久しぶりの休日②

「しかし、お嬢様とかぁ」

「完全に接待じゃねぇか。なぁにが休みだ」


 漬物をポリポリと齧りながら、いや、お守りかもしんねぇな、と白狼丸がこぼす。飛助もまたちょっとうんざり顔だ。


 姿勢を正して味噌汁を啜った太郎が椀を置き、「そんなこと言うなよ」と二人を嗜める。


「雛乃お嬢様の方が可哀想だろ。年も離れてるし、しかも男だぞ? その上見張り役なんて大役を仰せつかっているわけだし」


 本当は年の近い女の友達と遊びたいだろうに、と言って、太郎は苦しそうに目を瞑る。


「ま、まぁそうだろうが……」


 それは確かにそうなのだ。

 いくら顔馴染みの従業員といっても、三人は元服もしっかり済ませた『男』である。数えで十の雛乃とは白狼丸と太郎とでも五つは離れているし、飛助に至っては七つも違うのだ。共通の話題などあるはずもないため、どちらかが合わせなくてはならないのだが、立場を考えればどちらが折れるかなどわかりきっている。


「それに俺は、休みといってもこれといってしたいことなんかないんだ。旦那様は必ず三人で、とおっしゃったが、一刻くらいなら別行動しても良いんじゃないか? 俺が雛乃お嬢様を説得するから、短い時間だけど二人はどこか行きたいところに――」


 と、太郎が提案すると、白狼丸はこれでもか、というくらいに眉を寄せ、飛助はというと、目をまんまるにして口を引き結んでいる。


「な、何だよ。二人してどうした」

「いや、太郎の口からそんな言葉が出るとはな」

「うん、おいらもびっくり。てっきりタロちゃんのことだから、縄で繋いででも三人ぴったりくっついて――とかって言うのかと」

「そんなに意外か?」

「まぁ、そうだな。お前は真面目過ぎるところがあるから。まぁ、それが良いところでもあるんだろうが」

「そうそう、もう少し肩の力を抜いて小狡く生きても良いんじゃないかなって思ってたんだよねぇ。だから安心したよ」


 そんな大袈裟な、と笑って、小鉢に盛られた煮物を口に運ぶ。

 

「俺だって、何もそこまで頭が固いわけじゃないんだぞ。それに、二人は俺を置いて逃げたりなんてしないって信じてるから。とはいっても、雛乃お嬢様にも申し訳ないから、一刻程度が限度だけど」


 太郎の口から「二人を信じている」などと言われれば、それは、物理的な縄よりも鎖よりもさらに強く二人を縛る。誰がこの男を裏切れようか。そんな気持ちになってしまうのである。


 けれど。


「まぁ、太郎の申し出はありがたいけどよ。一刻かぁ、一刻で何が出来るよ、飛助」


 買い物をするにも、芝居を見るにも、一刻というのはどうにも短いような気がしてならない。実際はそれよりも短い時間で終わるかもしれないのだが、『一刻』と区切られてしまうとどうにも窮屈なのである。


「えぇ? まぁ高望みしなけりゃだいたいのことは出来るんじゃない? ま、最も? 白ちゃんの場合は色街の方へ繰り出して女を買いたいんだろうし? そう考えたら一刻ぽっちじゃ足んないよなぁ~?」


 飛助が半眼で、いひひ、と笑うと、白狼丸は「何言ってんだ、この馬鹿猿!」と声を荒らげる。いつもより早い時間の食堂は利用者が少ないとはいえ、それでもその場にいた数人が驚いたような顔をして三人の卓を見た。


「今日日、たったの三で女が買えるかよ」


 吐き捨てるようにそう言って、帯に挟んだ臨時賞与の封筒を擦る。その中は三人平等に一紙幣が三枚入っていた。つまり三人分を合わせても九紙で、一ようにも満たない額である。十代の若者が一日過ごす額としては、まぁ十分ではあるのだろうが、それはもちろん、『健全に過ごす』のが前提の話である。


「そっち? 時間の方じゃないんだ。なぁんだ、白ちゃんってばたったの一刻ぽっちで足りちゃうんだぁ~。へぇ~」

「んなっ!? そんなことあるわけないだろ!」

「わわ、そんなムキになるとか、逆にあっやし~ぃ」


 口喧嘩となるとやはり年上の飛助の方が上手と見えて、白狼丸は完全に彼の術中にはまっている。けらけらと笑ってふと太郎を見れば、彼は何やら思い詰めたような顔をして卓の上の拳を握り、肩を震わせていた。さすがに食事中の話題に相応しくなかったかと、それを詫びようと彼の顔を覗き込む。すると太郎は、苦しげに眉を寄せ、向かいに座る二人を交互に見つめて言った。


「この町では、人が売り買いされているのか? 白狼丸、お前は女人を買ってどうするつもりなんだ」


 と。


 まさか白狼丸が人を買うようなやつだったとは、とその大きな瞳を悔し涙で潤ませてすらいる。


「え? え? あ、あぁそっか。タロちゃん、そう来たかぁ……。そうだ、そうだよなぁ。タロちゃんならそうなるよなぁ」

「しまった、つい……。いや、違うんだ太郎。買うっていうのは、そういう意味じゃないっていうか」

「じゃあ、どういう意味なんだ」


 袖でぐしぐしと瞼を拭い、ず、と鼻を啜る。


 さて、どう説明したものかと思案にくれていると、飛助が「ええとね」と身を乗り出した。


「違うんだタロちゃん。その女の人自身を売ってるわけじゃなくてね、そう、春。春のこと! 春を売ってるのさ。だから全然だいじょう――ぶっ!?」


 何が大丈夫だと、飛助の口を、ぱぁん、と音が鳴る勢いで塞ぐ。案の定太郎は目を丸くして「春って売れるのか……?」と驚いている。


 ほら見ろ、という気持ちを乗せてぎろりと睨みつけると、ぷはぁ、と白狼丸の手から逃れた飛助が「すごいな。純粋さもここまで来ると実に天晴れ」と感心したように頷いた。


「都会は俺の知らないことがたくさんあるんだなぁ。そうか、そんなものまで売ってるのか」


 さっきまでの険しい表情を緩め、穏やかに笑う太郎に、その『春』ではないんだぞ、と訂正する気力も沸いてこない白狼丸である。いっそそう勘違いさせたままにしておこうかとも思ったが、飛助がハッとしたような顔をして彼の耳に囁いた。


「これさ、ちゃんと教えてやらないと町のど真ん中で『どんな春が売られているか見てみたい』とか言い出すんじゃない?」

「――げぇっ!? ま、まさか! ……と言えないのが太郎だよなぁ。おれらだけならまだしも嬢ちゃんもいるし」


 どうやらここでは春が売られているようです、探しに行ってみましょう、などと言って雛乃の手を引く太郎の姿が眼に浮かぶ。これがお互い十にも満たないわっぱならば、土筆つくしでも探しに行くのかと何とも微笑ましい光景なのだが、太郎は立派な青年である。いかがわしいことをせんと少女をつれ回しているなんて思われたら大変だ。


「あぁくそう、どうしてじい様もばあ様もこいつにそういうことを教えなかったんだ!」


 そう言って白狼丸が頭を抱え、


「へぇ、何、タロちゃんって、じい様とばあ様に育てられたんだ。そりゃあさぞかし大切にされたんだろうなぁ。そう考えるとなぁんか納得ぅ〜」


 飛助が妙なところに食いついて感心する。


「そんなことで感心してんじゃねぇ!」


 白狼丸はまたしても食堂で声を張り上げることとなり、周囲の失笑を買った。


「畜生っ! 誰かこいつに色事を教えてくれぇ!」

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