石蕗屋での生活

石蕗屋との交渉①

「とにかくだ!」


 かなり出鼻をくじかれた格好になった平八は殊更大きな声を出した。

 そんなもので威厳が取り戻せるとでも思っているのだろう、と飛助と白狼丸辺りはすっかり冷えた頭でそう考えたが、白狼丸はまだしも飛助はそれを顔に出すわけにはいかず、上っ面だけでも反省する振りをして項垂れていた。


「いくら寛大なワシとて腹の虫がおさまらん。簀巻きにして川に投げ込んで! ……やろうとでも思ったがそれだと結局金は戻って来ん」


 簀巻きにして川に投げ込んで――の部分で、さすがの飛助も「ひぃ」と悲鳴を上げたが、それに続く「金は戻って来ん」という言葉にとりあえず首の皮一枚で繋がったと胸を撫で下ろした。が、やはり甘くはない。


「金を返し終わるまでただ働きだな。まぁ額が額だ、何年かかるかわからんが」


 と狸腹を揺らして下卑た笑いを浮かべた平八に、がくりと肩を落とした。


「ちょっとお待ちください」


 そこへ割って入ったのはやはり太郎であった。ずい、と平八ににじり寄り、丁寧に手をついて深く頭を下げる。


「飛助の借金とは一体いくらなのですか」

「お、お前。何なんだ。近い近い。近いから離れろ」


 太郎に対してすっかり苦手意識が芽生えてしまったらしい平八は、背中をのけぞらせて多少なりとも彼から距離を取ろうと必死である。


「タロちゃん、聞かないでくれよ。聞かない方が良い」


 話の流れからして、それを肩代わりするとでも言い出すのだろうと思った飛助が、懇願するように額を床に擦りつけた。


「駄目だ。聞く。それで旦那様、飛助の借金とは――」

「一千よう、だ」


 ふふふ、と額に脂汗をにじませつつ、どうだ、と言わんばかりにゆっくりとそう告げる。懐から取り出した扇子をぱたぱたと扇ぎ、どうする、と意地悪く太郎をねめつけた。


「……白狼丸」

「おう、どうした」


 やっとおれの出番が来たか、と白狼丸はこんな状況にも拘わらず、ほんの少し心が浮き立った。何にせよこの白狼丸、太郎に頼られたいのである。ただ、一千葉なんてそんな大金はねぇぞ? と思っていたが。


「一千葉って、どれくらい?」

「――はあぁ?! あ、ああ、そっか。お前、知らねぇんだな」


 きょとんとした表情で尋ねてくる太郎に、白狼丸は素頓狂な声を発したものの、すぐに、そうだった、と膝を打った。


 太郎は、読み書きこそじい様に習ったものの、算盤の方はからっきしなのである。白狼丸は両親が存命だった頃に村にある寺子屋で一通り習いはしたが、太郎の集落にはそれがなかったのだ。それが出来なくてもじい様とばあ様は特に不便を感じていなかったし、それに、あの集落には太郎以外の子どももいなかったから、寺子屋に通わせるという発想に至らなかったのだろう。村を出て働くと言った太郎に白狼丸がついてきたのには、そういう理由もあったのである。


 わかりもしねぇ癖に何で聞いたんだよ!


 心の中でそう突っ込んだ白狼丸だったが、こほん、と咳払いをしてから、あのな、と優しい声を出す。


「ええと、まぁ目安ではあるが。だいたいおれらくらいのわけぇのが一月生活するのに必要なのが十二葉ってところだ。贅沢しなけりゃな。良いか、一月の生活で十二なんだ。だからまぁ――……ざっと六、七年分ってところか。どうだ、これでわかるか?」


 ゆっくりとそう説明すると、太郎は口を一文字に結んで、ふんふん、と頷いた。


「だが、まぁ最も、一月で十二稼いだとして、それに全く手をつけなかったら、っていう計算だからな? 実際はそれくらい稼げるかもわからんし、稼げたとしても食うにも寝るにも金はかかる。だから、仮にここでただ働きをするにしても、寝食分は引かれるんだろうし、十年かかるか、十五年かかるか――」


 と続けると、平八は、ほう、と何やら感心したような声を上げた。


「お前、見かけによらずなかなか頭が回るじゃないか」

「見かけについては言ってくれるなよなぁ。まぁ、机に座って勉強するのは嫌いだったけど、苦手でもなかったっつぅか」


 村でも意外だと言われ続けてきたが、白狼丸は案外この手の計算は得意だったのである。そこの寺子屋がわかるまで席を立ってはならないという方針だったことも大きい。白狼丸としてはさっさと終わらせて外に遊びに行きたいのである。その一心で必死に頭を回転させるようになったというわけだった。

 

 その白狼丸の意外性に一瞬霞みそうになったものの、太郎の無学ぶりは平八の自尊心を取り戻すのに大いに役立ったようで、ふはははは、とふんぞり返って太郎を見下ろす恰好になった。


「わかったか、小僧。そいつが言ったように、だ。まぁ少なくとも十五年は働いてもらうことになるわけだ。これで納得か? おおん?」


 またしても調子を狂わされてしまったが、とにかくその『一千葉』の価値は十分に伝わっただろう、あとはもう何か適当なことを言ってこいつらを叩き出すだけだ、とやはり太郎への苦手意識が抜けきらない平八はそう思った。


「十分によくわかりました」


 案の定彼は、やはり丁寧に手をついて、そう答えるのである。いくら仲間だ何だといっても、一千葉もの大金である。おいそれと肩代わり出来るものではないし、聞けばこの男、飛助と知り合ってまだ日も浅いというではないか。ならば、なおのことそんなやつの借金に首を突っ込むこともないはずだ。そう思い、では立ち去れ、と口を開きかけたその時。


「では、私も一緒に働かせていただきます」


 と、手をついたまま、まっすぐ平八を見上げて、太郎はそう言った。


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