石蕗屋との交渉②

「は?」


 三人分のその声は、うまいこと束になって一つとなり、広い部屋の中に響いた。


「ちょ、太郎、おれの話聞いてた?」


 と白狼丸が彼の肩を揺すり、


「タロちゃん、自分が何言ってるかわかってる? やめなよぅ!」


 と飛助が血の気の引いた顔をぶるぶると振る。


 そして平八はというと、呆気に取られて口をあんぐりと開けていた。後ろに控えていた男達はざわつき出し、平八と離れて座っている雛乃はというと、口元を袖で隠してつぶらな瞳をぱちぱちさせている。


「ちゃんと聞いてたさ、白狼丸。それに飛助、俺は自分が何を言ってるか、ちゃんとわかってる」


 二人の言葉に律儀に答え、未だ呆けた表情の平八に向かって、旦那様、と声をかける。その声に弾かれたように平八の身体がぶるりと震えた。何だ、という声が上ずる。慌てて、ごほん、と咳払いをして、仕切り直しとばかりに「何だ!」と無駄に声を張った。


「二人で働けば、返す額も倍でございますね?」


 きりりとした目でまっすぐ見つめられれば「も、もちろんだとも」と返すことしか出来ない。しかし、その頭の中では案外しっかりと、こいつを働かせるとしたら、まぁ見目が良いから売り子が良いだろう、計算が出来ないから絶対に算盤は持たせられないが、などと考えていたが。

 けれど、その思考は「待て」という声で中断を余儀なくされた。



 割って入ったのは白狼丸である。

 その言葉はどうやら平八ではなく、太郎に向かって放たれていたらしく、身体こそ正面を向いていたが、彼の目はまっすぐに太郎を映していた。


「馬鹿野郎、おれを除け者にすんじゃねぇ。お前が働くなら、おれも働くに決まってんだろ」


 旦那、三倍になるよな? そうだよな? とこちらを向いたその目は飢えた獣のようで、鋭い犬歯を光らせて噛みつかんばかりに念を押されれば、やはり「も、もちろんだとも」としか返せない平八であった。


 

 とにもかくにもそういった流れで太郎と白狼丸は、ここ、石蕗つわぶき屋で飛助の借金返済のために働くこととなった。


 太郎は店先での客引き、白狼丸はというと、裏の倉庫で在庫の管理である。

 ここで働くに辺り、白狼丸はどんな時でも肌身放さず身に付けていた狼の毛皮を脱がねばならなくなった。いくら倉庫勤務といっても飲食物を扱う店である。狼の毛でも混入すればことだ。

 一応住み込みになるため、部屋が宛がわれたのだが、白狼丸は大部屋を案内されたにも関わらず、どういうわけか太郎は個室だった。


 平八が言うには、


「こいつの場合、むさ苦しい男衆の中に放り込めば、まず無事では済まないだろう」


 という何とも物騒な理由だそうだ。だったらおれはどうなる、と白狼丸も食って掛かったが、その場の男衆全員から「お前はねぇよ」と返されて終いである。

 とはいえ、元は掃除用具をしまっていた小部屋のようでかなり狭く、辛うじて布団が一組敷ける程度であったため、そこまで羨ましい待遇でもない。それでも一応施錠は出来るということで、白狼丸の毛皮は太郎の部屋で預かることとなった。


「余計に狭くなっちまって悪いな」


 と毛皮がないせいでいつもより小さく見える白狼丸が言うと、太郎は少しはにかんだように笑って、


「良いんだ。白狼丸が傍にいるようで安心する」   


 などと返すものだから、心臓を鷲掴みにされたような心地を覚えて、思わず赤面してしまう白狼丸であった。


 さて話を戻して、金を借りた張本人である飛助であるが、もちろん彼も働かねばならない。むしろ彼こそ最も身を粉にして働かなければならない。

 が、平八としてはやはり逃亡するのでは、という点が気がかりである。この太郎とかいう男は随分情に厚いようであるが、飛助の方ではそうではないかもしれない。あっさりとこの二人を裏切って逃げるのではなかろうか。そこで平八は膝をぽんと打って言った。


「簡単に逃げられぬよう、足の指を折ってしまうのはどうか」


 本当は、罪人なのだし切り落としてしまえ、と言いたいところではあるが、真面目に働けばいずれ完済は出来るわけだし、未来ある若者だ、自分もそこまで鬼ではない、と。


 しかし、それに異を唱えたのはもちろん太郎だった。


「飛助は軽業師です。そんなことをしたら、軽業が出来なくなってしまうではありませんか。だったら私の――むぐ」

「いい加減にしろ太郎! 何もお前がそこまでするこたぁねぇだろ!」

「そうだよタロちゃぁん! おいらが逃げないようにするためなんだから、タロちゃんの指を折ってどうするんだよぉっ!」


 慌てて太郎の口を押さえる白狼丸に、縛られているため何も出来ないが、せめても大声を出して彼の言葉をかき消そうと叫ぶ飛助。


 ここまで来ると平八の方でも「こいつは一体何なんだ」と思わないでもない。情に厚いというのは美徳ではあるのだろうが、ここまで厚いと逆に恐ろしい。

 それにこの太郎というのはこの飛助と出会ってまだ日も――というか、二日と経っていないのだ。それなのになぜここまでこいつをかばう。火事場から助けてもらったか、そうでなければ親でも人質にとられているか、それくらいのことでもあるのかと問うたが、そんなことはないという。


 ただ一言、


「飛助は私の仲間です」


 それだけである。


 まっすぐ射抜くようなその目は少しも揺れることはなく、その言葉が真実であることを物語っていた。


 そんな太郎を見て、飛助は――、


「おいらの指でも何でもくれてやるから、頼むからタロちゃんにだけは何にもしないでくれよぅ」


 と大粒の涙を流した。

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