かんざしの力①
「しかし、これからどうする」
「何、好都合さ。旦那をここへ呼ぶ」
「呼んでどうする」
怪訝そうな顔で白狼丸が青衣を見つめる。すると青衣は閉じた扇子で胸をとんとんと叩き、「とりあえず、そのかんざしを奪っちまおうじゃァないか」と笑みを浮かべた。
「いやいや、だったら呼ぶのは嬢ちゃんだろ?」
「そうだよ姐御。旦那様に持ってこさせるのもたぶん無理だぜ? 最近のお嬢様ったら父親の言うことなんてひとっつも聞きゃあしないんだから」
寝てる太郎を気遣って、多少落とした声ではあったが、それでも二人はぎゃあぎゃあと喚いた。
「馬鹿だねェ、物事にゃ順序ってェもんがあるんだよゥ。これだから馬鹿な男は短絡で困る」
良いから呼んできな、と飛助に向かって言い、白狼丸は押入れの中に控えさせる。たぶん出番があるからアンタも部屋の外で待ってな、と飛助にも言いつけて、自分は太郎の枕元に座った。
さて、ほどなくして飛助に連れられた平八がやって来た。彼は赤い顔で布団に横たわっている太郎を見て大いに慌てた。
「薬師殿、あの、太郎は……」
「何、ちょいと休めば大丈夫さね。ただ、随分と疲れが溜まってるみたいだよゥ? 何だい、
「そ、そんなことは!」
「何かもう最近は大変みたいじゃァないか。薬の減りも早いしねェ。何かあったのかい、石蕗屋さん。わっちで良ければ話を聞くよゥ?」
小首を傾げて優しい声を出せば、平八は、うう、と項垂れて、ぽつりぽつりと最近の雛乃の所業を語り始めた。
「一人娘だからと甘やかしてしまったのかもしれんが、それでも、あまりに酷すぎる。従業員から不満の声が上がっているのも知っているし、それが原因で辞めたがっている者もいる。ワシはもうどうしたら良いのか」
襖をこっそり開けて様子を伺っていた白狼丸は、思わず「すげぇな姐御」と呟いた。
あんなにもペラペラとしゃべらせてしまうとは、何か薬でも仕込んでいただろうか。いや、平八はこの部屋に入ってから何も口にしていないし、例の扇子も中は空のはずだ。特別な香でも焚いたかとも思ったが、そんな様子もないし妙な香りもない。
元忍びってやつぁすげぇんだな。
そんなことを思う。
平八に気付かれないようわずかに開いている襖をぎろりと睨んだ後で、にんまりと笑みを浮かべた青衣は、力なく項垂れる彼の肩に手を置いた。
「まぁ、そう肩を落とすでないよゥ、旦那ァ。いつもひいきにしてくれる石蕗屋さんのためだ。わっちが一肌脱ごうじゃないかえ」
「え? そ、それは――?」
「ちょいとお嬢ちゃんを連れて来な。思い当たる節があるんだ」
「思い当たる節、というのは?」
「ここだけの話にしといてくれよゥ?」
そう言うと、青衣は身を乗り出して平八にうんと顔を近付けた。一体何を話しているのかと白狼丸はギリギリまで襖に耳を近付けたが、どうにも聞こえない。
話を聞き終えた平八は、呆然と「その通りだ」と呟いている。その呆けた表情のまま、よろよろと立ち上がった。
「わ、わかった。それではいま雛乃を連れて――ああ、けれども最近じゃあワシの言うことなんて全く聞かんのだ。来いといっても、本当に来るかどうか」
「なァに、心配いらないよゥ。ほら、ここに色男がいるんだ。看病してほしいとでも言やァ飛んで来るだろうさ」
悪い笑みを浮かべると、雛乃の太郎への気持ちを知っている平八は、そうか! と言って、いそいそと部屋を出て行った。
彼の足音が遠ざかると、白狼丸のいる押入れをこっそりと開け、「アンタの出番はこれからだ。気張りな」と声をかける。と、言いつけ通り廊下の端にでも隠れていたのか、飛助がひょこりと現れた。
「なぁ姐御よ。あの親父に何を言ったんだ。思い当たる節って何だ?」
「何、白ちゃん聞いてなかったのかよ」
「聞こえるかよ、お前じゃあるまいし」
「何、大したことじゃァないよゥ。
「ほう、成る程」
「さすが姐御、上手いよなぁ。そんでおいら達の出番ってのは?」
行儀よく並んで座っている二人に向かって、「何、単なる力仕事だよゥ」とにこりと笑う。
「何せわっちはそういうのは不得手でねェ」
「何だよ、忍者なんだろ」
「元、さ。それに言ったろ、わっちは殺しは専門外なんだ。荒っぽいのは苦手なんだよ」
「ちょっと待て。力仕事ってまさか嬢ちゃん殺せってんじゃねぇだろうな」
「馬鹿なことを言うもんじゃァないよ。いままでの事例からして暴れるかもしれないだろ。もしもの時はアンタらに出張ってもらうってだけだよ」
「なぁんだ、そっかぁ」
飛助が胸を撫で下ろしたところで、「来た」と目玉をきょろりと動かす。雛乃が近付いてくる足音が聞こえたらしい。
「それじゃ、頼んだよ」
そう言って二人を押し込め、静かに襖を閉めた。
数秒の後に雛乃は現れた。やはりあのかんざしを差し、太郎の枕元に座る青衣に明らかな敵意を向けている。
「よくおいでくださいましたねェ」
猫撫で声で出迎えるが、雛乃はそれを鼻で笑って、すたすたと太郎の元へと移動した。彼女もまた太郎の枕元――つまりは彼を挟んで青衣と向かい合いような位置に座り、まだほんのりと赤みのあるその頬を愛おし気に撫でる。
「太郎様、おいたわしや」
眉を寄せ、小さな声でそう囁く。頬を撫でる手が、だんだんと下へと滑り、つぅ、と彼の鎖骨に触れる。
「あら、お嬢様、それより先はまずいんじゃァござんせん?」
やんわりとそれを止めると、それまで太郎に向けていた柔らかな表情を一変させ、射殺さんばかりに睨みつけた。
「黙れ、この
「おやおや、恐ろしいこと。石蕗屋のご令嬢がそのような言葉をお使いになるたァ驚きだ」
か弱い女を装って、袖を口にやり、おお怖い怖い、と泣き真似をする。
「愛しの殿方の前で恥ずかしくないのかえ?」
などと挑発してやれば、雛乃は面白いくらいに乗っかった。
「黙れ黙れ黙れ。わたくしの太郎様に色目を使いやがって汚らわしい女郎め。お前などこの場で殺してくれる」
そう言うや、懐に忍ばせていたらしい小刀を取り出し、あっという間にその鞘を抜いた。
「最近の小娘はそんなものまで持ってんのかいっ!」
小刀を手に、寝ている太郎をひょいと飛び越えて襲い掛かって来た雛乃を、ひらりとかわす。
「やっぱり、
そう言いながら、仕込み扇子で応戦する。中の薬はもう空だが、護身用に外側の骨には鉄芯が入っているため、小刀くらいならば受けられるようになっている。
青衣とて、護身術くらいは身に着けている。それくらいは元忍びとして当然の心得だ。けれど、それはあくまでも自分が逃げるためのものであって、相手を倒すためのものではない。現役時代は常に組で行動しており、荒事はすべて相方の仕事だった。青衣の命は、身体に一切の泥や血をつけず、何事もなかったような顔をして情報を持ち帰ることだったのだ。
だから、真正面から挑まれるのは正直苦手だ。もしこれが十の小娘ではなく、若い男だったとしたら、あっという間に組み伏せられてしまうだろう。
しかし、さすがに小娘に力で負けるなんてことは、と、青衣は高を括っていた。
――が。
「嘘だろ?!」
雛乃の小刀を受け止めた扇子から、みしり、という音が聞こえ、青衣はそのまま畳の上に押し倒された。
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