石蕗屋での労働①
「タロちゃんが繋いでくれた命だ。約束するよ。絶対に逃げない」
飛助のその言葉に心を打たれたわけではなかったが、正直平八はもう面倒になっていて、誰の指を折ることもなかった。飛助の縄を解いた時こそ一瞬警戒したものの、彼は大人しく――まぁ太郎に抱きついて涙を流してはいたが――していたし、一応この男も被害者ではあるのだ。借金を申し込みに来たのもこいつの親父だったし、その金を持って逃げたのも親父である。
三人の会話を盗み聞きしていた女中の話によれば、その親父の借金を一人で背負ったのも団員達を思ってのことだという。そう考えれば、責任感の強い男ではないか。まぁ、その時点で一度でも返済の相談なり減額交渉に来るなりと、そういうのがあればもっと良かったわけだが。何にせよ、逃げたのは罪である。
とにもかくにも飛助もまた制限付きではあるものの自由となり、
飛助も白狼丸と同様また倉庫係なのだが、出来上がった菓子やその材料の管理ではなく、それらを詰める箱やら包み紙、紐、札などの方である。
繁忙期になればそちらの業者の生産が追い付かないこともあるらしく、その場合はここで和紙を染めたり、箱を組み立てたり、なんてこともするらしい。試しに、と一つやらせてみれば、これが案外上手い。
「おいら、団長の息子だけど下っ端だったから、小道具作ったり、皆の化粧もしてたんだ。だから、こういう作業って結構得意なんだよねぇ」
ふふん、と鼻を鳴らして得意気な飛助である。ちなみに白狼丸がここに回されなかったのは、同じ作業をやらせて『適正なし』と判断されたためである。
それ見て、平八は、ふむ、と唸った。これは案外良いものを拾ったかもしれんな、と。
実際三人が働き始めると、平八の予感は的中した。
まずは太郎である。
彼が店先に立つだけで、いつもより客が入るようになった。
お使い物だけではなく、太郎にも食わせてやりたいなどと言って、余計に買っては「お一ついかが」なんて頬を染める女人のなんと多いことか。
また、町中の女を虜にする美丈夫とやらはどれどんなもんだと冷やかし半分にやって来た男性客もまた、太郎の無自覚な色気に当てられ、しどろもどろになりながら買う予定もなかった菓子折りを二つ三つ抱えては、そのうちの一つを彼に無理やり押し付けて「また来る」と帰っていくのである。こんな客が連日のようにやって来るものだから、売り上げは単純に倍以上になった。
ちなみにその大量の菓子はさすがに彼一人で処理しきれるわけもなく、かといって店に並べ直すわけにもいかないため、従業員達の休憩中に振る舞われることとなった。そこで働いているにも関わらず、味見役以外はなかなか口にすることの出来ない菓子に女中達は目を細め、男衆もまた、日ごろの疲れが吹っ飛ぶようだとありがたがった。
そのお陰か、女中達がふくふくと丸くなって可愛らしくなり、またころころとよく笑うようになったとかで、「皆楽しそうに働いていて店の雰囲気も良い」などと評判も上がった。そしてそんな噂がまた客を呼んだ。
次に飛助。
彼は最初こそ大人しく、ただひたすらに在庫管理だの納品に来た業者とのやり取りだのをしていたのだが、慣れて来ると手の抜き方も掴んだと見えて、空いた時間にせっせと彫り物をするようになった。どうせ使い道のない木っ端であるし、好きにさせておけ、と放置していたところ、出来上がったものを見て同僚達は驚いた。それは、きれいな石蕗の花の判子だったのである。
「ここ『石蕗屋』なんだし、和紙にこんなの
などと言って平八の許可もなく勝手にポンポンと捺してこっそりと在庫に紛れさせてしまったのだが、これもまた大当たりであった。店名と家紋のみの味気ない(ただ平八自身はそれこそが老舗の味だと思っていたのだが)和紙に包まれていた菓子折りが、何とも上品で艶やかになったと評判を呼んだのである。
それに気を良くした平八が、今度は自ら彼に命じて、行事に合わせた判子を彫らせることとなった。やれ節句には女雛と男雛だ、それから兜も必要だなどと次々と注文が入り、飛助は、在庫の管理の方よりもそっちの方が忙しくなってしまったほどである。
そして、白狼丸。
恐らくあっという間に問題を起こしてここを叩き出されるだろうと従業員の誰もが危惧していたのだが、意外や意外、彼はしっくりと溶け込んだ。ただ、態度はでかいし言葉も荒いため、こいつだけは決して店に出してはならないと平八もきつく念を押していたし、従業員全員がその気持ちではあったが。
さて彼は、倉庫内で商品と材料の管理をする中で、思わぬ才を発揮することとなる。
ある日のことである。
倉庫に足を踏み入れた白狼丸は、手にしていた帳面を乱暴に棚に置くと、くんくんと鼻を鳴らして納品されたばかりの小豆袋を一つ掴んだ。そして先輩の伊助に向かってこう言うのである。
「伊助さんよ、この豆は駄目だ」
伊助が、そんなはずはない、それは今朝納品されたものだぞ、と中を開け、かき分けてみれば、袋のうんと底の方に、腐った小豆が確かにあった。それも一粒二粒ではない。たまたまかもしれないが、意図的だとしたら悪質である。早速平八に報告すると、当然、なぜわかった、という話になる。何せ餡子を作る段階での発覚ならまだしも、納品直後の話だ。
「それくらい臭いでわかんだろ」
白狼丸はさらりとそう言ったが、平八にも、また、長く働いている伊助でさえも全くわからなかった。そうして、白狼丸はただの在庫管理係ではなく、納品された菓子の材料の品質管理をも任されるようになったのである。三人の中では一番の出世頭といえよう。
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