真夜中の逢瀬②

「なぁ、佐吉っつぁんよぉ」

「何だ」


 佐吉さきちというのは、白狼丸と同じ倉庫係である。もちろん彼よりもだいぶ長く働いていて、年も十は上だ。


 口よりも手を動かせよ、と一応は言うものの、この白狼丸が案外よく働くことは倉庫係の男衆全員が知っている。


「ウチの店に五月姉さんや八重姉さんよりきれいな女っているか?」

「はぁ?」


 石蕗つわぶき屋の五月と八重といえば、この東地蔵あずまじぞうでも評判の小町娘である。最近は太郎のお陰で少々霞みつつあるのだが、それでもここいらの誰が一番美人か、という話になれば、まず間違いなくこの二人の名が上がるだろう。


「ウチの店ならあの二人だろ」


 佐吉がそう返すと、「いいや」と、奥の棚から伊助がひょっこりと顔を出した。唾が入らぬようにと口元に巻いた白布を少し下げてニヤリと笑う。


「太郎だろ。いまじゃアイツが石蕗屋ウチの看板娘だからな」


 伊助の言葉に「女っつったろ。太郎は男じゃねぇか」と噛みつく。


「落ち着けよ白狼丸。そんでその美人がなんだってんだ」

「昨日見かけたんだ、ウチの中庭で」

「ほぉ、昨日のいつよ?」

「夜半」

「なぁんで俺らを起こしてくれねぇんだよ」

「ぐうぐう気持ち良さそうに寝てっからよぉ、悪くてなぁ」


 ひひひ、と笑い、すぐ近くの棚で作業していた庄之介に「おっと庄さん、その豆は駄目だ」と指摘する。無駄口を叩いていてもその嗅覚はしっかり機能しているらしく、伊助と佐吉は、ほぉ、と目を見合わせた。


「いやしかし、太郎でもないとすると、なぁ」

「本当は太郎だったんじゃないのか?」

「いくら何でも太郎なら寝ぼけてたってわかるっての。女だった。間違いねぇ。何なら太郎より美人だったくらいだ」

「おいおい、太郎よりかよ!」

「俺も見てぇ!」


 色めき出す倉庫係の男衆に、だーめ駄目駄目、と白狼丸が首を振る。


「あいつは絶対におれのおんなにするんだから、絶対駄目だ!」


 鼻息荒くそう宣言すれば、十五の青二才が何を言うかと倉庫内の男衆は苦笑した。

 



「だからさ、すっげぇ美人なんだって」


 その日の昼、食堂でたまたま飛助に会った白狼丸は興奮気味に昨夜の話をした。


「でもさ、伊助さんも佐吉さんも心当たりないんだろ? 新しい子も入ってないみたいだし」

「そうなんだよなぁ」


 昼食をあっという間に平らげた白狼丸は楊枝を咥えて天井を見上げた。


「泥棒とかなんじゃない?」

「ウチの寝間着着てか?」

「そうそう、そしたら怪しまれないじゃん?」

「だとしたら盗んだものはどうすんだ。寝間着の中に隠すのかよ」

「そうそう、こう、帯のところに一葉紙幣を挟むわけ」


 自分の帯の中に手を入れつつ、飛助は「ううん、きっちり詰めればざっと三百葉はいけるかな?」と言って笑った。


「てめえ馬鹿猿。お前完全にふざけてるだろ」

「でへへ、バレたぁ? だぁってさ、何? 五月姉さんと八重姉さんよりきれいで? そんでもってタロちゃんよりも、ってんだろ? そんなの信じられるわけないって。もういっそあやかしか物の怪か――」


 と調子良くしゃべっていた飛助が、そこでぴたりと止まった。


「そうなんじゃない?」

「何がだよ」

「だからさ、妖か物の怪じゃないかってこと。人を惑わす妖の類ってさ、きれいなお姉様の姿をしてたりするって話じゃないか」


 その女、ちゃぁんと足はあったかぁい? と飛助は調子に乗って声色まで変える。


「あった! 間違いねぇ! っそくて折れちまいそうな足首だった!」

「ちぇー、つまんないのぉ。そんじゃ、あれだ」


 まだくだらんことを言うのか、とぎろりと睨みつけたが、飛助は全く怯む様子もない。


「旦那様の愛人とか」

「はぁ?」

「だぁって誰も知らないんだろ?」

「誰もって倉庫の兄さん連中にしかまだ聞いてねぇ」

「十分だって。ほら、前に言ったじゃんか、二階で女侍らせて酒飲んでるってさ」

「それはお前の作り話だろ」


 そう、この石蕗屋の二階には鬼が住んでいて女を侍らせて酒を飲んでいるという話だったのである。けれどそれは、太郎と白狼丸を脅かしてどうにか別の町へ行かせようとする飛助の苦しい嘘だったはずだ。


「まぁね。でもさ、そういう噂みたいなのはあったりするんだよ。火のないところに~って言ったりするじゃんか」

「何言ってんだ。あの狸親父は女将さんの尻にがっつり敷かれてるだろ」

「それはそうなんだけどぉ~」


 あはは、と軽く笑う。

 しかし、考えられぬことではない、と白狼丸は思った。愛人、とまではいかなくても、何かしらの訳があって平八のところに身を寄せているのかもしれない。そういうことならあるかもしれない。あれだけの美人に頼まれちゃあ、例え妻がいたとしても嫌と言える男なんていないだろう。



 その日の夜、白狼丸は寝付けなかった。

 いや、寝る気などなかった。あの女はまたここへ来るかと聞いた時、確かに頷いたのだ。それはいつなのか。その辺りを確認しなかったことを悔いたが、ならば毎日行けば良い。


 そう思い、部屋の男達全員の寝息が聞こえたところで、白狼丸はこっそりと布団から這い出た。


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