出航当日②

 もうこうなれば茜についても隠すことは出来ないと、精算を済ませて宿を出、砂浜に腰を落ち着けてその経緯を話す。

 当然その流れで、白狼丸が熱を上げていた相手がその茜であることも話すことになったし、そうなると、昨夜の啜り泣きと艶っぽい声が誰のものであるかについても触れられることとなり、こうなりゃやけだと開き直ってふんぞり返りながら語る白狼丸とは対称的に、太郎はというと、既に瀕死状態である。


 いつも姿勢よく伸びていた背中はすっかり丸くなり、顔はこのまま茹で上がってしまうのではないかと思えるくらいに赤い。


「ちょっと前まで恥じらいとは無縁だったタロちゃんが……。いやぁ、これはこれで有り」


 もう『太郎限定』でソッチの方に目覚めつつある飛助が、ごくり、と喉を鳴らす。


「アンタだけ夢見心地で島へ行くかい?」


 と青衣が横目で睨んで懐から扇子を出すと、飛助があわわと両手を振る。


「冗談、冗談だよぅ! ていうか、タロちゃんってもう白ちゃんのものなんだろ? さすがのおいらでも人のものをかっさらう趣味はないよぅ!」


 その言葉に「いいや!」と太郎と白狼丸が同時に割り込む。


「違うんだ飛助! その、そういうのは茜の方だけなんだ!」

「おれだって男のコイツをどうこうしようなんて趣味は微塵もねぇ!」


 そう強く否定するものだから、飛助はもちろんのこと、青衣すらもきょとんとした表情になった。そして同時に目を合わせ、にやりと悪い笑みを浮かべる。


「そんじゃ、タロちゃんの方には手を出して良いってこと?」

「夜までにちゃァんと返しゃァ良いってことだよねェ」

 

 くふふ、と二人が同時に太郎に視線をやると、彼はびくりと肩を震わせ、サッと白狼丸の背中に隠れてしまった。そして、盾にされた白狼丸の方でも彼を守るように両手を広げて威嚇する。


「なァんだ、昼間の方にも番犬がついてるんじゃァないか」

「ずるいぞ白ちゃん、一日中独り占めかよ!」

「どう考えてもおれが一番安全だからだろ!」


 ふん、と荒く息を吐き、そんなことより、と声を上げた。


 そう、そんなことより、なのである。


 空は雲一つなく、波も穏やか、絶好の船出日和。このまま魚でも釣って、それを土産に帰りたい心地になる。けれど彼らの目的は船釣りなどではもちろんない。


 鬼が住まう島、鬼ヶ島に行かねばならぬ。島から持ち出されたかんざしを返すために。


「嬢ちゃんが待ってるんだ、悠長なこともしてらんねぇ。とっとと済ませてさっさと帰ろうぜ」

「おやおやァ? さっさと帰りたいのは別の理由だろう?」

「そうそう、もう隠すことないじゃん。愛しの茜ちゃんとがしたいって言ったら良いのに、恰好つけちゃってさぁ」


 仁王立ちでびしりと決めた白狼丸だったが、したり顔の二人にからかわれ、へなりと崩れる。


「つ、続き? あ、あの続きがあるのか!? 白狼丸お前、俺に、じゃなかった、茜にあれ以上何を、ぉぉ……」


 いよいよ熟れた林檎もかくや、といった赤さに到達した太郎は、最早限界と目を回してひっくり返った。


「あらら、タロちゃんたら」

「いやァ、可愛いじゃァないか。こんなに可愛い坊の花を散らすのがこいつだと思うと腸が煮えくり返りそうだよゥ」

「だから! こいつの花は散らさねぇよ!」


 これではいつまでたっても話が進まない。いよいよもって白狼丸は「だあぁ!」と声を張り上げた。


「何だい、一人で騒いで。うるさいったらないねェ」

「話が全然進まねぇからだろ! どうすんだよ、行くのか、行かねぇのか!」


 ここまで来て行かないなんてことあんのかよぅ、と飛助が固く絞った手拭いを太郎の額に当てながら茶々を入れる。

 そりゃそうだな、と納得しかけた白狼丸に「あるよ」と答えたのは青衣だ。


「何言ってんだよ、かんざしを戻さねぇと嬢ちゃんの呪いが――」


 と言うと、人差し指を立て「それ」と笑う。


「呪いなんてわっちの作り話さ。これまでも、そんな例はないんだよゥ。これまでだってかんざしさえ取っちまえば終いだ」

「でも」


 出発前に平八から雛乃の様子を聞くと、青衣の言う通り、指の一本も動かせなくなっているようで、意識はあるものの、苦しそうに呻いているばかりなのだという。


「よォっく考えてもご覧な。かんざしの力を借りたとはいえ十の小娘だよゥ? 大の男を二人も吹っ飛ばしたんだ、そりゃァ四、五日は動けないだろうさ」

「何だよ! そういうことかよ!」

「うわぁ、騙されたぁ!」

「ほっほ、お蔭で借金がチャラになったんだ、もっと感謝してくれても良いんだよゥ?」

「ちっくしょー!」

「ありがとう姐御ぉー!」


 拳を振り上げる男達を満足げに見つめ、だからね、と青衣は続ける。


「別にこのかんざしは馬鹿正直に島へ返さなくたってェ良いわけだ。どうする?」


 そういうことなら、正直御免被りたい。けれど、決定権はかしらである太郎にある。


 ちらり、と太郎の方を見ると、彼はいつの間にか目を覚ましていて、青く澄んだ空をぼうっと眺めていた。そして、むくりと起き上がると、一言、


「それでも行く」


 と言う。


「だろうな」


 と白狼丸が答え、


「おいらはタロちゃんについていくよ」


 と飛助が頷く。


「やれやれ、命知らず共め」


 とため息をつく青衣の目は楽しそうに細められており、そうして――、


 太郎、白狼丸、飛助、青衣は、島へ向かうための船とその船頭を調達するために立ち上がった。


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