雛乃の変化②
「しかし、何だってまぁ急になぁ」
ひょい、と太郎の皿に残っていた漬物を白狼丸が奪う。
「一平さんとこにもあれくらいの娘さんがいるらしいんだけど、その子はまだこんな感じじゃないって言ってたよ」
「伊助さんとこのは十二っつったかなぁ、そんくらいの時が一番酷かったって言ってたっけなぁ」
「そういうものなのか」
はぁ、とため息をつきながら、そんなことを話す。いつかは収まるのだろうが、正直きつい。余所様の子、それも雇用主の一人娘と思うと強く出られるものでもない。下手なことをすれば首が飛ぶ。この三人の場合――といっても太郎だけは無事だろうが――本当に首が飛びかねない。
「おいら思うんだけどさぁ、あれがきっかけじゃないかな、って」
「あれ?」
「あれだよあれ、水難のやつ」
「ああ、あん時のか。何かすげぇ気にしてたもんな」
「そうなんだ。ほら、おいらが散々連れ回された時さ」
「お前が半べそかきながら飯食ってた時な」
「半べそじゃないよ、もう全べそだったよぅ」
「全べそって何だよ、全べそって」
「あの日は大変だったもんな、飛助」
労わるような視線を向けると、飛助の目にはまたじわりと涙が滲む。
「タロちゃぁん、おいらを癒してよぅ。そうだ、今日はおいらと――あいたぁっ!? もうポンポンポンポン叩かないでよ白ちゃん!」
「お前どさくさに紛れて太郎に何しようとしてんだよ!」
「良いじゃん、添い寝するくらい。……って、それは置いといて。そう、その連れ回された時なんだよ。薄気味悪いかんざしを買ったんだ、お嬢様。五
「あれだろ、最近ずっとつけてるやつ」
「猫の目玉みたいな石がついてる」
「そうそう。なぁ、あれって可愛いのかな? おいらにはちょっとわかんないんだけど。少なくとも十の娘が似合うような感じじゃないと思うんだよなぁ」
「でも、人の好みは様々だからな。飛助が良いと思わなくても、雛乃お嬢様は良いと思ったんだろ」
「そうなんだけど。でもさ、それを買った道すがら、お嬢様、言うわけよ。憑き物でも落ちたみたいに大人しくなってさ、『これでもう安心だわ』って。何のことですか、って聞いても教えてくれなかったけど」
これでもう安心、かぁ、と白狼丸と太郎は目を合わせた。
「その時はまぁいっか、って思ってたんだけどさ。それまで水難について酷く怯えてたろ? そんで、青衣の姐御がいないってんで取り乱してさ。そんで、かんざし買った途端に大人しくなって、『これでもう安心』となれば――」
もしかして、何かしらの
飛助がそう締めると、ごくり、と白狼丸が唾を飲んだ。太郎は、成る程、と深く頷く。
「しかし」
そう、しかし、なのである。
「かといってどうする」
「無理やり奪いとるのか? 嬢ちゃんから」
それこそおれらの首が飛ぶんじゃね? と白狼丸が言う。飛助も、だろうね、と同意した。
「やるとしても、まずは旦那を味方につけねぇとまずいだろうな」
「でもさ、根拠がないわけよ。お嬢様の奇行はそのかんざしのせいですから――なんてさ。あくまでもおいらの推測ってだけだし」
「確かに」
結局、打つ手もないまま、時が解決してくれるのを待つしかないのでは、と無理やり話を終え、三人は各自の持ち場へと向かった。
太郎が店に戻ると、彼の代わりに客を引いていた女中から、五月と八重は解雇ではなく、しばらくの間暇を出すことにしたらしいと告げられた。とりあえず雛乃が落ち着くまで、と。雛乃が何と言おうとも、平八の方ではあの二人を手放すのは惜しいようである。
さて、お嬢様の怒りはいつ冷めるやら、とため息混じりに天を仰ぐ。空はからりと晴れていて風が心地よい。
その風に、ふわりと甘い香りが混ざって、そちらに目を向ければ、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる青衣の姿が見えた。
「やぁ、坊」
「青衣、また薬を届けに来たのか?」
「そうだよゥ。ここ最近の
まぁ、坊に会えるから良いんだけど、と楽しそうに笑う。
薬の減りが早いのは、雛乃による擦り傷切り傷などの怪我が絶えないからである。身体の方だけではなく、彼女の罵倒によって心の不調を訴える者も増え、それを緩和するための漢方の類についてもあっという間になくなってしまう。
「青衣」
「何だい、坊」
「困ったことがあったら力になってくれるって言ったよな」
まっすぐに見つめてそう言うと、青衣は、ばさり、と扇子を広げて口元を隠し――、
「もちろんだとも」
と言って、笑みを浮かべた。
「雛乃お嬢様のかんざしを調べてもらいたいんだ」
「かんざし?」
「青衣から水難の相があると告げられたその翌日に買ったんだが、飛助の話では、その時の様子も何かおかしかったらしい。たまたまかもしれないけど、確かにその後から何だか人が変わったようになってしまったんだ。それでちょっと気になってさ。もしかしたら何か関係があるんじゃないかって」
そう言うと、青衣は目を伏せて小さく息を吐いた。
「いやァ、あのお嬢ちゃんにゃァ可哀相なことをしちまったねェ」
「可哀相なこと?」
「水難の相なんて、わっちの出任せなんだよゥ」
「そうなのか? でも現に――」
「それこそたまたまさね。あの手の占いなんてねェ、何かしらあれば当たったってェことになるし、何事もなけりゃァ、予めわかってて用心したから避けられたんだ、ってェ思うだろう? そっちに気ィ取られりゃァ、ちったァ大人しくなるかと思ったんだよゥ」
いやはや、失敗失敗、と軽い調子で言って一扇ぎし、「しかし、それなら尚更働かせてもらわないとねェ」と目を
「飛助の話では、大通りの真ん中辺りにいた移動物売りから買ったらしい。詳しいことは飛助に聞いてくれ。俺はあまり休みがもらえないから、自由に動けないんだ。出来るだろうか」
出来るか、だってェ? と青衣は挑発的な笑みを太郎に向け、ふん、と鼻を鳴らす。
「調べものこそこの青衣姐さんの
ほほ、と目を細めると、それじゃ早速お猿のところにも行かないとねェ、と言って、しなりしなりと腰をくねらせて去っていった。
その夜、太郎が遅めの夕食のために食堂へ向かうと、風呂上りらしい飛助と出くわした。
「そっちに青衣が行ったか?」
挨拶もそこそこにそう尋ねる。
「姐御? 来た来た。かんざしのことを聞かれたよ。何、タロちゃん。姐御に何か頼んだの?」
「ああ。俺達はなかなか自由に動けないからな。青衣に探ってもらおうと思って」
「なぁるほどねぇ。でも、姐御ってただの薬師だろ? そんな密偵みたいな真似出来んのかなぁ」
だったらおいらの方がまだ――と続けると、太郎はそれを「いいや」と遮った。
「たぶんだけど、青衣はただの薬師じゃない」
「そうなの?」
「そんな気がする。だから――」
他人のことなんて、どこまでもわかるし、どこまでもわかりゃせん。
青衣はそう言った。どこまでもわかるし、どこまでもわからない、と。
恐らくは、性別や年齢、着物や装飾品、立ち居振る舞いに視線、そういうものから、その人となりを読み取ることに長けているのだろう。あのわずかな時間で、実に良く見ている。そして、どう働きかければ、相手を意のままに動かすことが出来るか、ということもわかっているようだ。
「だから、信じて待とう。青衣なら、絶対に何かを掴んでくれるはずだ」
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