飛助が怖いもの①

「それで、その鬼がどうだというんだ」


 太郎がこうなってしまった以上、白狼丸が一笑に付してハイおしまい、と片付けるわけにいかない。だから、渋々、本当に渋々尋ねた。すると飛助は、やっぱそれ聞いちゃう? と肩を竦める。


「いや、どうってこたぁないんだ。ただ、その町一番の大店おおだなの主人がね、鬼だっていうだけの話。滅多に店の外には出て来ないんだよ。店番は若いもんに任せて、二階で日がな一日女をはべらせて悠々自適に酒を飲んでる」


 それだけかよ。


 白狼丸は正直そう思った。

 けれど、仮にその話が本当だとして、だ。

 ならば、触らぬ神に何とやら、というやつではないのか。

 もちろん、裏で何をやっているかはわかったものではないが、表立って、例えば日常的に人を拐って食らっているだとか、そういうことがないのであれば、それはそれで良いのではないか、と。


「だけどさ、やっぱりおっかないじゃんか。鬼だぜ? いつ何がそいつの逆鱗に触れるわかったもんじゃない。そうだろ? だから、おいらとしては、だよ。その町じゃなくて――そう、別の町にしたら良いんじゃないかな、って」

「別の町と簡単に言うけど、おれ達は正直そこしか知らないんだ。他に行くにしても、まずはそこで情報を集めてだな」

「だぁーいじょうぶ、おいらがいるよ! おいらが案内するって。ね? ね? タロちゃんそうしようよ。鬼がいるおっかない町なんかやめてさ、もっと華やかなところ知ってるんだ、おいら」


 華やかなところかぁ、と白狼丸が身を乗り出す。やっと乗って来たと、飛助は顔を綻ばせて、そうそう、と何度も頷いた。


「きれいなお姉様のいるお店もあるし、おいら好みの美味しい甘味屋さんもたぁっくさんあってさぁ」


 両手を宙に泳がせ、口の端をよだれで光らせながら、うっとりと目を閉じる。恐らく、その甘味とやらを思い出しているのだろう。


 そうだ、どうせ働くのなら、そういう華やかなところの方が、日々の労働で疲弊した心身を癒すのにちょうど良いかもしれない。さすがに毎日ではないにしても、たまにゃそんなご褒美があっても良いだろう。白狼丸はそんなことを考えて、そうしないか、と太郎の肩を叩く。


 しかし、彼は飛助のくるぶし辺りに視線を固定したまま微動だにしないのである。一体どうしたことかと心配になって、白狼丸は気持ち強めに彼の肩を再び叩いた。


「おい、太郎。太郎ってば、よぅ」

「何だよ、痛いよ白狼丸」

「おお、やっと返事したな。それで、おい、どうしたってんだ、さっきから」

「いや、ちょっと考え事を」

「何考えてんだか知らねぇけどよ。なぁ、いまの話聞いてたか? 鬼のいる町なんかやめてさ」


 と白狼丸が太郎の肩を抱き、自身のこめかみと太郎のそれを、こつん、と合わせる。もっと華やかなところに――、という彼の言葉を「いや」と遮り、ぎゅ、と拳に力を込めた。


「行こう。その、鬼のいる町に」


 凛とした力強い声に、白狼丸はただ、うえぇ、とげんなりした声を上げた。




「ねぇ、本当に行くの? ねぇねぇ」


 のしのしと歩く太郎と白狼丸の周りをちょろちょろと忙しなく行ったり来たりしながら、飛助は、もう何度目かわからない問いを投げかけた。


「あぁ、行く」


 その度にそう律儀に返す太郎を、白狼丸はある意味尊敬している。これが自分だったら、しつけぇな、と脳天に一発お見舞いしているところだ。というか、実際にお見舞いしようとした。

 が、この飛助、猿のようにすばしこく、捕まえようとこっちが躍起になればなるほど、するりとかわされてしまうのである。だから天高く振り上げた白狼丸の拳は、ただの一度も飛助に当たることはなかった。


「もう諦めろよ飛助、こうなりゃこいつはてこでも動かねぇぞ」

「そんなぁ。なぁ、鬼だよ? おっかないよ? 鬼ってやつぁ、男も女も見境ないんだぜ? タロちゃんてば、きれいな顔してるし、身体も華奢だしさぁ。おいらだって正直ちょっと腰に来るくらいだもん。鬼に見つかったら食われちまうよぉ?」


 精一杯脅かしているつもりらしく、情けない声も上げてみるが、太郎はというと「俺が細身だからって、何で飛助の腰がどうとかって話になるんだ? それに、だったら食らうところもないだろ。もっと肉付きの良い方が――」と首を傾げるばかりである。


「ええ、ちょっと待って。食うってそういう意味じゃあ……。あれ、嘘ぉ? ねぇ、白ちゃん? タロちゃんってこういう話通じない人?」


 えっ、十五なんだよね? 元服も済ませたんだよね? と珍獣でも見るかのような目で太郎を見つめ、ちょっとどうなってんの、と白狼丸の袖を引けば、白狼丸は正直もう面倒臭くなって「知らねぇよ」としか返せない。


 太郎がここまで成長した後、久しぶりに白狼丸の村に連れて行ってみると、村の女共はきゃあと黄色い声を上げて彼の周りを取り囲んだものである。当の太郎はというと、ある意味獣のように目をギラつかせた女人などどちらかといえば恐怖の対象でしかないようで、白狼丸の背に隠れて震えていたが。

 とはいえ、据え膳食わぬは――という言葉もあることだし、とっとと『男』になってこいや、と背中を押してみるも、「俺は既に男だ」と大真面目に返されてしまう始末。かといって、懇切丁寧に男女の睦み事について説明してやるのも気恥ずかしく、まぁ追々と先延ばしにし続けた結果がこれである。


 そろそろ色々と教えてやった方が良いのか、それとも、年上のお姉様辺りはこれくらいの方が可愛らしく見えたりして良いのだろうか、なんてことを薄ぼんやりと考えながら、山道を歩く白狼丸であった。

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