かんざしの力③

 どうやら平八は雛乃の後をこっそりつけていたようで、この部屋でのやりとりをすべて見ていたらしい。


 だから、白狼丸と飛助に対してのお咎めはなかったし、青衣にしても、娘が済まなかったと頭を下げられた。


 そしてその雛乃はというと、太郎の隣に敷かれた布団で寝息を立てている。


 もしあれがかんざしのせいなのだとしたら、もう大丈夫だろう。そのかんざしは、いまだに太郎の手の中にある。


「薬師殿、雛乃は……」

「かんざしは取り除いたけどねェ、油断は出来ないねェ」

「……と、言うと」


 平八の顔からさぁっと血の気か引く。


「恐らく、呪いはまだこの子の中に残ってるはずさ。それが解けるまでは指一本動かせないはずだよゥ」

「そ、そんな! どうすれば……」

「元あった場所に返すのさ。これは、元々盗まれたものだ」

「と、盗品だと……! あの物売りめ! 何てものを……!!」


 わなわなと震える平八を横目に、少し離れた位置にいる白狼丸と飛助はちらりとお互いを見た。そして小声でぽつりぽつりと言葉を交わす。


「元あった場所って……」

「鬼ヶ島、だろ」

「まさかおいら達が行くとかって話にならないよね……?」

「だと思いてぇけど、無理だろうな。だってほら、姐御こっち見てんぞ」


 自分の視線に気付いた二人に向かって、口の動きだけで「ご明察」と言い、ニヤリと笑う。


「そこで、旦那に相談だ。聞けばあの男、旦那に借金があるってェ話じゃないか」


 すらりとこちらに伸びた指に、ぎく、と飛助が肩を震わせる。


「へ? あ、あぁそうだ。一千ようほどな。それをこの三人で返済している途中だ。それが何か」

「そんじゃァ、このかんざしを無事元あった場所に戻して、お嬢ちゃんにかけられた呪いを解いてやるから、それで借金は帳消しってェのはどうだい」

「な、何と!?」

「安いもんじゃァないか、たったの一千葉で娘の命が助かるんだよゥ?」

「そ、それは――確かに」


 借金の帳消し。

 それは確かに願ってもないことだ。

 いやしかし、鬼が住まう島に行くんだぞ。命がいくらあっても足りないではないか。

 でも、サッと行って海岸に投げ捨てるだけならば……?


 ううんううんと腕組みをして、仲良く左右に揺れる白狼丸と飛助である。


 平八はというと、可愛い可愛い一人娘をじっと見つめたまましばらく考え込んでいた。いや、何を迷う必要がある、この子に勝る宝などこの世にあってたまるか。


「わかった、頼む。飛助、よもや逃げたりはせんだろうな」

「うへぇ、何でおいらに聞くんですかぁ?」

「そもそもお前の借金だろ」

「おいらじゃなくて親父のですよぅ!」


 

 とにもかくにも、そのような流れで、かしらの太郎がすやすやと眠る中、太郎、白狼丸、飛助と青衣の鬼ヶ島行きが決定したのであった。


「すまんな、お前が寝てる時に色々決まっちまって」


 そんなわけだから明日から仕事はしばらく休みだと夕食の席で太郎に言えば、彼はしゅんと肩を落として頭を下げた。


「俺の方こそ、何もしなくてごめん。呑気にすやすや寝てたみたいで、情けないよ」

「いや、タロちゃんはここぞって時にやってくれたよ、ねぇ?」

「寝ぼけてかんざしを抜いたってやつだろ? あんなのたまたまじゃないか」


 あれがたまたまであってたまるか、と二人が心の中で突っ込む。


「そんなことよりさぁ、おいらは嬉しかったんだよタロちゃん」

「何だ? 借金がなくなったことか?」

「いや、それもあるけどさ。まさかタロちゃんがおいらのことあんな風に思ってたなんてさぁ」


 感激だよぅ、とその手を取って頬擦りをする。


「あんな風に? 何のことだ?」

「あれぇ、タロちゃんてば覚えてないの? なんかさぁ、白ちゃんが友達になってくれて嬉しかったとかさぁ、おいらには甘味を食ってるところが最高に可愛いとか言ってくれたじゃん」


 最高に可愛いとは言ってねぇだろ、と白狼丸が半眼で睨む。すると、太郎の顔はまたもみるみるうちに赤くなった。それを見て、まだ薬が抜けてねぇんじゃねぇのかと白狼丸が腰を浮かせ、えええそんじゃあおいらちょっとひとっ走り姐御のところに行ってくると飛助が立ち上がる。


「ちょ、ちょっと落ち着けよ二人共、こんな時間にどこに行くんだ」


 そう言って太郎が赤い顔のまま二人の袖を掴めば、いつも何かあれば口論となる犬猿達は仲良く「落ち着いていられるかぁっ!」と声を揃えた。

 

「お前は覚えてないかもしれないがな、もうほんっとにあの時は大変だったんだぞ!」


 おれには茜がいるのに危うく間違いを犯すところだった、とその部分は心の中で叫ぶにとどめ、


「そうだよタロちゃん、あの時、どんなに大変だったか!」


 主に下半身の制御がね、と喉までせり上がってきたその部分はごくんと飲み込む。


 などという二人の心の叫びなど露ほども知らぬ太郎は、ただただ、「心配をかけて、すまなかった。本当にありがとう二人共」と深く詫びた。

 

 正直、そこまで真面目に返されてしまうと、心中穏やかではいられない白狼丸と飛助であったが。


 とりあえず、太郎の顔色はいつの間にか正常に戻っており、そのことに安堵する。それを指摘すると、太郎は少し気まずそうに視線を泳がせて、


「だっていままで内緒にしてたからさ。そりゃあ俺だって恥ずかしいよ」


 などと乙女のようにはにかむものだから、やっぱり飛助は「タロちゃぁん」と言って彼に抱き着き、白狼丸はと言うと、耳まで赤くなった顔を覆って「おれには茜が」とぶつぶつと念仏のように繰り返していた。



 さてその後、かなり多めの旅費を握らせてきた平八に「必ず戻ります」と頭を下げると、彼はすっかり憔悴しきっていた。娘は呪いに侵され、店の戦力が三人も抜けるとあって、どさくさまぎれに五月と八重を復帰させたものの、気力もぼろぼろのようである。

 白狼丸が、「おいシャキッとしろよ」と檄を飛ばすも、すっかりしょぼくれていて、自慢の狸腹も一回り、いや二回り小さくなったように見えた。


「そんなに気落ちすんなよ。何も一月も二月も抜けるわけじゃねぇんだし。なぁ」

「そうですよぅ。戻って来たら今度はお給料ちゃあんと払ってくださいねぇ」


 だってもう借金ないんだしっ、と軽い調子で飛助が乗っかると、平八は目を丸くして驚いた。


「ま……また働いてくれるのか、ここで」


 その言葉に、三人は不思議そうな顔をする。


「駄目でしたか」

「おい、いまさら出てけとか無しだぜ」

「困るなぁ、毎日菓子が食える職場なんて他にあるかなぁ」


 などと口々に言うと、「い、いや! 働け! 働いてくれ! 給料はもちろんちゃあんと払う! 菓子もある! 待ってる! 待ってるからな! 早く鬼の呪いを解いて戻って来てくれよ!」


 そう叫び、懐からさらに金を取り出して太郎の帯にねじ込んだ。

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