雛乃の水難騒動①

 少々早いが石蕗つわぶき屋に戻ろうという話になり、四人は地蔵大通りを気持ちゆっくりと歩いた。帰るとはいっても門限が迫っているわけでもないため、気になる店があれば寄っても良い、それくらいののんびりとした帰路である。


 さすがに四人横並びで歩いては通行の妨げになるということで、前列に太郎と雛乃、少し離れて後列に白狼丸と飛助いう組み合わせである。

 一応さっきまで臥せっていたわけだし、何かあるかもしれないから、と白狼丸は雛乃に場所を替わるよう言ったのだが、彼女は頑としてそこを動かなかった。


「だったら後ろで控えていれば良いではありませんか」


 そう言って太郎の腕にしがみつくと、彼は金縛りにでもあったかのようにぴしりと固まってしまう。さすがの白狼丸にも大店のご令嬢に荒っぽい真似は出来ないため、結果として、雛乃は太郎の隣を勝ち取り、にこにこと上機嫌で歩くこととなったわけである。


「……飛助よ」


 声を落として隣の飛助に声をかける。

 すると、彼の方でもそれに合わせて低い声を出した。前列の二人は楽しそうに会話を――といっても太郎は相槌を打っているだけだが――しているようで、後列のやり取りは聞こえていないようである。


「何だい白ちゃん。おいらのこと名前で呼ぶなんて珍しくなぁい?」

「いちいち突っかかってくんなって」

「もう、なぁんだよぅ」


 一層声を落として「嬢ちゃんだよ」と言えば、彼が言わんとしていることを察したのか「あぁ」と返ってくる。が、その後に続いた言葉が「可愛いよねぇ」だったことで、伝わってねぇじゃん、と肩を落とす。

 白狼丸のその反応に「いやいや、そうじゃなくてさ」と苦笑する飛助である。


「タロちゃんのことだろ?」

「まぁ、そうだな」

「だから可愛いじゃんか、あれくらいの女の子の恋ってさ」

「そうかぁ?」

「独り占めしたいんだろ。仕方ないよ、子どもなんだから」

「その割には随分ませてるというか、強かというか」

「あのねぇ白ちゃん、わっぱだからってぇ甘く見ちゃあいけないよ。女ってのはさ、もう五つくらいから立派に女なんだから」

「そういうもんかねぇ」

「そういうもんなの」


 太郎様、太郎様、と彼が病み上がりであることをすっかり忘れているのか、くいくいと袖を引いてはずらりと並ぶ店を指差してにこにこと笑う。そうして、楽しげにのろのろと歩き、生花屋の前にさしかかった。主が店の前で切り花の茎にちょんちょんと鋏を入れて、長さを揃えている。何か良いことでもあったのか、ふんふんと鼻歌まで歌っていた。


 その彼の傍らにある、水の入った桶を見て、太郎はふと思い出し、立ち止まる。

 急に止まった太郎に、雛乃が「太郎様?」と彼を見上げた。


「雛乃お嬢様、実は先ほどの薬師から伝言がありまして――」


 と、その続きを語る前に、太郎の手が雛乃の肩を、ぐい、と引く。そうして、彼女を守るようにして抱き寄せると、その腰辺りに、ばしゃり、と冷たい水がかけられた。


「えっ?!」

「おわっ、太郎どうした」

「あちゃあ、親父さんちゃんと周りを見なよぅ。タロちゃん、大丈夫?」

「俺は大丈夫だ。雛乃お嬢様は、ご無事ですか?」

「わ、わたくしは大丈夫ですけれど……」


 と、水をかけた張本人が真っ青な顔でやって来る。先ほどの店主である。


「も、申し訳ございません! ついうっかりよそ見を――」


 何度も何度も頭を下げ、着物まで弁償しようとするその店主を、泥水でもあるまいに、となだめ、どうせあとは帰るだけだからと手拭いだけを一枚頂戴して去る。


「おいおい、今日は何だか厄日だなぁ、お前。水難の相が出てるんじゃないか?」


 と白狼丸がびしょ濡れの太郎の尻を突いて笑う。桃だってありゃあほとんど水みてぇなもんだしな、と。


「そういうこと言うもんじゃないよ、白ちゃん。いっつも一言多いんだからなぁ」


 と飛助が太郎から手拭いを奪い、それを鞭のようにしならせて白狼丸の手を打つ。


「いや、俺じゃない」


 きっぱりと言い切る太郎に、じゃあ誰なんだよ、とやはり白狼丸が笑い混じりに言う。


 すると太郎は、自身の隣を歩く雛乃を見た。


「雛乃お嬢様、あなたに水難の相が出ているそうです」

「わ、わたくしですか?」

「はい。お伝えするのがすっかり遅くなってしまいましたが、先ほどの薬師が言っていたのです。雛乃お嬢様に水難の相が出ているから、今日一日、よく気を付けるように、と」

「そんな……」


 しかし、思い返してみれば、先ほども店の側を歩いていたのは雛乃である。もし太郎が気付いて庇わなければ、あれを被っていたのは彼女のはずだ。

 

 まさか、と無理に笑ってみせたが、そういえば太郎が倒れた時、驚いた拍子に膝の上の皿を落としてしまったことを思い出す。あの皿の上には果汁の滴る桃が盛り付けられてあって、それは当然のように彼女の着物にもかかっていたのだった。それも『水』に含めるとするならば、確かに水難ではある。


「まぁ、気にすんなよ。たまたまだろ?」


 相手が太郎なのであれば茶化す気満々の白狼丸であったが、それが雛乃となると話は別だ。彼女はすっかり青ざめて、どうしましょう、と震えている。


「だぁいじょうぶだよお嬢様。おいら達がついてるじゃないですか。それにほら、現に今回はタロちゃんがしっかり守ったわけですし?」

「そうですよ。屋敷までしっかりお守り致しますので、ご安心ください」


 その言葉に励まされ、雛乃はよろよろと歩き出した。さっきまでの威勢はどうしたと、白狼丸は、喉までせり上がってきているその言葉をぐっと飲みこんだ。さすがの彼もそれくらいのことは出来るのである。


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