茜と白狼丸②

「信じてもらえないかもしれないけど、俺はこの姿になると、本当に、お前のことが好きになるんだ。太郎の時に思うような、友達としての『好き』じゃなくて、胸の奥がうずうずするような『好き』だ。お前に抱き締めてもらいたいと強く願う『好き』なんだ」


 そう言って、また、ほろほろと泣く。すん、と鼻を鳴らして白狼丸を見上げる顔は、やはり彼の愛する女である。太郎だろうが何だろうが関係ない。この女は、茜なのだ。


 そう思ったから、白狼丸はその身体を強く抱き締めた。


「やめてくれ、白狼丸。駄目なんだ。だって俺は、朝になると男に戻るんだ。お前の友達の太郎に。だっ……、だから……っ、今日はお別れを言おうと思って……! 好きだと言ってくれて嬉しかったけど、妻になってくれって言われて……、嬉しかったけど……! でも、お前と添い遂げることは、出来ないから……っ!」


 そう吐き出すと、茜は、童のようにしゃくり上げた。今度は、声も涙も堪えなかった。彼の腕の中でさめざめと泣いて、ふるふると震えた。


「……だから俺は、これからは出来るだけ桃を食べることにした。俺は、桃から生まれた桃太郎だ。桃さえ食べていれば、鬼にはならない」


 桃は魔除けの果実だからな、と悲しげに笑う。

 そして、ぐすぐすと鼻を啜りながら、弱々しい声でぽつぽつと続きを語る。


「良い夢を見させてくれて、ありがとう。茜のことを好きになってくれて、ありがとう。俺の、茜のことは忘れて――」

「嫌だ」


 その言葉を遮る。

 

「おれは忘れるつもりなんてない」

「だけど、そんなの白狼丸だって苦しいだけだろ。俺はもう茜には」

「駄目だ、桃なんか食うな。おれが食わせねぇ」

「食うなって言われても。あのな、白狼丸。太郎に戻ると、俺はお前に対して友達以上の感情はなくなるんだぞ」

「おれだって太郎に対して友達以上の感情はねぇよ。むしろある方が困るっつぅの」

「だったら――」

「うるせぇ。だって、いまのお前はおれのことが好きなんだろ?」

「それは……そうだけど」

「おれが妻になってくれって言った時、茜はどう思ったんだ」


 あの時の茜は、ただただ困ったような顔をして涙を浮かべただけだった。いま思えば、その時既に別れを考えていたのだろう。


 真剣な目でまっすぐ見つめられれば、茜はそれを逸らすことも出来ない。自分を偽ることも出来なかった。またじわじわと涙が滲む。ぱちり、と瞬きを一つすれば、それは雫となって頬を伝う。


「嬉しかったよ、とても。お前の……、白狼丸の妻になれたら、どんなに幸せだろうかって思った」

「おれのことが好きか」

「……好きだ。大好きだよ白狼丸。だから苦しいんだ。朝になると消えてしまうこの思いが切ないんだよ」


 後生だから忘れてくれ、と瞼を閉じた茜の身体を布団に押し倒す。その上に覆い被さり、上から彼女をまっすぐに見つめる。射抜くように、この場に縫い留めて自分のもとから逃げてしまわぬように。


「何も問題はねぇよ」

「え」

「昼間は友達の太郎で、夜はおれの妻の茜だ。何の問題もねぇ」

「ちょっと待ってくれ。白狼丸何を――むぅ」


 その続きを、唇で塞ぐ。角度を変えながら、食むように吸い、ふは、と合間に息継ぎをする。舌をそろりと差し込むと、茜は明らかに戸惑っている様子だったが、拒むことはなかった。ならば遠慮なく、と奥まで侵入し、ゆっくりと絡めさせる。苦しそうに呼吸をしているのも、たどたどしく応じる様もどれも愛しい。


 唇がふやけてしまうかと思うほどの長い口づけを終えると、茜の方はすっかり息が上がっていた。


「い、いきなり何するんだ。さっきも言ったけど、俺は男で」

「いまは男じゃねぇ」

「そうだけど。でも、朝になれば」

「なればな。いまは夜だぞ」

「夜だけどさ」

「おれの妻になれたら、幸せなんだろう?」

「そうだけど……っ!」

「おれだって茜が妻なら幸せだ。そんで朝になったら太郎と、それとあと飛助と石蕗屋あそこで働いてさ。休みの日には青衣の姐御んとこ行って茶でも出してもらってよぉ」

「うう……」

「そんで、また夜になったら妻のお前を抱くんだ。な、幸せだろう? いつまでも一緒だ」


 立派な犬歯を見せて、にぃ、と笑うその顔は、いつもの白狼丸だ。太郎にも茜にも、いつもまっすぐに感情をぶつけてくる裏表のない男である。


 その、彼が言うのだ。


「もうおれは、お前を手に入れた気でいるからな。何たってお前はおれのことがどうしようもなく好きなんだろうし、おれもお前のことがどうしようもなく好きなんだ。朝と夜で変わるからって何だ。昼は友達、夜は妻。どっちもおれのものだ。そうだろ?」


 お前は、おれのものだ。


 とどめのようにそう言って、返事も待たずに口を吸う。恐々とそれに応じる彼女の身体が小刻みに震えているのに気が付いて唇を離すと、必死に声を殺しながら泣いている。その涙を指で拭い、そういえば茜の返事を聞いていなかったことを思い出す。まさか泣くほど嫌だったとは思いたくないが。


「茜、何で泣くんだ。おれのことが嫌になったのか?」


 恐る恐るそう尋ねると、ふるふる、と首を振る。


「黙ってちゃわからねぇよ。なぁ、どうした」


 まなじりに口づけて、休みなく流れる涙を舐めとる。塩辛いその味の中にもうっすら桃の香りがするような気がして、こいつの中の桃なんて、全部流れてしまえば良いのにとさえ思う。


「嬉しいんだ、白狼丸。俺もお前を手に入れたと思って良いんだな。お前は、俺のものだな?」


 震えた声でそう言うと、白狼丸の返事を待たずに、今度は茜の方から口づけた。


 そうとも。

 おれはお前のもんだし、お前はおれのもんだ。


 その思いを乗せて、白狼丸は、茜の身体を強く抱いた。

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