雛乃の水難騒動③

 まぁ何ということもない話である。


 あれからこれといった水難はなかったが、それでもここまでずばり当てられては気味が悪い。それに、あの後何事もなかったのは、「水に気をつけろ」という彼女の予言があったからこそなのではないか。つまり、それを知らなければ、もっと酷い目にあっていたかもしれない、ということである。


 なので、もう一度会って色々話を聞きたい、と。


 そこで飛助は、もう一度占ってほしい、ではなく、会って話を聞きたい、というのが引っかかった。会って何の話を聞くつもりなのだろう、と。だから、その通りに尋ねた。会って色々何を聞くんです? と。


 すると雛乃はもじもじと恥ずかしそうに俯き加減で話し始めた。かなり小さな声だったが、飛助は耳が良いので問題はない。


「昨日、太郎様とあの扇子屋に行ったの。そこで太郎様とのことを占ってもらったのよ。そうしたら、止めた方が良いって、あの女……じゃなかった薬師様に言われて」


 ほうほう、と頷きつつも、太郎の目の前で「こちらの方との相性を占ってください」と言ったのだろうか、という点が気になる飛助である。だとしても、きっと太郎のことだから、何が何やら、といった顔でそれを聞いていたのだろう。その姿が容易に想像ついて、飛助は密かに苦笑した。お嬢様も何とも難儀な相手に惚れたものだと。


「それでわたくし、かぁっとなってしまって、お茶をかけてしまったの」

「えぇ? そんなことしちゃったんですかぁ?」


 思わず声を上げると、雛乃はしゅんと肩を落とす。


「だって、わたくしの手のひらを見ただけで、太郎様には心に決めた方がおられるなんておっしゃるのよ? 太郎様の手を見たのならまだしも」

「それは……確かに不思議ですねぇ。ていうか、何、タロちゃんってばそんな人いたんだぁ。おいら、初耳~。白ちゃんに聞けばわかるかなぁ? それでタロちゃんの反応は?! ずばり当てられてそわそわしてたりして?」


 こうなると雛乃の話よりもそっちの方が気になってしまう。そもそもあの太郎にそんな感情があったのかと。


「いいえ、何も。というか、別にあの場では太郎様の名は出しておりませんもの。あくまでも、『わたくしの好いた殿方』に、ということです」

「なぁんだぁ。でも、まぁ、不思議ですよねぇ。すっげぇなぁ、手のひら見ただけでそんなことまでわかるのかぁ」


 まじまじと自分の手のひらを見つめる。ここ最近は彫り物ばかりしているからか、乾燥して荒れてしまっている。青衣の姐御に手荒れ用の軟膏でももらおうかな、などと考えた。


「とにかく、その時のわたくしは、どうせ適当なことをおっしゃってるのだと思って」

「それでお茶をぶっかけた、と」

「そうです。……だけど、水難の方は怖いくらいに当たりましたし。なので、もしかしたら、太郎様のことも本当なんじゃないかと思って、それで」

「それで?」

「何か助言でもいただけないかと」

「成る程」


 ていうか、まずはきちんと謝罪すべきなのでは、と思う飛助である。


 それに、そんなに当たるんだったら、本当に望みはないと思わないのだろうか。


 そうも思うのだが、まぁそれほどまでに好きなのだと考えれば、それもまた可愛いではないか。若い頃というのは、とにかく盲目的になるものだ。それに、あの太郎である。老いも若きも女人なら誰もがときめく――いや、男も何人落としたか、というくらいの男なのだ。飛助も男色の方には全く興味がなかったはずだが、太郎ならばイケるのではと思ってしまうほどである。簡単に諦めきれるものではないのだろう。


「そ、それと、あと、水難は去ったけど、もしかしたら他にも何かあるかもしれないし、それも聞いておきたくて……」


 そう話す彼女は心なしか顔色が悪い。その様子を見れば、何だ、やはりこっちの方が本題なのではないか、と思えてくる。


 だから――、


 とりあえず姐御に会ったら、まずはしっかり謝罪させないとな、と飛助は思った。




「いらっしゃいませ」


 件の扇子屋に到着してみれば、出迎えてくれたのは老店主である。


「すみません、こちらに薬師様がおられるかと」


 飛助がそう尋ねると、腰の曲がった店主は「はぁ」と掠れた声で言い、「申し訳ありませんが、いま出ておりまして」と頭を下げた。


「おや、お使いにでも出られたんですか?」

「へぇ、何でも薬草を採りに行くとのことでして。よくあることなんですよ。いつもなら三日ほどで戻りますから」

「そうなんですね。お嬢様、三日くらいですって」


 また出直しましょう、と後ろに控えていた雛乃の方を向くと、彼女は両手を胸の辺りで握りしめ、小さく震えていた。


「そ、そんな、三日もですって……? それじゃあわたくしはその間、どうすれば」

「いやいやお嬢様、考えすぎですって。だぁいじょうぶ、三日なんてすぐですよぅ」


 実際、飛助にとって、三日などあっという間なのである。あっという間過ぎて、三日前に己が何を食ったかも思い出せないほどだ。


 しかし、雛乃の方ではそうはいかないらしい。

 カタカタと震え、頬を撫でる風にさえもびくりと身を強張らせている。


「お嬢様、気にし過ぎた方が毒ですって。ね? ほら、何か甘いものでも食べて帰りましょ? 昨日食べた餅なんかどうです」

「何をおっしゃるの飛助! わたくしがその餅を喉に詰まらせでもしたらどうなさるおつもり!」

「えぇ――……」


 餅難なんて言葉、あったっけ……? と首を傾げる飛助を置いて、雛乃は走り出した。


「あの、あちらの娘さん、大丈夫でしょうか」


 心配そうな目を向ける老店主に、「大丈夫大丈夫」と返したものの、内心「いや、絶対大丈夫じゃないな」と飛助は思い、慌ててその後を追いかけた。


 白狼丸よりは遅くとも、飛助とて多少走りには自信がある。十の小娘を見失うこともなく――というか、雛乃は、通りを少し行ったところの店と店の間でござを広げている移動物売りの前でしゃがみ込んでおり、あっさりと追い付いた。


「お嬢様、何か気になるものでも?」


 その隣に並び、腰を落とす。見れば、かんざしや髪留め、それから櫛など、確かに女児が足を止めたくなるような品揃えだ。ただ、十の娘が身に付けるには少々飾り気がなさすぎるように見える。品物の前に置かれた値札を見ると、余程良いものを使っているのか、こんなところで広げて大丈夫なのかと心配になるほどの値であった。


 餅や団子ならまだしも、とてもじゃないが買ってあげるとは言えないなぁ。


 そんなことを思う飛助である。


「……飛助」

「何ですかお嬢様。申し訳ないですけど、おいらの手持ちでは無理ですよぅ」

「そんなこと言ってません」

「なら良かった」

「お父様からお金をもらってきてちょうだい。五ようほど」

「ご、五葉も!? 無理ですよ! おいらが何で石蕗屋あそこで働いてるか知ってるでしょ!?」

「良いから!」


 結局一度は折れて石蕗つわぶき屋に走ったものの、当然のようにそれは断られ、雛乃の元に戻れば、役立たずと罵られる。仕方なくその商品を取り置いてもらうことにし、二人で金を取りに戻ることとなった。

 途中、雛乃が疲れたと言い出し、止む無く彼が背負うこととなったため、このまま屋敷で待ってはどうかと提案したのだが、平八からは金を持ち逃げされたら困ると怒鳴られ、雛乃からは目の前で確実に買うまでは安心出来ないと泣かれる始末。そういうわけで、泣く泣く再び彼女を背に乗せていくこととなったのである。


 そうまでして雛乃が手に入れたがったものというのは、真ん中にひびのような黒い縦線が一本入った黄色い石のついているかんざしである。

 その石はまるで猫の目玉をそのまま抉り取ったようにも見え、正直に言わせてもらえば、不気味なだけでちっとも可愛くはない。


 けれど雛乃はそれを髪に差し、「これでもう安心だわ」と当然のように飛助の背に乗って上機嫌なのである。それが独り言なのか、それとも自分への言葉なのか判別がつかず、いずれにしても話を膨らませてやろうと「何が安心なんですか?」と問うた。しかし、「飛助には関係ありません」とぴしゃりと返されてしまう。


 もう、何なんだよぅ。


 軽いはずの雛乃の身体がずしりと重くなったように感じ、飛助は彼女に気取られないようひっそりとため息をついた。


 そうしてやっと屋敷に戻ると、雛乃のかんざしを見た平八は、そんなものに五葉も払ったのかと目を吊り上げた。けれど、可愛い娘が選んできたものにけちはつけられない。行き場のない怒りは飛助に向けられることとなり、お前がついていながら! と八つ当たりのおまけまでついたのである。



 その日の夕食、運よく太郎と白狼丸と一緒になった飛助は、「今日は厄日だったよぅ」と涙目で飯をかっ込んだ。


「今日の飯、何だか塩辛いや。おいらの涙のせいかな、ははっ」


 と力なく笑う飛助の姿を見れば、さすがの白狼丸も「何つぅか、まぁ、災難だったな」と優しい言葉をかけざるを得ない。太郎は太郎で茶を注いだり背中を擦ったりと甲斐甲斐しく彼の世話をした。


 二人と飯が食えたことだけが救いだよぅ、と、飛助はまた少し泣いた。

 

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