かんざしの力②

「姐御っ!」


 すぱん、と襖が勢いよく開かれ、中から白狼丸と飛助が飛び出した。


っそいんだよ、全く!」


 みしみしと嫌な音を立てる扇子でぎりぎり小刀を受け止めている青衣が、雛乃から視線を外さずにそう返す。


わっぱの力じゃァないよ、気ィ付けなァ!」


 そう言って、己の唇を噛み、血の混じった唾を雛乃に向かって吹きかける。さすがにその行動は予測つかなかったのか、雛乃は目を押さえて青衣から離れた。小刀が手から落ち、それを青衣が部屋の隅へと足で払う。


 飛助がすかさず背後を取り、その小さな身体を羽交い絞めにする――が、獣のような咆哮をあげたかと思うと、雛乃は、彼をそのまま背負い、力任せに放り投げた。どうにか受け身を取ったものの、まさか投げられるとは思っていなかったのだろう、飛助は一体何が起こったのかと呆然と座り込んでいる。


「ぼさっとしてんじゃァないよ、お猿!」

「だらしねぇなぁ、おい」

「ちょ、ちょっと酷くない? ていうか、お嬢様、どういうこと?!」

「だから言ったろ、この馬鹿猿!」


 人の話はちゃァんと聞きなァ! と怒鳴りつけられ、しゅんと肩を落とすが、そんな呑気な状況ではない。


 次はおれだ、と今度は白狼丸が真正面から組み合ったが、多少力には自信のあった彼でさえ、押し負けて転がされる始末である。


「犬っころも駄目かい。どいつもこいつもだらしないねェ」

「くっそ、どういうことだ。どうなってんだ」

「あのかんざしの力ってこと? どうする? もっと人呼ぶ?」

「あんまり大ごとにしたくなかったんだけどねェ」


 それも止む無しか、と三対一の構図で睨み合っていると、そんな中でも目を覚ますことのなかった太郎の身体が、むくり、と起きた。その場にいた全員が、彼の方を見る。


 雛乃が、にたり、と笑った。太郎様、と可愛らしい声で、その名を呼び、駆け寄る。


「太郎様、聞いてくださいな。あちらの方々がわたくしに酷いことを致しますのよ」


 それはこっちの台詞だと白狼丸が睨みつけたが、雛乃の顔に散った赤い点――血を見れば、確かにそれは嘘ではないように思えてしまう。


 彼の胸に頬を寄せつつ、ちらりとこちらを見る顔は邪悪そのもので、吊り上がった目はちょうどかんざしについている石のように黄色い。


「おい騙されんなよ、太郎」

「そうだよ、タロちゃん。お嬢様、何か乗り移ってるみたいなんだよぅ」


 白狼丸と飛助が口々に言うも、まだ熱が冷めていないのか、太郎は何やらぼうっとした表情で、凭れかかっている雛乃の背中に手を回している。


「まだ薬が抜けてないねェ、ありゃ」

「何ぃ?!」

「えええ、どうする? 何かおっぱじまったら」

「何かって何だよ」

「わかってるくせに!」

「わかってるけど、太郎だぞ? いくら薬が効いてたってなぁ」

「違うよ、お嬢様が襲い掛かるって意味だよ!」


 まさか、とは思うものの、平素も知識だけはいっちょ前の雛乃である、かんざしの力もあり、さらには太郎もこの状態だ。ないことではない。


「じゃあ、何が何でも止めないとな。おい猿、二人がかりで行くぞ」

「ええ、姐御は?」

「あんな細腕じゃどうにもなんねぇだろ。邪魔なだけだ」

「あら、わっちがか弱いって、やっとわかってくれたみたいだねェ」

「力だけはな。身のこなしは立派に忍者だったぜ」

「ほほほ、まだ身体が覚えてるのさねェ。さて、笑ってる場合じゃないよゥ」


 青衣の言葉通りである。笑っている場合ではない。

 やはり危惧していた通り、仕掛けるのは雛乃の方だった。くつくつと喉を鳴らしながら太郎の前合わせに手を滑り込ませている。


「おい、馬鹿、嬢ちゃん! よせって!」

「そうだよぅお嬢様! そういうのはね、ちゃんと本人の同意を得てから――」


 そう叫んで飛び掛かる。白狼丸が雛乃に覆いかぶさり、飛助が彼女の手を押さえる、が。


「わたくしに触れるな! 汚らわしい獣共が!」


 そう言って、ぶるりと身を振るわせると、二人は簡単に弾き飛ばされてしまう。だらしないねェと軽口を叩く青衣の額にも汗が浮かぶ。このままでは助っ人を呼んだところで同じかもしれない。


 どうしたら、と歯噛みする。薬を使うか、いや、中身はどうであれ、身体は童だ。その後に障りがあるかもしれないと思うと、それも躊躇われる。


 その時。


 雛乃の背中に回されていた手が、す、と離れた。それは「太郎様?」と見上げる彼女の頭に、ぽん、と乗せられる。そして、その指がかんざしに伸びたかと思うと、それに気付いた雛乃が身をよじって逃げようとするよりも早く――、


 するり、と引き抜かれ、彼女の髪がばさりと垂れた。


「あ」

「え」

「おや」


 それと同時に雛乃はぐにゃりと崩れ、太郎もまた、かんざしを持ったまま後方に倒れた。すぅすぅと呑気な寝息が聞こえてくる。


「おいおい、太郎。何なんだよお前ぇ」

「おいら達がどれだけ大変だったか……」

「いやァ、さすがはかしらだ。ここぞって時に頼りになるじゃァないか。あっはっは」


 笑い事じゃねぇよ、と十の小娘にさんざんあしらわれた男達は、がくりと肩を落としてその場にへたり込んだ。


 と同時に、「雛乃!」と青い顔をした平八が飛び込んでくる。


「えぇ、旦那様?」

「もしかしてずっと見てたとかじゃねぇだろうな」

「あらあら、覗き見なんて無粋だねェ」


 着物もさんざんに乱れ、青衣に至ってはきれいに結い上げられた髪も乱れた上に唇から血を流しているといった酷い有様なのだが、それでもこの狸親父は娘可愛さにおれらを罰するんだろうか、などと白狼丸は考えていた。


 

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