石蕗屋での労働③

「おい太郎、一体どうしたんだ」


 見れば飯にも一切手をつけておらず、汁すら飲んでいないと見えて箸も乾いたままである。


「役立たずって。何言ってるのさ、タロちゃん」

「そうだぞ太郎、お前が店先で客を呼ぶからこその売り上げだろうが」


 口々にそう言うが彼の表情は晴れない。それどころか、二人に向かって人差し指を向け、「それだ」と言うのである。


「俺はただ、立ってるだけだ。毎日毎日、ただひたすら店先に立って、通り行く人達に声をかけているだけなんだ」


 人見知りの太郎に接客などまず無理なのでは、と白狼丸は心配していたのだが、仕事と割り切れば案外何とかなるものらしく、いらっしゃいませ、いかがでしょう、と太郎は一日中客を引いている。お勧めを聞かれれば、その用途を尋ね、それに合わせた菓子を紹介するなんてことも出来るようになったし、馴染みの客が世間話をするのにもきちんと付き合っているらしい。

 業者とのやり取りを終えた白狼丸が物陰からちらりと様子を伺えば、そこそこ楽しそうにも見え、何だやれば出来るじゃねぇかと安堵したものである。


「いや、それはそれで立派なもんだと思うぜ? おれには間違いなく出来ねぇやつだからな。ぞっとするぜ、客に向かって一日中愛想笑いするとかよぉ」

「あー、おいらも絶対無理だね。おいらの場合、人目があるとついつい仕事そっちのけで芸をしたくなっちゃうっていうかさ」


 恐らくそれは真実なのだろう。

 白狼丸は心底嫌そうに顔を歪めていたし、飛助に至っては卓の上にあった狐を、手の甲から腕、そして肩へと落ち着きなく転がしている。

 しかし、いまの太郎には、自分に対して気を遣っているようにしか感じられないらしく、ふるふる、と首を振る。 


「俺は、白狼丸みたいに材料の管理を任されているわけでもないし、飛助みたいに新しい仕事を任されることもない。ただ立ってるだけなんて誰にでも出来る。木偶の棒だ。ごめんな、飛助、白狼丸。元はと言えば俺が働くと言い出したことなのに」


 いや、元はと言えば飛助の親父が作った借金のせいなのだ。本来は飛助一人が返済すべきところを太郎が首を突っ込んだだけに過ぎないのである。


「いや、落ち着けよ太郎」

「そうだよタロちゃん」

「飛助はまだしも、おれら本来は無関係だからな?」

「そうだよ、タロちゃんはおいらのとばっちりを受けてるだけなんだから」

「疲れてんだよ、お前」

「そうそう、たまには休んで――って言いたいところだけど、おいら達が休みなんてもらえるわけないよねぇ」

「とりあえず飯食えよ、太郎。食っとかねぇと後半きっついぞ」

「うん、そうするよ」


 何にせよ、いまの太郎にしてやれることはこうして話を聞くことくらいだ。午後の仕事が終わったら、時間を合わせて一緒に風呂でもどうかと誘ってみようか、などと考える白狼丸である。いつもは何だかんだと時間が合わずに風呂も一緒に行けず、ろくに顔も合わせられぬままに消灯を迎えてしまうのだ。あまり気は進まないが飛助を誘ってやっても良い。こいつはこいつで一緒にいればとにかくずっとしゃべり倒すのでうるさいのだが、いまの太郎にはちょうど良いかもしれない。


 そう考えて、なぁ太郎、と声をかけた時である。


「おお、いたいた。お前達」


 にこにことやけに機嫌の良い石蕗つわぶき屋主人、平八が、その狸腹を揺らしながらこちらへ向かってのしのしと歩いてきた。普段平八はここで食事をとったりしないため、わざわざやって来るということは何か急ぎの用でもあるのだろう。そう思ったらしい飛助と白狼丸は揃って、げぇ、と眉をしかめた。


「何か御用でしょうか、旦那様」


 その点太郎はさすがである。

 従業員の憩いの場にやって来た無粋な雇用主に嫌な顔一つせず、きちんと箸を揃えて置き、軽く頭を下げた。それを見て、平八はうんうんと満足気である。


「いいや、何、大した用ってわけじゃないんだ。お前達、かれこれ二月になるが、ずっと働きどおしだったじゃないか」

「はい。一刻も早く借りた金を返しとうございますので」

「うむ、良い心がけである。ただな、無理をして身体を壊してしまっては元も子もない。そうだろう?」

「それはまぁ」


 この辺りで、白狼丸と飛助は顔を見合わせた。


 ――おい、この親父、何が言いたいんだ。

 ――さぁ。ていうか、さっきから何あのわざとらしい笑顔。気味悪いったらないよね。


 などと一言も発してはいないのだが、お互いにそのような思いを乗せて目配せすると、案外相手には正しく伝わっているらしく、うんうん、と頷いている。


「そこで、だ。他の従業員達と同様、お前達にも休みをやろうと思ってな」

「はい?」

「休み?」

「もらえんのかよ!」

「もちろんだとも。ワシはな、ここいらじゃあ『仏の平八』と呼ばれておるんだぞ?」


 ふふん、と胸を張ってそう言う。

 すると、太郎が、はて、と首を傾げて「二階で女と一緒に酒を飲んでいる鬼と聞いたような」などと口を滑らせるものだから、飛助が慌てて彼の口を塞ぐこととなった。


「ううん、何か言ったか」

「な、何でもないです。へへへ……」

「まぁ良いわい。そういうわけだから、明日、お前達三人は休日だ。それで――」


 そう言って、袂の中に手を入れ、中のものを取り出すと、それを各々に手渡す。


「せっかくの休日に手持ちがないというのも侘しいもんだろう。小遣いだ。何、そんな大した額でもないから気にするな」


 その言葉にぎょっとしたのはやはり白狼丸と飛助のみである。太郎はというと、相変わらず何もわかっていないような顔をして、きょとんと首を傾げている。が、白狼丸がこそりと耳打ちすると、やっと遅れて、えぇ?! と声を上げた。そして、それを平八に突き返した。


「旦那様、受け取れません」


 まぁそういう反応になるだろうな、というのは白狼丸も飛助も予想していた。何なら平八の方でもそう来るだろうなと思っていた。


「まぁ受け取れ、太郎。石蕗屋ウチではな、こういう賞与の類は別に珍しいことでもないんだ。売り上げが特別良い時には小遣い程度ではあるが、こうやって従業員に還元しているのだよ。だから気にせず――」

「ならば、この分も返済に充ててください」


 いま良いこと言ってるぞ、とでも言わんばかりに得意気な表情をしていた平八だったが、それに被せるようにして割り込まれ、うぐぐ、と声を詰まらせる。


「おい、太郎。良いじゃねぇかこれくらい」

「そうだよタロちゃん、せっかくの機会なんだからさぁ」

「だけど、さっきも言った通り俺は何の役にも立ってないし」

「またそれ言うー! ちょっともう旦那様からも言ってやってくださいよぅ」

「そうだ、アンタが言やぁ、ちったぁ説得力もあんだろ。おい、頼むよ!」

「え? ええ? な、何の話だ」


 飛助からは袖を掴まれ、白狼丸からはぎろりと睨まれ、どうしてこいつらの前では威厳を保てないのだ、と額に脂汗を浮かべる平八であった。

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