青衣の予言②
太郎が目を覚ましたのは、見慣れぬ部屋である。うぅ、と唸った彼の視界に、見慣れた顔が飛び込んできた。
「よぉ」
白狼丸である。
「大丈夫か、太郎」
「大丈夫、だと思う。たぶん」
「しっかりしろよなぁ」
大の男が店先でぶっ倒れてんじゃねぇよ、と言い、カカカと笑う。その肩を肘で小突き、笑い事じゃないだろ、と割り込んできたのは飛助だ。
「心配したよぉ、タロちゃぁん。何だよ、具合悪かったんならそう言ってくれればさぁ」
「いや、どこも悪くなかったんだ。本当に。俺にも何が何やら、っていうか」
桃を口にするまでは、本当にどこも具合の悪いところなどなかったのだ。体力には自信があったし、思い返してみても、生まれてこの方風病というものにもかかったことはない。
「疲れが出たんじゃァないのかねェ」
そんな声が頭の方から聞こえて、思わず身体を起こしかける。「駄目だよゥ、あと一刻はここで休んでもらわないとねェ」と言われ、仕方なく太郎は再び身を沈めた。そういえば雛乃はどこにいるのだろうと辺りを見回すと、彼女は白狼丸と飛助の間で小さくなっていた。すささ、と畳を滑る音が聞こえ、彼の視界に見覚えのある青緑色が広がる。その色の名を持つ者、青衣である。
「また会おう、とは言ったけど、まさかこんなに早く会えるたァねェ。よっぽどわっちに会いたかったのかえ?」
ほほ、と笑って、口元を隠す。
「おいおい、太郎。お前も隅に置けねぇよなぁ。こんなきれいなお姉様といつお知り合いになったんだよ」
「そうだよ、水臭いじゃんか」
「おや、嬉しいことを言ってくれるじゃァないか。そちらさん達もゆっくりしておいきな。茶ァくらいは出すよゥ」
色めき出す男達二人に挟まれて、雛乃は怒りに身を震わせていた。
何よ何よ何よ。
飛助も白狼丸も!
だいたいあの店主、よりにもよってどうしてここに太郎様を運ばせたのよ!
太郎が店先で倒れた時、これはまずいと彼を抱き上げた白狼丸に、この近くに腕の良い薬師様がいるから、そこへ連れて行くと良い、と言ったのは、その青果店の店主であった。つい先日もウチのばあさんが倒れた時に世話になったのだと言って、太郎を運ぶ道すがら、「いただいた薬のお陰で、前より元気になったほどだ。この前も――」などと聞いてもいないことをぺらぺらとしゃべり倒し、白狼丸を辟易させた。
ただ、腕が良い、というのは事実なのだろう、さっきまで死人のような色をしていた太郎の頬に赤みが差している。
「ちょいとお待ちなんせ」
と言って、茶の用意をしに青衣がその場を去ると、すかさず雛乃が一歩にじり寄り、太郎の手を取った。
「太郎様、わたくし、とても心配しましたのよ」
「申し訳ありませんでした。情けないところをお見せしまして」
「今日はもう、帰って休みましょう。ね?」
「そうですね。そうします。――白狼丸、飛助、あとは二人でゆっくり過ごしてくれ。雛乃お嬢様を頼む」
そう言うと、雛乃は「え?」と言って固まった。
そこで思い出すのは、自分はあくまでも彼らの『見張り役』だということである。太郎と一緒に屋敷に戻り、あわよくば付きっ切りで彼の看病を、と思っていた雛乃は、チッと舌打ちする。
その申し出に、白狼丸と飛助はしばらく無言で互いを見つめ合っていたが、揃って頷くと、ほぼ同時に笑い出した。
「いやいやいやいや、おれももう帰るわ」
「そうそう、おいら達結構満喫したからね」
「え? 何で。俺に気を遣わなくても」
「遣ってねぇよ。何で野郎に気を遣わなくちゃなんねぇんだよ」
「そうだよ、タロちゃん。おいら達だってねぇ、そりゃあ気が済んだら帰るさ。それに――」
そう言って、脇に置いてあったらしい包みを持ち上げて見せる。
「美味そうな甘味、たぁっくさん買ってきたんだよね。せっかくきれいなお姉様がお茶をご馳走してくれるっていうんだから、ここで食おうよ。食欲ある、タロちゃん?」
「お前、この状況で甘味はねぇだろうって」
「だぁいじょうぶだよぅ、人間、食欲があるうちは食った方が良いんだって」
まずは見てみてよぅ、とウキウキと包みを解くと、中から現れたのは串に刺さった三色団子と草餅、それから、小さな最中に饅頭である。
それに瞳を輝かせているのは飛助だけではなく、雛乃もであった。さすがは菓子屋の娘、甘いものには目がないらしい。いただいて良いかしら、とおずおずと手を伸ばすのを、どうぞどうぞと勧められ、にこにこと笑う様は、十の娘らしい愛らしさである。
「あら、賑やかだこと」
と、盆の上に湯飲みを乗せた青衣が戻ってくる。
「わっちも呼ばれて良いのかえ?」
などと言いながら太郎の枕元に座り、それぞれの前に湯飲みを置けば、「もちろん!」と飛助が食い気味に返す。では一つ、と優雅な所作で饅頭を手に取り、口元を隠しながら食す様を見て、雛乃も慌ててそれに倣う。
太郎もまた青衣の許可を得てから身体を起こし、草餅を食べた。飛助の言う通り、食欲があるのなら、少しでも食った方が良いとのことである。
「甘味はねェ、心の栄養なのさ。心が元気になりゃァ、身体も元気になるってェもんだよゥ」
確かにそれは一理ある、とその場の誰もが頷く。
菓子がなくなったところで、そろそろお暇しよう、ということになった。太郎の方でも、あの妙な怠さは抜けきったらしく、足腰にもしゃんと力が入る。
「世話になった」
深々と頭を下げれば、「そんなに畏まられちゃァ、
「この礼は」
いつか必ず、と言いかけたところで、「そんなこたァ気にしなさんな」と青衣が遮る。甘い声で、だって――、と言うや否や、太郎の首に手を回し、その耳元でそぅっと吐息混じりに囁いた。
「わっちはもう、坊の仲間じゃァないのさ」
いつの間にそうなったのだ、と思わないわけでもなかったが、しかし、願ってもないことだ。青衣がそう言わなければ太郎からそう切り出すつもりだったからである。
そうだな、青衣も仲間だ、と太郎が平然と返すのを、白狼丸は「何であいつあんな平気でいられんだよ」と恐ろしいものでも見るような目で見つめ、飛助はというと、「良いなぁ。姐御、おいらにもそれやって!」と興奮している。
そして雛乃は当然のように激怒し、腹立ち紛れに飛助の腰辺りを力任せに殴って――、
「何でおいらなんだよぅ?!」
という彼の情けない声が扇子屋の店先に響いた。
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