石蕗屋での労働②

 さて、三人が石蕗つわぶき屋で働き始めて二月ほどが経った。


 予想していたよりも彼らの働きぶりが良いのと、それによる売上倍増にすっかり上機嫌の平八である。

 平八は、とにかく目先の利益のみを重視して従業員は使い捨て、といった考えを持ってはいなかった。もちろん利益はあるに越したことはないが、損して得とれという言葉もあるし、急がば回れという言葉も知っている。


 だから、従業員にはその時の売上に応じて稀に小遣い程度の賞与を出すこともあったし、一日二日の休みくらいはよほどの繁忙期を除いて快くくれてやることにしている。壊れるまで使い倒し、次から次へと新しい人間を雇って一から育てるよりは、多少損をしてでも同じ人間に長く働いてもらった方が長い目で見れば得だ。そんな方針の石蕗屋なので、従業員の離職率はかなり低かった。


 そこで目下平八を悩ませているのは、あの三人を、借金完済後もいかにしてここに留まらせるか、という点である。まだまだ遠い未来の話ではあるものの、この調子でバリバリと働かれては五年もかからずに返し終わってしまうかもしれない。

 部屋代や賄い代だと言って、他の従業員よりも天引きする額をこっそり上げようかとも思った。けれど、その辺を管理しているのは彼の妻であり、その妻はというと、早い段階であの三人を大層気に入ってしまっていたものだから、「若い人をそんなにいじめるもんじゃないよ」と言って他の従業員と同じにすると譲らないのだ。ならばせめて利子を高く、と食い下がったが、「天下の石蕗屋の旦那がそんなけち臭いわけないよねぇ?」と半眼で睨まれちゃあ「もちろんだとも」としか返せない平八である。


 かくなる上は、と平八は思った。


 あの三人のうちの誰かを一人娘の雛乃の婿にしてしまおう、と。


 問題は、誰にするか、だ。

 東地蔵あずまじそう一番の大店、石蕗屋の未来の若旦那である。そう考えると、白狼丸は頭の回転は早いのだろうが見た目や物腰に品がないし、飛助はいつもへらへらしていてしまりがなく、落ち着きもない。

 

 となれば、やはり太郎である。顔が良いだけの優男とばかり思っていたが、物腰も柔らかくて品があるし、あれで案外腕っぷしも強い。それにどういうわけか白狼丸も飛助もこいつに甘い。甘いというか、飛助に至っては崇拝している節すらある。だから、まず間違いなくあの二人もくっついてくるだろう。


 そうだ、太郎が雛乃の婿になれば万事解決だ。


 ならば、あまりきつく絞めすぎるのは良くない。多少の『飴』はくれて然るべきだろう。



 平八がそんな結論に至ったその翌日のことである。


 石蕗屋の裏にある長屋は、住み込みの従業員達が寝食を共にする場で、そこには食堂もあれば風呂もある。


 特に昼食に関しては、食堂を切り盛りしているのが『おみね母さん』と呼ばれる勤続二十年の女中一人であることと、全員が一斉に休憩に入ってしまうと営業に支障を来すため、各持ち場の中で時間を調整して利用することになっている。夕食の時間も特に決まってはいないが、混雑を避けるため、業務を終えた者から速やかに済ませなくてはならない。


 さて、その食堂である。

 時間をずらして昼休憩をもらった太郎がそこへ行くと、珍しく白狼丸と飛助がいた。


「おお、タロちゃーん」

「太郎も時間が合うなんて珍しいな。ここ座れよ」


 いまだ人見知りが抜けきらない太郎は、いつも長卓の端っこに座り、一人黙々と食べている。すると、女中達がすかさずその周りを固めるために、傍から見れば大層華やかで羨ましい光景であるわけだが、太郎本人としては困ったように愛想笑いを浮かべるのが精一杯であった。きゃあきゃあと前後左右からあれこれ話題を振られると、とりあえずすべてに受け答えはするものの、飯の味もわからなければ、そいつが腹に溜まったかもわからなくなるという有様である。


 最初こそ他の男達からやっかみの対象だった太郎だったが、彼が心底辟易しているのが伝わると、女は女でもウチの女共だしなぁ、と同情されるようになった。


 それで過去に何度か、勇気ある者が囚われの姫を助けてやろうとその輪の中に飛び込んだこともあるのだが、結局、返り討ちにあって終いである。彼を助けられるのはやはり白狼丸か飛助に限られるのだった。


 だから、久しぶりにこの三人で――最も、どちらかだけ、という日はたまにあったが――飯が食えるとなって、太郎は腹の底から安堵した。

 

「最近どうよ」


 どうやら二人が顔を合わせたのもついさっきだったようで、白狼丸がそんな話を振れば、飛助は、それがさぁ、と眉を下げて卓の上に手のひらを出す。


「見てくれよぅ、このマメ」


 この店でマメと言われれば、豆、即ち小豆をさす。自分が管理を任されている小豆に何か不備でもあったかと白狼丸は身を乗り出したが、それが飛助の指や手のひらに作られたマメであることに気付き、何だ、とつまらなそうに座り直した。


「何だとはひでぇなぁ」

「すごいな、飛助。いつの間にこんなに」

 

 痛いのか? と太郎が、恐る恐る、けれども労るようにそこを擦ると、やっぱりタロちゃんは優しいなぁ、と飛助は口元を綻ばせた。


「もう痛くはないんだ。結構前につぶれちまったからさ。いや、もうあれよ。一日中彫り物ばっかりでさ、最近じゃあ、ほら、こぉんな狸やら狐やらの人形も頼まれちまって。いや、引き受けちゃうおいらもおいらなんだけど」


 そう言いながら取り出したのは、三寸ほどの大きさの木彫りの人形である。四つん這いではなく直立した狸と狐で、それぞれ紐を通せるようにだろう、片耳には小さな穴があけられていた。これを品物の横にちょこんと置いておくと、子どもの土産にちょうど良いとついでに買っていくのではないか、という平八の提案である。


「ほぉ、うまいもんだ」

「へへぇん、だっろぉ?」


 普段は滅多に飛助を褒めない白狼丸からの言葉に彼も得意気である。と同時に、いつもならここで「さすがは飛助だ」などと一言ならず二言三言と称賛を浴びせてくれる太郎が、その狸と狐に視線を固定したまま押し黙っていることに違和感を覚えた。


「タロちゃん、どした?」


 おいらのこと、褒めてくれないの? すごいね飛助っていつも言ってくれるじゃん、と拗ねたように言えば、いまさら気付いたのか、あぁ、なんて気の抜けた返事が来る。


「すごいな、飛助は」


 心ここにあらず、と言った表情でうわ言のように呟き、そして――、


「なのに、俺は役立たずだ」


 と肩を落とした。


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