可愛い見張り役②

 あれやこれやとちょいちょい食うと、さすがに腹もきつくなる。これ以上はもう入らん、と腹を擦った白狼丸が、おお、と声を上げた。


「おい、猿」

「何だよ、犬」

「ちょっと待て。何でお前に犬呼ばわりされなきゃなんねぇ」

「それは白ちゃんがおいらを猿呼ばわりしたからだろ。それで、何だよ」

「いちいち突っかかって来やがって。あれだよあれ」


 いちいち突っかかるなというならば、『猿』なんて呼ばなきゃ良いのに、とぶつぶつ言いながら彼の指さす方を見て、飛助は、おお! と声を上げた。


 通りの向こうの人だかりの中に、天に向かって伸びる梯子はしごがある。その梯子を、褌姿の男が逆立ちの姿勢で上っているのが見えた。


「お前、ああいうの得意なんだろ」

「おうとも。あーんなの朝飯前だね」

「行って冷やかして来いよ」

「そんな無粋な真似出来るかよ。おいらはね、その辺ちゃあんとわきまえてるんだから」


 ただ、向こうから吹っ掛けられたら断らないけど? などと軽口を叩きつつも、顎に手をあて、ふむふむ、と目を輝かせているのを見れば、彼がそれを近くで見たいのだということが十二分に伝わってくる。


「行って来いよ、飛助。白狼丸も」

「良いの? タロちゃんは?」

「ええと、俺は……」


 彼の視線は、梯子の男よりもその周りにいる群衆に固定されており、ああ、人が多いから嫌なのだな、と白狼丸は察した。


「雛乃お嬢様はどうします?」


 そう尋ねると、彼女は、頬に両手をあて、ふるふる、と首を振った。


「あのような姿の殿方なんて、わたくし、恥ずかしくてとてもとても」


 顔を赤らめ、弱々しい声でそう言うと、飛助は「わぁ、可愛い」と鼻の下を伸ばし、白狼丸の方も「そりゃ十の娘にゃ刺激が強ぇよなぁ」とにやけ顔である。


 もちろんこれは演技だ。

 男の褌姿など、父親のも見ているし、夏場に水浴びをしている男衆ので見慣れている。けれど、殿方というのは、こういう反応をするうぶな女を好むのだという。それを知っているから、雛乃は精一杯それを演じてみせたのだ。

 案の定、二人の反応はまずまずである。飛助は狙った通りであるし、白狼丸もまぁ悪くない。では、太郎はどうか、と彼を見ると残念なことに無反応である。そうなんですね、とただ当たり前に返されては、演技のし甲斐もない。肩透かしを食らったような気分の雛乃であったが、そんな真面目なところも、いままで彼女の身の回りにはいなかったために新鮮に映る。


「では、私とどこか違うところでも見に行きましょうか」


 太郎がそう提案すれば、それを断るわけもない。雛乃は演技などではなく、年相応の笑顔で応えた。


 当初の予定通り、自然な流れで別行動することとなり、太郎は、これであの二人を休ませられる、と内心ホッとした。昨日、平八まで巻き込んで説得されたものの、まだ太郎の中では三人の中で自分が一番役立たずの木偶の坊であるような気が拭えないのである。だから今日はいつも大変な思いをして働いている二人を自由に遊ばせてやろうと密かに考えていたのだった。


 そして雛乃の方でも、正直なところ見張りなんていうのは建前で、ただひたすら太郎を独占したかった。だからどうにか理由をつけて二人を遠くへやるつもりだったので、願ってもない好機である。


「雛乃お嬢様、どこか行きたいところはございませんか? 恥ずかしながら、田舎から来てすぐに石蕗屋さんのご厄介になったものですから、ここのことは何もわからないのです。やみくもに連れ回しては、雛乃お嬢様に申し訳がございませんので」


 苦しそうに眉を寄せられると、そんな表情も彼女の心をぎゅっと捕らえてしまう。演技などではなしに顔がかぁっと熱くなり、それを隠すように下を向いて、雛乃は言った。


「では、通りのうんと端にある、扇子屋さんに行きとうございます」

「わかりました。では、参りましょう」


 そうして、二人は飛助と白狼丸に背を向けて歩き出した。



 大通りを抜けたところにある扇子屋というのは、太郎と白狼丸がこの町へ来た時に飛助と待ち合わせる予定だった場所である。確か、腰の曲がった老夫婦が切り盛りしているんだったか、とそんなことを思い出す。


「新しい扇子をお探しなんですか?」


 道中無言というのもつまらないだろう、と太郎なりに精一杯雛乃を接待する。すると、雛乃は、いえ、と首を振った。


「姉さん達に聞いたんですけど、そこの扇子屋さんに、腕の良い薬師くすし様がいらっしゃるようなんです」

「薬師? 雛乃お嬢様、どこかお悪いんですか?」

「いいえ、そういうわけではないんですけど。その薬師様がですね、占いの方に通じている方だそうで」

「占い、ですか」

「そうなんです。手のひらですとか、顔の造りなどを見て、その人のことを言い当てたり、未来のことがわかったりするのですって」

「それはすごいですね」


 手のひらを見て何がわかるものかと、太郎は己の手をじっと見つめる。しかしそこには縦横無尽に走るしわがあるのみで、この先起こることが記されているわけでももちろんない。


「姉さん達に、今日、太郎様達と出掛けるのだと話したら、ぜひどのようなものか、行って確かめてほしい、と頼まれてしまって」

 

 あくまでも、自分自身はそんな浮ついた趣味があるわけではなく、姉さん達に頼まれたから行くのだ、という体で押し通そうと、そんなことを言ってみる。


「それはそれは。雛乃お嬢様は姉さん思いでいらっしゃいますね」


 そんな言葉が返ってくれば、やっと狙い通りの反応がもらえたと、雛乃は小さな拳をぎゅっと握りしめた。

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