飛助のついた嘘①

「別に怖いものがあったって良いだろ」


 ひょいひょいと右に左にと道行く人をかわしながら、太郎は言う。


「俺だって、桃が嫌いだし」

「いや、お前のは『嫌い』だろ。あいつは『怖い』なんだから」

「似たようなものだろ。嫌いっていうのは、根底に怖さもあると思う。怖いから嫌いなんだ」

「ほぉん、そんじゃお前は桃が怖いってことか」

「心のどこかにな、そういう気持ちはきっとある。だから、俺は別に飛助がおかしいとは思わない」

「そうかねぇ」


 納得のいかない様子の白狼丸ではあったが、飛助を仲間に入れるのを太郎に委ねたのは他ならぬ自分である。それに、具体的に何がどう怪しい、というのもわからないのだ。もしかしたら本当に、ただひたすら鬼であるとかそういう物の怪の類に弱い質なのかもしれない。


 白狼丸の村にも、とにかく足の多い生き物が怖いというやつがいて、手足の数は計四本までじゃないと無理らしく、やれ家に天牛かみきりむしやら百足むかでが出たといっては泡を吹いて倒れていたものである。それがまだ女子どもなら可愛げもあるのだが、ところがどっこい四十も超えた一家の大黒柱で、彼の妻や子が呆れ顔でそれらを退治しているのだとか。


 だからまぁ、ないことではないのだろう。

 けれど何か引っかかる。

 いわゆる野生の勘、というやつである。


「とにかく、飛助との約束だ。その大店の前をさっと通ったら、待ち合わせの扇子屋へ行こう」

「そうだな。でも良いのか? お前は鬼が見たいんだろ?」

「まぁ、そうだな。出来れば見てみたかった」

「しかし、お前はお前で何でまた鬼なんか見たいんだよ」


 飛助の怖がりようは確かに尋常ではないが、白狼丸にしても一応、鬼に対しての恐怖といった感情は多少持ち合わせている。遠目で――確実に安全だというところから眺める程度なら良いが、そこまで近い距離でまじまじと見たいものでもない。ぜひとも手合わせしてみたいであるとか、そこまで血の気が多いわけではないのである。

 

「ちょっと気になってさ。おじいさんから話で聞いたことはあるし、絵巻や書物の挿絵なんかも見たことはあるけど、本当にそういう感じなのかと思って」

「そういう感じっていうと」

「真っ赤な身体でさ、角が一本か二本か生えてて、鋭い牙があってさ。まぁそれは良いんだけど。その、野蛮で乱暴で、人を食らう、みたいな」


 太郎の眼はまっすぐ前に向けられている。その視線の先には、くだんの大店がある。飛助の話では、その鬼は、二階で女を侍らせて酒を飲んでいるのだという。


「もし違ったらどうする」


 そう聞いたのは、太郎の口ぶりが暗に「そうじゃないかもしれない」と言っているような気がしたからだ。


「もし――まぁ、見た目はおれらとは違うかもしれねぇけど、身体も赤いかもしれねぇし、角も牙もあるかもしれねぇけど」


 そうじゃなかったら何をもって『鬼』と、異形のものと呼ばれているのか、という話になるわけだから、少なくとも外見上の差異はあるだろう。


「だけど、別に野蛮でも乱暴でもなくて、人も食らわないとしたら、ってことだ。何せ女侍らせて酒を飲んでるだけだからな、おれらが聞いてる話では。もしそうなら、お前はどう思うんだ」


 もちろん、裏では人を食らっているかもしれないが、とも思ったが、そこは黙っていた。


「そうだな、もしそうだったら――」


 太郎は大店の方へ向けていた視線を白狼丸に寄越して、何やら悲しげに笑ってみせた。


「だったら良いな、と思うよ」


 その顔が本当に悲しそうで苦しそうで、白狼丸は相槌を返すことも一瞬忘れてしまった。なぜそんな顔をするのだと、そう問いたかったが、それも出来なかった。何やら落ち着かない心を鎮めようと通りに目を向ける。遥か遠くに目指す大店が見えて、あそこに鬼がいるのか、などと考えると、突然飛助の言葉が蘇ってくる。


「あいつら、どこで見てるかわかりゃしねぇ」


 そうだ、飛助の野郎、『あいつら』と言ったのだ。鬼は大店の主人一人という話ではなかったか。それに、あの口ぶりだとまるで知り合いのようではないか。やはりあいつは何かを隠している。


「――っなぁ、太郎、やっぱり」


 その言葉の続きが彼の口から出ることはなかった。


 なぜなら――、


「おい、誰かそいつを捕まえてくれぇっ!」


 そんな声が飛び込んできたからである。


 その声の方を見れば、地蔵大通りと呼ばれているこの広い通りの向こうから、土埃を上げてまっすぐこっちに走ってくるものがある。その後ろには、そいつを追っているのだろう大人達が数人。捕まえてくれ、だの、お尋ね者だ、などという怒声が聞こえ、白狼丸と太郎は顔を見合わせた。


 捕まえよう、と太郎の眼が言い、

 面倒だからほっとこうぜ、と白狼丸が首を振る。


 けれども。

 その、頭から布を被っているその男の顔がちらりと見え、二人は揃って「あぁ?!」と声を上げた。


「飛助?!」

「何であいつ……!」


 もうもうと土埃を上げ、必死の形相で走ってくるその男は、飛助だったのである。


 彼は二人の姿を目に留めると、目をぎゅっと瞑ってすまなそうに頭を下げた。見逃してくれ、すまん、そう思えて、白狼丸は、やっぱり訳ありだったじゃねぇかとため息をつく。何にせよ、こいつとの関係はこれで終わりだ。そう思い、どこへでも逃げやがれ、と目の動きだけでそう伝える。


 が、太郎は違った。


「おい、飛助。どこに行くんだ」

「――ぐえっ!?」


 太郎が特に素早かったというわけではない。

 どんなに白狼丸が本気を出しても捕らえられなかった飛助の襟に、まるで、そこを通過することをあらかじめ読んでいたかのように先回りして、ひょいと手を伸ばしただけである。飛助は白狼丸よりは遅いというだけで、決して走るのが不得手というわけではないし、いまだって彼を捕らえようと立ちはだかる町民達を軽くかわしながら逃げていたのである。


 なのに。

 なのに、実にあっさりと太郎は彼を捕まえてしまった。そのことに白狼丸は口をあんぐりと開けて驚き、また、飛助自身もげほげほと咳込みつつ「何でぇ?!」と目を丸くしている。


「なぁ、どこに行くんだよ。待ち合わせ場所はこっちじゃないだろう?」


 と襟を掴んだまま太郎が首を傾げていると、「助かったぜ兄ちゃん」の言葉と共に追っ手が息を切らせて到着し、飛助はがくりとその場に崩れた。

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