粗末な鍬①

「自分を?」

「殺した、だぁ?」


 いつもはまさに犬猿の仲である二人が器用に言葉を繋ぐと、青衣は、「そうさ」と事も無げに頷いた。


「いや、ちゃんと足はあるよなぁ」


 と白狼丸が崩された足を凝視すると、「じろじろ見てんじゃァないよ、この助平」と睨まれる。


「つまり、死んだことにした、って意味? その、世間的には、っていうか」


 飛助がゆっくりと確認するように尋ねる。


「まぁ、そういうところかねェ。城に仕える忍びってェのは、抜けるのも結構大変なんだよゥ」

「そもそも何で抜けようと思ったんだ」

「まァ、元々そこに骨を埋める気はなかったから、それが早まっただけではあるんだけど。それがさァ、聞いとくれよ。そこの城主が代替わりしてねェ、馬鹿息子が殿様になっちまったんだ」

「そいつがあまりに馬鹿なもんで見限ったってとこか」

「いいや、ただの馬鹿ならそれでも良いんだよゥ。周りに優秀なのがわんさかいたからねぇ。そいつはただただヘイヘイって頷いて、酒でも飲んでりゃ良かったんだ。だけど――」


 そこで青衣は畳の上に置いていた扇子を手に取り、それを、だん、と突き刺すようにして打ち付けた。そして、わなわなと唇を震わせるのである。


「あンの馬鹿息子! よりにもよってわっちを手籠めにしようとしたんだよ! ああ汚らわしいっ! 何でこのわっちがあんな醜男の粗末なもんをくわ――」

「だあああっ! 姐御姐御ちょい待ち! 駄目だ、それ以上は!」

「タロちゃん、タロちゃんがいるから! その辺はおいら達聞かなくてもわかるから!」

「くわ? くわ? 粗末な鍬がどうしたって?」

「ほらね! こうなるからね? むしろこれくらいで済んで良かったよね?!」

「太郎、そこは一旦忘れろ。いま重要なのはそこじゃねぇから! な?」

「いやしかし、青衣、その粗末な鍬についてもっと詳しく――」

「あああもう! 何だってそんなに食いつくんだよぉっ!」

「もう良いから! 粗末な鍬のことは!」


 尚もその『粗末な鍬』について問い質そうとする太郎を必死に押しとどめ、続きを早く! と二人同時に促せば、青衣は「あいよゥ」とくすくす笑った。


「何、ちょいと強めに断ったらその馬鹿殿、偉い怒ってねェ。わっちに毒の入った瓶を手渡して、言うわけだ。ワシを取るか、それを飲むか、ってねェ」


 そんなら、毒を選ぶよねェ、と扇子を広げ、自身に向かってはたはたと扇ぐ。


「おい、それは――」


 薬が仕込まれてるんだろう? と太郎が身を乗り出して手を伸ばす。

 

 が。


「効かないのさ、わっちにはね。どんな毒も一切。蛇毒だろうが河豚ふぐ毒だろうが桶一杯に飲んでも平気の平左よ。毒草を煎じた茶を飲んで毒虫を踊り食いしたって死にゃァせん。そういう体質なんだ」


 それはそれでつまらんものだけど、と愉快そうに笑うが、三人は――さすがの太郎でさえも――顔を引き攣らせている。


「そんなに引くこたァないじゃないか。これが、案外イケるんだよゥ?」


 実際青衣にはイケるのだろう。恍惚の表情を浮かべて細く長い指を宙に泳がせている。が、三人がさらにおぞましいものでも見るような目で己を見つめているのに気付き、こほん、と咳払いをした。


「とにかく、だ。わっちはその馬鹿殿の前でそれを飲んだ。この体質のことは誰にも話してなかったしねェ。それで、その城は崖の上にあってね、すぐ下に川が流れていたから、足を滑らせた振りして飛び込んだんだよゥ」


 毒を食らって川に落ちちゃァさすがのわっちもくたばったと思ったんだろ、それにこんな下っ端が一人消えたところで誰も困りゃァしないんだ、だァれも追っちゃァ来ないよ、とその言葉で締める。


 部屋の中には静寂が流れた。

 青衣が抜け忍であるということも、毒を嗜好品として日常的に摂取していそうなところも、俄には信じがたい話であったのだ。


「ま、信じるも信じないも任せるさ」


 三人が黙りこくってしまったのを拒絶の意味に受け取ったか、青衣は初めて少しだけ傷ついたような顔をした。一瞬、ほんの一瞬だけだったが、細められた切れ長の瞳の奥が揺れたような気がして、太郎は「俺は」と口を開いた。


「俺は信じる。それで、これからも青衣は俺の仲間でいてほしい」


 ぴしりと背筋を伸ばし、まっすぐに青衣の目を見つめてそう言えば、白狼丸も飛助ももう迷わない。


「頭がそう言うんじゃなぁ」

「おいらはタロちゃんについていくよ」


 白狼丸が太郎の右肩を抱き、飛助がその左腕を胸に抱く。さらに頬をぺたりとくっつけ、三人の顔が横一列に連なる。


「おやおや、随分仲の良い三色団子だこと」

「姐御も今後これに加わるんだぜ」

「そうそう、四色団子だよぅ」

「わっちは良いよゥ、暑ッ苦しい」


 それに化粧が取れちまうだろ、と笑って扇子を閉じる。


 と。


「にしても、坊。随分と顔が赤いようだけど?」


 そう指摘され、白狼丸と飛助が同時に彼の顔を覗き込む。そういえば、いま頬をつけた時も何だか彼の顔は熱かったと両脇の二人は思った。見ると太郎の顔は、強い酒でも一気に呷ったかのように赤くなっていて、目も潤んでいる。血色の良い唇を半開きにし、困ったように眉を下げる様は何とも色っぽい。


「どうしたんだろう。何か急に暑くなってきた」


 襟を緩めて手で風を送り、はぁ、と息を吐く。くたりと白狼丸に凭れると、飛助が「あっ、ずるいぞ白ちゃん」と太郎の身体に抱きついた。


「うっわ、タロちゃんっつ! 身体もほっかほかじゃん。何? 風病?」

「何だ何だ、腹でも出して寝たんだろ、どうせ」

「失礼な、いつもちゃんと腹はしまって寝てる。風病なんて、いままでかかったこともなかったんだけどなぁ」


 いつもより甘く、吐息混じりの声で、はぁはぁと荒い息をする。白狼丸は確かに飛助が生唾を飲む音を聞いた。

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