平八からの提案②

「たぁだぁしぃ――」


 などと勿体つけたように言った平八であったが、その後に続く言葉はそう大したことではなかった。


 一応、逃亡の恐れもあるということで、見張りをつけさせてもらう、ということである。なので、必ず三人一緒に行動するように、とも付け加えられた。


「そんで? 一体誰を見張りにつけるんだ?」


 おれぁ別に誰でも良いけどよぉ、と、頬杖をついて楊枝を咥えつつ、白狼丸が面倒臭そうに言う。彼は誰に対しても常にこの態度である。主人である平八に対してもこの通りであり、平八の方でももういちいち指摘するのが億劫らしく何も言わないため、それを咎めるものもいなくなった。


「別においら逃げるつもりないけどなぁ。ここで働くの結構楽しいし、菓子も食えるし」


 飛助は独り言のようにそう言った。あれこれ色んな仕事を押し付けられる割に案外楽しんでいるようである。


「私も、きちんと金を返し終わるまでは決して逃げたり致しませんが。しかし、旦那様が心配とおっしゃるのであれば、どなたでも」


 三人のその言葉に、ふむ、と満足そうに笑う。あっさり信じすぎるのもどうかとは思うものの、この三人は案外信頼出来ると平八は思っている。特に太郎。こいつの手綱さえしっかり握っていれば、あとの二人は黙っていてもついて来る。


「うむ、よくぞ言った。なので、見張り役には、雛乃をつける」

「雛乃お嬢様を?」

「おいおい、良いのかよ。大事な一人娘なんだろ?」

「そうですよぅ、旦那様。この女好きのはくちゃんが万が一にも手を出したら――あいたぁっ!? ひっでぇ! 結構本気だったろ、いま!」

「当たり前だ、この馬鹿猿! いくらおれでもガキに手ェ出すかよ!」

「こら、二人とも落ち着け。ですが、旦那様、雛乃お嬢様はこんな男三人に囲まれて窮屈ではないでしょうか」

「大丈夫だ。雛乃にもちゃんと話は通してあるが、楽しみにしとると言っていた」

「えぇっ?! 楽しみぃっ?!」

「おれらと過ごすのが!?」

「なら良いんですけど」


 これは本当である。

 太郎を雛乃の婿に、と一人盛り上がってしまった平八であるが、それでもやはり可愛い一人娘である。もし、どうしても嫌だ、ということであれば他の手を考えねばなるまい、とは思っていた。


 そこで、恐る恐る、本人にこの三人についてどう思うか、とあくまでもさりげなく問うてみたところ、第一印象こそ少々良くなかった――というか驚いた、の方が正しいかもしれない――ものの、そう悪くは思っていないようだった。そこで少々突っ込んで、では、太郎についてはどう思うかと聞いてみたところ、数えで十になる愛しい娘はポッと頬を染め、


「とても素敵な方だと思います」


 と答えたのである。

 どうやらあの初対面ですっかり一目惚れしてしまったらしい。


 これはイケるぞ、と平八は思った。

 ならば、何の遠慮がいるだろうか、と俄然張り切る平八である。


 その勢いのままこの休日の提案をすれば、雛乃は耳まで赤くしてそれを快諾した。そして、矢庭に立ち上がると、どの着物にしようか、髪飾りはどれが良いかなどと言いながらいそいそと自室へ駆けて行ったのだった。

 

「そういうわけだから、明日、朝食を済ませたら三人揃ってワシの部屋へ来るように」


 そう言うと、今度こそ話は終いだったと見えて、平八は、よっこらせ、と腰を上げた。自分が食べた分の盆もしっかりと持って。それは私が、と太郎が手を伸ばしかけたのを白狼丸が「やらせとけ」と止める。でも、と言うと、飛助が「良いの良いの」と、歯を見せて笑った。


 

 さて、すっかり休憩を平八との時間に取られてしまった三人はのろのろと各々の仕事場へ向かう。白狼丸と飛助は店の裏の倉庫へ、太郎は店だ。ちょうどその分かれ道で、白狼丸が「そうだ」と立ち止まった。


「おい、太郎」

「何だ?」

「久しぶりに風呂でもどうだ」

「風呂? 白狼丸、入ってないのか?」

ちげぇよ。入ってるっつぅの。おい、飛助、何だその顔。鼻を摘まむんじゃねぇ。そうじゃなくて、一緒に行かねぇか、ってことだよ。何かいっつも時間合わねぇじゃんか」


 だからたまには、と言うと、太郎は困ったように眉を寄せ、いや、と首を振る。


「先行けよ。俺、人が多いの苦手だからさ、浴場が閉まるギリギリの時間に行くようにしてるんだ」

「だったら、おれもその時間に――」

「いや」


 なおも食い下がろうとする白狼丸の言葉を遮って、太郎は、くるりと背を向けた。


「俺は一人で行くから」


 それだけ言って、あとは一切振り返らずにすたすたと店の方へ行ってしまう。その後姿を見て、飛助は「タロちゃん?」と首を傾げた。


「なぁ白ちゃん」

「何だよ、うっせぇな」

「ちょ、おいらに対しての扱い酷くないっ?!」

「酷くねぇよ。何だよ」

「いや、タロちゃんさ。何かおかしくない?」

「そうか?」

「だって、あんな頑なに断る? 風呂だよ?」

「まぁ、あいつが人見知りなのは昔っからだしなぁ」

「それにしてもさ。だって、人の少ない時間に行こうって言ったわけじゃん? でも断ったじゃん。ましてや白ちゃんとだろ? まだ白ちゃんにも懐いてないのかよぅ」

「そんなわけねぇだろ。あいつはおれにべったりだからな。でも太郎にだってそんな日もあんだろ」

「でもさぁ~」


 納得がいっていない様子の飛助を無視して、倉庫へと向かう。


 いや、飛助が言うのも最もだ、と白狼丸は思った。


 今日の太郎は何かおかしい。

 まぁ、飯時のあれは、一応解決したとは思う。あいつは変に真面目過ぎるところが欠点といえば欠点だ。だけれども、自分と飛助と、あの狸親父とでしっかり説明して納得していたはずだ。

 それなのに、さっきの態度は何だ。

 たかだか風呂に誘っただけじゃねぇか。昔はよく一緒に入ったってのに。

 何であんなに頑なに拒絶する。


 おれが何かしたかよ。


 考えれば考えるほどいら立ちは募り、それは、どすどすという床板を踏み抜かんばかりの足音となって廊下に響いた。


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