飛助が怖いもの②

「じゃ、じゃあ、確認するけど。確認するけど」


 念を押すようにそう言って、さらにまだ足りないと思ったのか、確認するけどね、とさらに重ねてから、飛助は、ふう、と息を吐いた。


「その大店の前をさらーっと通っておしまい。ね? それで良いね? もうさっさと通り過ぎようね。良いね? 良いよね?」


 ね? とこれまた何度も繰り返す。

 眉を八の字に下げ、くりくりとした丸い目に涙をいっぱい溜めてそこまで必死に懇願されれば、さすがの太郎もわかったと首を縦に振らざるを得ない。


 飛助の妥協案はこうだ。


 タロちゃんがどうしても行きたいって言うから、とりあえずはその町へ行こう。だけど、頼もう! なんてまさか鬼の店を訪ねるわけにはいかないからね? そんなの死にに行くようなもんだよ? わかるよね?


 だからさ、その空気だけ、っていうの? それを感じるだけで勘弁してよ。おいら、本当に怖いんだ。情けないやつだなんて笑わないでよ。だって、鬼だよ? さすがのおいらでも勝てるわけないんだから。良いね? 良いよね?


 ここまで言われてしまっては仕方がない。

 太郎とて、もちろん鬼が住まうというその大店に単身乗り込んで、どれ鬼とは如何様な生き物であるか、などとやりたいわけではないのである。


 ただ、出来れば実際にこの目で見たい、という気持ちはあった。それはもう多分にあったから、本当は、その大店の向かいに宿でもあればそこを拠点にするなどして働き口を探すか、あるいはいっそその大店で働かせてもらえないかと頼み込むつもりではいた。


 けれど、飛助が。

 新しく太郎の仲間になった飛助が、鬼は怖い、さっさと通り過ぎてしまおうよ、と涙ながらに懇願するのである。他ならぬ仲間の頼みとあらば、致し方ない。


 情けない顔をして着物に取り縋る飛助の頭を撫でながら、わかったから、と言えば、タロちゃんは優しいなぁ、と彼はホッとしたようにへらりと目を細める。


 それを見て――、


 こいつ、俺らより年上なんじゃなかったのかよ、と白狼丸は呆れた顔で大きくため息をついた。


「ていうかよぉ、そんなに怖ぇんなら、別行動すりゃ良いじゃねぇか。その大店は大通り沿いにあるんだろ? その通りを抜けたところに店でもねぇのかよ」

「店かぁ。確か……あったな、うん。腰の曲がった老夫婦が切り盛りしてる寂れた扇子屋があったはず」

「そんじゃそこで待ち合わせりゃ良いだろ。人を待ってるって言やぁ、茶くらい出してくれるんじゃね?」

「そっかぁ。そうだね。うん、そうしようそうしよう」


 さっきまでとは別人のように晴れやかな顔になった飛助は、ぴょんぴょんと辺りを跳ね回った。手もつかずにその場でくるりと宙返りしてみせたり、ちょうど良い木だなどといって、その枝に飛び乗ったりしている。さすがは軽業師と名乗るだけはある。


「すごいな」


 ひょいひょいと猿のように枝から枝へと飛び移るのをぼうっと見上げ、太郎はぽつりとそう言った。耳の良い飛助にはもちろん聞こえていたようで、枝の上の猿は照れ臭そうに頭を掻く。


 畜生、確かにあれはおれにゃあ出来ねぇ。


 おれにも何かなかったかと、密かに対抗意識を燃やす白狼丸である。剣術やら体術なら村では敵なしだったが、完全に我流だし、所詮は小さな村のお山の大将である。それにしてもどういうわけか太郎には勝てなかったし、それ以外だと何を食っても腹を壊さないとか、そんなつまらないやつしかパッと浮かばない。


 さっき太郎は、俺と二人だけなんてつまらないだろ、と言ったがそれは逆なのではないか、つまり、白狼丸自分こそがつまらないやつなのではないか。


 そんなことまで考えてしまい、らしくねぇ、と腿をぎゅっとつねる。つまるとかつまらないとか、そんなのはどうでも良いのだ。自分は太郎の保護者のようなものなんだから、そういうのを超越しているのだと、己自身に言い聞かせる。言い聞かせている時点でどうでも良くはないのだが、そう思い込むことにした。



 さて、山道を歩きに歩いてやっと町である。遠目にも活気に満ちているのがわかって、自然と二人の歩みも早くなった。

 と、いままで機嫌良くふざけながらついて来ていた飛助が、何やらもじもじごそごそとしているのに気が付いた。歩幅も心なしか狭くなり、いつの間にかほっかむりまでしている。


「どうしたんだ、飛助」

「何だよ、もう鬼が怖いのかぁ?」


 心配そうに眉を寄せる太郎とは対照的に、白狼丸は意地悪そうに笑っている。


「まぁね。あいつら、どこで見てるかわかりゃしねぇ。そんじゃ、おいらは先に行くよ」


 唇を震わせて早口でそう言うと、飛助はだっと駆け出した。だんだん小さくなっていくその後ろ姿を見て、白狼丸は少しだけ安堵する。


 あいつ、走るのはおれより遅ぇな、と。

 そして、そうだ、おれにはこれがあったじゃないか、と思い出す。足の速さにおいては太郎にだって負け知らずなのである。


 飛助の背中が豆粒よりも小さくなったところで、白狼丸は太郎に「なぁ」と声をかけた。


「どうした、白狼丸。お前も鬼が怖くなったか?」

「まさか。いや、怪しくねぇか、って話」

「何が」

「飛助だよ。おれはどうにもあいつが何か隠しているように思えてならねぇ」

「そうか?」


 そう言いながら、飛助が消えていった大通りに視線を向ける。

 東地蔵あずまじぞうという名らしいこの町は、白狼丸が言っていた通りに活気に満ちており、人の多さに慣れない二人のような田舎者はよほど注意して歩かねば道行く人にぶつかってしまいそうだ。


 血の気の多い白狼丸はきっと、肩が触れ合っただけでも喧嘩になるだろう、そんな予感がして、太郎は道の端に彼を誘導した。話ならここでしよう、というわけだ。


「鬼の怖がり方が尋常じゃないと思わないか?」


 そう白狼丸が口を開いたところで、客だと思ったらしい金物屋の主人が愛想笑いを張り付けて「いらっしゃいませ」とやって来る。そこで初めていま立っているところがその金物屋の店先であることに気付き、丁寧に詫びてそこを動いた。


 太郎も白狼丸も文無しというわけではない、働き口が見つからなかったことを想定して、二日三日くらいはどうにかなるだけの手持ちはあったが、早速それに手をつけてしまうのは惜しいし、いまのところ金物屋に用はない。

 

 町というのは立ち止まって話をすることも出来ないのか、と太郎は驚き、やむ無くとぼとぼと歩きながら話を続けることにした。もしもの時は自分が仲裁に入れば良いのだ、と、そう思いながら。

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