平八からの提案①

「成る程な、よくわかった」


 うんうんと深く頷き、太郎が淹れた茶を一口啜る。


 白狼丸と飛助から先刻のやり取りを聞いた平八は、わかったわかったと何度も繰り返した。


 わかったけれども、なぜワシは従業員用食堂ここで飯を食っているのだろう。


 そう思わないでもない平八である。


 たまたま平八の昼飯がまだだったということで、だったらめんどくせぇからここで食ってけよ、と白狼丸が言い、そんじゃおいらが旦那様の分もらってきますね、と飛助がサッと席を立ち、それを待っている間に太郎が茶を淹れた、というわけだった。


「ええとな、太郎よ」


 うぉっほん、と殊更派手な咳払いをすれば、太郎はぴしりと背筋を伸ばして身体ごと平八に向き直る。


「そこの白狼丸も飛助も再三言ったかとは思うがな? お前の客引きあっての売り上げなのだ」

「そんなことは」

「いいや、ある。このワシが言うのだからそうなのだ。いいか、お前の代わりにこの白狼丸を立たせてみろ、客なんてよほどのもの好きしか――ああ、いや、すまん、まぁ二、三人くらいは入るだろう――いや、五人、十人くらいは……」


 いまにも喉笛に飛び掛かって来そうな白狼丸の眼力にぶるりと身を震わせて、少しずつ数を増やした平八だったが、いや、そうじゃなくてだな、と再び無駄に大きな咳払いをした。


「とにかくだ。もちろん、研鑽を積めば誰だってお前と同じくらいに客を引っ張ってこられるようにはなるだろう。だが、そうなるまでには時間がかかる。お前は生まれながらにしてそれを持っているのだ。天賦の才というやつだな」

「ただ、突っ立っているだけですが」

「果たしてそうだろうか」


 平八というのは、店の奥でふんぞり返り、報告された売上に対してほぉほぉと頷いているだけの狸親父ではない。これで案外目も鼻も利くし、交渉も上手い。従業員用の長屋にしたって、いまのように食堂やら風呂やらを新設したのも彼の代になってからだ。大旦那という肩書きの割には案外率先して動く方だという自負もある。


 だから、人を見る目だってあるのだと、平八はそう思っている。労せずに大店の主人に収まった馬鹿な跡取り息子ではないのだと。


「太郎よ。ウチで最も売れる菓子は何だ」

「それは……やはり石蕗つわぶき焼です」


 石蕗屋の名を冠した石蕗焼は、米粉に卵黄、砂糖、白餡を混ぜて表面を焼いた菓子である。最近では、飛助の石蕗の花判に合わせて同じ形の焼印もつけるようになった。


「では、ここから十五里ほど離れたところへの手土産だとしたら、どうする」

「長旅になりますね。それなら、日持ちもしますし軽いので、薄瓦うすがわら焼を勧めます」


 薄瓦焼はその名の通りに薄く焼いた甘い煎餅である。緩く波打つその形はまさしく瓦のようであり、それを均一に焼き上げるのは熟練の技だ。


 太郎のその言葉に、平八はにやりと笑った。それを見て、は、と太郎が両手を振る。


「いえ、これはすべて先輩方からご教授いただいたことですから」


 と早口で謙遜すると、いいや、と平八は首を振った。


「では、客が二ようお前に渡して、なるべく釣りが出んように数種類見繕ってくれ、と言われたらどうする」

「えぇ? どうすると言われましても……召し上がる方の好みですとか、それこそどちらへお持ちになるのかですとか」

「あぁ、その辺は適当で構わん。と言っても気になるだろうから、そうだな。老若男女勢揃いの会合に持っていくことにしようか。近場だ。日持ちについても気にしなくても良い。なら、どうする」


 それなら――、と太郎は視線を平八から逸らして顎に拳をあてた。


 歯の弱いご老人にはやはり石蕗焼がよろしいかと思いますので、まずはそれの十二個入りのを二箱。

 それから、歯の丈夫な若い男性には醤油味の拳骨あられがお勧めです。あれは価格も手頃ですし、酒のつまみにも良いようなので、大袋を三つ。

 あと、お子様には飴が好まれますね。色んな味が混ざった小袋が二つもあれば良いかと。

 それで若い女性には、目にも鮮やかな練りきりの詰め合わせを二箱。


 そして最後に、「ただ、通常の詰め合わせですと少し足が出るので、紫陽花あじさいの練りきりを、豆牡丹に変えればちょうど二葉で釣りも出ません」と言って、太郎は平八を見た。


 平八は、ふむ、と満足そうな顔をしているが、白狼丸と飛助は目を点にして驚いている。


「ちょ、ちょっとタロちゃん、すごいじゃん!」


 おいら未だにこの店の商品覚えてないのに! と叫んで、飛助が太郎の手を握る。平八は「なぜまだ覚えとらんのだ、もう二月ふたつきだぞ!?」とそっちの方に驚いたようだが、「こいつは完全に裏方だし仕方ねぇだろ」と飛助の手をピシャリと叩く白狼丸に指摘され、それもそうか、と口ごもった。 


「そんで飛助よ。残念ながら驚くのはそこじゃねぇよ。だろ、旦那?」


 ぎろり、と横目で平八を見ると、彼は、そうだ、とそれに一言返してから、太郎よ、と彼を見た。


「お前、いつの間に計算を覚えた」


 その言葉に、遅れて気付いたらしい飛助が「あ、そっか!」と手を打つ。


「誰かに教えてもらったのか?」


 前のめりになってそう尋ねたのは白狼丸である。平八はてっきり白狼丸が教えていたとばかり思っていたらしく、お前じゃなかったのか、と目を丸くしている。


「ええと、その、ここに最初来た時に白狼丸が言っていたのを」

「俺が言ったやつ? あれか? 一千葉がどれくらいかってやつか?」

「そうだ」

「いや、いくら何でもそれだけでこうはならないだろ」

「そんなこと言われても……」

「まぁ、気持ちはわからんでもないが、落ち着け白狼丸。――それで?」


 平八に促され、太郎がぽつぽつと語ったところによると――、



 彼がまず覚えたのは、白狼丸の言った、


『一千葉とは、毎月十二返済したとして、六、七年かかる額』


 という部分であった。

 そしてそれから、毎晩一人で「どのように計算すればその答えが出るのか」というのを考え続けた。

 まず一年が十二ヶ月であるということは知っていたから、『十二』を十二回、ひたすら足し続けてみることにした。……といっても、そもそも太郎は、その『十二を足し続ける』ことが出来ない。ならば、と、中庭に出て小石を拾って部屋に持ち帰り、それをきっちり十二粒ずつ数え――、という気の遠くなるような作業を積み重ねたのだという。


「そうしたら、だんだんわかるようになってきて、それで、あとは店の商品の値札を見て、色々組み合わせてみたりして、というか……」


 ごくり、と誰かが唾を飲んだ音が聞こえたような気がした。白狼丸、飛助、平八の三人は、眉間に深いしわを刻み口を半開きにした顔で固まっている。同じ表情ではあるが、考えていることは皆バラバラである。

 

 こいつ、夜な夜な何やってんだよ、と白狼丸は思った。

 えっ、タロちゃん、すごすぎない? と飛助は思った。

 ちょっとワシの想像と違うんだけど、と平八は思った。


「ま、まぁ、そんなことだろうな、とは思っていたが」


 と平八が平静を装いながら言うが、「嘘つけ、アンタさっきめちゃくちゃ驚いてたじゃねぇか」と指摘されると、まぁ、それは何というか、と濁す。


「いや、そんなことは良いのだ。つまりワシが言いたいのは、だ。お前は相当な努力家であるということなのだ。そんなお前に誰が役に立たぬ木偶の棒だと言える」

「少なくとも、おれぁ言えねぇな」

「おいらだってそうだよ。タロちゃん、すごいよ」

「いや、でも……」


 三方からそう言われて、さすがに太郎も恥ずかしくなってきたのだろう、乙女のように頬を染め、視線を卓に落としてもじもじし始めた。


「自信を持て、太郎。お前はこの石蕗屋にとってなくてはならない存在なのだ」


 だから借金返済後もここにいてくれ、とつい口が滑りそうになるのをぐっと堪え、突き返された封筒を再び彼の前に置く。


「そういうわけだから、これからもしっかり働いてもらうために休暇をやるのだ。これも受け取ってもらわねば困る。こればかりは返済に充てることも許さん」

「わ、わかりました」


 話はそれで終いかと白狼丸と飛助が肩の力を抜くと、それを待っていたかのような頃合いで、平八が、


「たぁだぁしぃ――」


 と目を光らせた。

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