三人目、薬師の青衣

青衣との出会い①

「はァい、いらっしゃい」


 くだんの扇子屋に着くと、出迎えてくれたのは腰の曲がった老夫婦ではなく、その店先に座っていた着物姿の女人である。青緑色の生地に真っ赤な大輪の花が咲いている派手な柄の着物で、それに負けない濃い顔立ちの美人であった。


 この人がその薬師なのかしら。


 女だとは聞いていたが、ここまでの美女とは想定外の雛乃である。石蕗つわぶき屋のきれいどころが束になっても敵わないくらいの強い美しさに気圧されてしまいそうになり、ぐっと足を踏ん張って耐えた。ただ、きれいはきれいだが、どこか毒を含んだような美しさに、背中がすぅ、と寒くなる。


「今日はここの夫婦が留守でねェ、わっちが店番なのさ。扇子の修理なら明日にしておくんなましねェ」


 声も話し方も見た目通りの艶っぽさで、きぃきぃと甲高く早口で捲し立てる姉さん達とは大違いである。


 どうしよう、太郎様がこの人に心奪われでもしたら。


 そう焦って太郎を見るが、それは杞憂だったらしく、彼は先ほどと何ら変わらぬ表情でその薬師らしき女を見ていた。


「いえ、あの、こちらに相を見てくださる薬師様がおられると」


 負けるものかとギッと睨みつつそう言うと、小娘の睨みなど痛くも痒くもないといった余裕の笑みで「それならわっちだねェ」と言う。真っ赤な紅を引かれた薄い唇が三日月のように弧を描いて、形のよい糸切り歯がちらりと見えた。


「立ち話ってェのもナンだ。茶ァくらい出しますよゥ」

 

 ゆっくりと腰を上げ、くるりと踵を返して店の中へと入る。途中、首だけをこちらに向けて流し目を寄越し「どうぞ、中にお入んなさい」と袖で口元を隠す。その仕草も何とも艶めかしい。同性のはずなのに、その色気に当てられてしまいそうになる。さすがの太郎でもそのうちにこの女の虜になってしまうのではなかろうかと、雛乃は冷や汗が止まらない。ここに来たことを後悔したが、時すでに遅し。


「雛乃お嬢様、入りましょう」


 いまのところ、薬師に対して何の感情も抱いていなそうな太郎にそう言われれば、「そうですね」と返すほかなく、雛乃はしぶしぶ店の中へと入った。


「わっちは薬師ですけれど、毒なんか入れてませんから、安心してお飲みなんせ」


 そう言われると逆に身構えてしまう。

 姉さん達の話ではこの薬師はかなり有名で人気らしいのに、自分達以外に客がいないというのもおかしい。もしかして、茶に毒でも入れてこっそり始末しているのではないか。そんなことまで考えてしまい、湯飲みに伸ばしかけていた手を止める。


 が。


「いただきます」


 何のためらいもなく太郎はそれに口をつけた。そして、手を半端に伸ばした不自然な形で止まっている雛乃を見、「雛乃お嬢様、飲まないのですか」と聞く。太郎が飲んで無事なのであれば、大丈夫だろうと思い直し、彼女も遅れてそれを飲んだ。


「わっちは青衣あおいと申します。本業は薬師ですけれど、世間話の延長で相を見たら、これがまァ、当たるみたいでねェ」


 ぽつぽつと青衣はそう語り出した。


「まァ、当たるも八卦当たらぬも八卦、というやつでござんすから、あんまり本気にしないでおくんなましねェ」


 そんなことを言って、しなり、と身をくねらせる。男を――この場合は太郎だが――を意識しているようなその仕草がいちいち鼻につく雛乃である。言葉遣いも遊女のそれではないか。そう考えると途端に胡散臭さが増す。


「それで? 相を見てほしいのはどちらさんで?」


 交互に太郎と雛乃を見つめるが、太郎の方に向けられる視線に何やら含みがあるようにも感じられ、雛乃は、ぎぃ、と歯噛みした。


「こちらの雛乃お嬢様だ。俺は付き添いだから」


 さらりと言われてしまい、雛乃は、ひゃ、と飛び上がった。確かにそのつもりではあったのだが、まだ心の準備が出来ていなかったのである。


「はァい。では、ちょいとお手を失礼――」


 そう言ってにじり寄り、そぅっと雛乃の手を取る。それは壊れ物を扱うがごとくの優しさで、青衣の手は彼女のそれよりも冷えていた。そうして、ふうん、と鼻に抜けた声を出し、再び手を雛乃の膝へと戻した。


「成る程ねェ」


 当たらぬも八卦などと言いつつも、何もかもわかったと言わんばかりのその表情も何となく気に入らない。けれど、太郎の前で噛みつくなどはしたないことは出来ない。膝の上に置いた手をぎゅっと握って「どうでしょうか」と無理やり笑顔を作る。


「お嬢さん、好いた殿方がおられますねェ」


 雛乃は、ぎくり、とした。


 たかだか手のひらを見ただけでそんなことがわかってしまうのかと戦慄する。思わずちらりと太郎を見れば、彼は何やら感心したように、ほぉ、と頷いている。


「あの、その方とはこの先……」


 ずばり言い当てられてしまった以上、信じぬわけにもいかない。いちいち癪に障る女だが、腕は本物であるらしいから、ならば利用しない手はないだろう。この女のお墨付きをもらえればしめたもんだし、微妙な結果だったとしたら何かしらの助言でもくれるはずだ。雛乃はそう思って、青衣が答えるのをじっと待った。


「残念ですけれど、諦めた方がよござんすねェ」

 

 ほぅ、と息をつき、眉を寄せて困ったように笑う。

 

 微妙な結果だったとしても何か助言くらいは、と思っていたが、これは微妙どころではない。


「そ……それはどうして、でしょうか」


 やっとの思いでそう返す。


「そちらさんには、既に心に決めたお方がおられるようですんで」

「そんな……! で、でも、それはこちらの働きかけ次第でどうにでも」


 尚も食い下がるが、それに対して青衣は、ふ、と嘲るような笑みを返す。


「お嬢さん、引き際ってェのも大事なんでござんすよゥ」

「でも! 一生懸命やれば!」


 何を一生懸命やるつもりでいるのか、店の姉さん達からありとあらゆる手練手管を学んでいるのだという自負によって、雛乃は一層むきになった。


「お嬢さん、ってェいうのはねェ、そんなにがつがつと迫られちゃァ余計に引いてしまうものなんですよゥ」


 大人の男。

 若い子。

 

 その言葉が、暗に『太郎とは不釣り合いである』と示しているようで、とうとう雛乃の堪忍袋の緒が、ぷつり、と切れた。


「あなたに! 何がわかるというんですか!」


 そう叫ぶや否や、目の前の湯飲みを手に持ち、すっかり温くなっていた茶を青衣の顔にかける。そして、鼻息も荒く、どすどすと足を踏み鳴らして店を出て行ってしまった。呆気にとられる太郎の背中に、


「わたくし、飛助と白狼丸のところへ行きます!」


 という言葉を投げつけて。

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