもちゃんと『待て』が出来るんだなぁ、関心関心」

「てめぇ馬鹿猿!」

「落ち着けよ二人共」


 鬼がいる、という島でも関係なく喧嘩を始めようとする二人を窘め、それより、と辺りを見回す。


「本当にここに鬼がいるんだろうか」


 そう思うほどに、島はしんと静まり返っていた。


「なぁ、太郎はこの島に住んでいたのか? 何か見覚えはないか?」

「いや、俺が覚えているのは、とにかくだだっ広い草原なんだ。海岸ではなかった」


 とにかく行こうよ、と船を降りようとする飛助を太郎が「待て」、と止める。


「島へは俺一人で行く」

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