かんざしの呪い

鬼の島の宝①

「そこのきれいなお嬢さん、どうだい、ちょっと見ていかないかい?」


 そう声をかけられて、立ち止まる。声の主は、ござの上に品物をずらりと並べた移動物売りである。


「きれいなんて、嬉しい世辞を言ってくれるじゃないの」


 袖で口元を隠し小首を傾げれば、声をかけた店主は「世辞なんかじゃないさ、お嬢さんほどの別嬪、そうそういないよぉ」と目尻を下げる。


「まぁお上手。そこまで言われちゃしょうがない。ちょいと見せてもらおうかしらね」


 そう言って、店主の正面にしゃがみ込み、品物を一つ手に取って、ふうん、と鼻を鳴らした。


「あたしにはちょいと派手じゃないかしら」

「そうかい? 似合うと思うけどねぇ。お嬢さん目鼻立ちもはっきりしてるしさぁ」

「あたしみたいなのは少し地味なくらいがちょうど良いのよ。この顔と喧嘩しちまうでしょう?」


 店主の顔にうんと近付いて、ふふん、と笑うと、彼は、ひょぉ、などとおかしな息を漏らして「そ、そうかもしれんねぇ」と視線を泳がせた。


「こないだ東地蔵あずまじぞうの方でね、十くらいのお嬢ちゃんが、とても素敵なかんざしを差してたのよ。黄色い石が一つついてるやつ。あれくらい控えめなのが良いんだけど。似たようなのはないのかしら」


 品物を一つ一つ手にとって、これは石の形がねぇ、であるとか、青ならもう少し深い色が、なんて呟くと、店主は「いやぁ残念だ」と言って、その手を取った。デレデレと鼻の下をだらしなく伸ばし、それを擦っている。


「その嬢ちゃんがつけてたやつはウチの商品だったんだよ。いやぁ、お嬢さんに会えるとわかっていたら売らなかったのに」

「まぁ、そうだったの。残念だわ。それは一点物なのかしら? もし仕入れ先がわかるなら、あたしが直接――」

「いやいや、無理無理無理無理!」


 その手を両手で挟んだまま、彼はふるふるとかぶりを振った。


 きたねぇ手を放しな、この豚野郎。


 心ではそう思っていても決して顔には出さない。にこにこと笑って「どうして?」と甘い声を出す。


「あれだけはねぇ、ほんとのほんとに一点物なんだ」


 ここにあるやつならいくらでも仕入れられるんだけどさぁ、と言って、残念だ残念だ、と繰り返す。


「ほんとのほんとに一点物、っていうのはどういうこと? 職人さん、引退でもしたのかしら? ああ、ちょいと失礼。何だか今日は暑くって」


 さりげなく手を離し、懐に差していた扇子を取り出すと、それをばさりと広げ、はたはたと扇ぐ。旦那さんも暑くない? などと鼻にかかった声を出し、風を送ってやると、強い酒でも食らったように目まで赤くなった店主は、ふはふはと鼻息まで荒くしている。


「い、引退っちゅうわけじゃ、な、ないんだ。あれは、海を渡った島にあったものでな。へぇ。き、聞いて驚くなよ? 鬼の島さ。わ、わかるかい。西郡沖にしごおりおきからまっすぐ東へ漕ぐんだ。元は千石せんごく島って言うんだが、いまは『鬼ヶ島』なんて、よ、呼ばれててな」

「へぇ、そうなの。それで? もっと詳しく聞きたいわぁ」


 しなを作って、彼の耳にそっと息を吹きかければ、店主はいよいよ茹で上がった蛸のようになった。


「た、たまたまだったんだ。も、もう、な、何年も、ま、前のことだが、酷い嵐が去った後でな、りょ、漁に出たわけぇもんが、流されて、そこに着いちまった。そ、それで、はぁ、ええと、そう、その海岸に落ちてたんだと、そのかんざしが。それで、ふぅ、とりあえず、西郡沖に戻ろうと船をだ、出したところで、鬼が、あ、現れて、それで、はぁ、い、命からがら逃げて、来た、って、話で」

「成る程ねぇ。それで、その漁師は? 無事に帰れたの?」

「はぁはぁ、ああ? りょ、漁師? お、おうとも。何せ、その漁師から売ってもらったんだ。お、鬼の島の宝だ、ってなぁ。だ、誰に見せても、見たことのない、石だ、って、はぁ、言うし。て、寺の坊主が、い、言うには、何やら、ものすごい、ち、力がどうとか、って、はぁ」


 店主はそう言うと、ひと際大きく、はぁ、と息を吐いてひっくり返った。でっぷりとした腹が大きく上下に動いている。しまりのない顔をしたままよだれを垂らし、ぷひゃあ、などと言いながら夢の世界へ旅立ったようだ。


「こいつからはこれくらいかねェ。さァて、お次はその漁師だ」


 扇子をぱたりと閉じて懐に戻し、袂に入れておいた小さな酒瓶を転がすと、わざと大きな声で「いやぁね、旦那ったら、客の前で昼間っから飲むもんじゃないわよ」と言って、立ち上がった。通行人がくすくすと笑いながら通り過ぎていく。そのうちに何だ何だと人が集まり始め、その中にサッと紛れ込んで、青衣は人込みの中に姿を消した。



 二日ももらえりゃ、と宣言した青衣が石蕗つわぶき屋を訪れたのは、そのすぐ翌日の午後のことだった。


 すっかりお抱え状態の青衣に「店先の色男、何だか顔色が優れないんじゃないかえ? 良く効く薬を調合してやるから奥の部屋を借りるよ。連れてきな」と言われれば、二つ返事の平八である。五月と八重に暇を出してしまったいま、頼みの綱は太郎しかいない。何としても万全の状態で客を引いてもらわねばならぬ。


「それから、出来れば……そうだねェ、もう少し男手が欲しいねェ。一人……いや、二人だ。薬を磨り潰すのって結構な重労働なんだよゥ。ほら、わっちの細腕を見てご覧な。これじゃァ何刻もかかっちまう。それで、そうだねェ、出来ればこの色男に近しい者が良いんだけど。――え? だって、その方が色男も気が休まるだろう? 病は気から、って言うからねェ。さ、頼んだよゥ、旦那」


 そんなことを鼻にかかった甘え声で言われれば、いくら平八が愛妻家とてひとたまりもない。パンパンと両手を打ち鳴らして「おい、太郎を奥の部屋へ! それと、白狼丸と飛助を呼んで来い!」と声を張り上げた。

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