太郎と三人の仲間①

「……白狼丸は、俺が鬼の子だと知って、どう思った」


 おずおずと、両手の指を忙しなく動かしながら太郎が問い掛けてくる。さっきまで射抜くようにまっすぐこちらを見ていた強い眼差しは、すっかり力をなくして伏せられていた。


「どう、って」


 どんな答えが欲しいんだ、と白狼丸は考えた。その通り言ってやるつもりではなかったが、こんなに弱りきった太郎を見れば、少なくとも、彼が望まないことは口にしたくない。


「怖くなったか。嫌になったか」


 そう言って膝の上に手を置き、着物を強く握りしめる。それが、小さく震えている。


 あほたれ。


 心の中でそう思ったから、白狼丸はわざと大きなため息をついた。太郎は、びくり、と身体を震わせて盗み見るように白狼丸に視線を向ける。


「あのなぁ、おれは山犬の子と恐れられた白狼丸様だぞ? いまさら鬼が怖ぇかよ。明日鬼ヶ島に行くんだぞ? 楽勝だっつぅの。第一、おれにとっちゃあお前なんていつまでも寝小便たれのガキだ」


 図体ばかりでかくなりやがって、と無防備な額を指で弾けば、太郎は、っ!? と小さく叫んだが、すぐにキッと眉を吊り上げた。


「白狼丸の前で漏らしたことなんてないはずだ」

「そうだな、おれがいる時はな。でもおれがいない時には盛大にやらかしてたらしいじゃねぇか。こちとらばあ様からしっかり聞いて知ってんだよ」

「おばあさんめ……内緒にしてくれって言ったのに」

「だっはっは。寝小便するほどそんなにおれがいない夜が寂しかったか? この寂しん坊め」


 いひひ、と意地悪な笑みを浮かべれば、太郎はもう観念したのか、少し赤くなっている額に手を当てつつ、ゆるりと笑った。


「寂しかったさ。何せ初めて出来た友達だ」


 こんなにも素直に認められてしまうと、今度は白狼丸の調子が狂ってしまう。ちぇ、と舌打ちして、からかって悪かったな、と口先だけで軽く詫びた。


 珍しい白狼丸の詫びの言葉に少々面食らった太郎だったが、ぴしり、と背筋を伸ばし、「ありがとう」と言って、その姿勢でまっすぐに白狼丸を見つめる。白狼丸は、その太郎の目の端が少し赤くなっているのには、気付かない振りをしてやることにした。


 さすがにこれで終いだろうと、そろそろ風呂に行くかと座卓に両手をついて腰を浮かせた白狼丸のその袖が、つい、と引っ張られる。


「ごめん、最後にもう一つ」


 などという言葉に、おいおい次は何だ、と顔を上げると、太郎の背後の襖が、かたり、と動いたのが見えた。誰かいる。襖はぴたりと閉じられているから、中を覗かれてはいないと思うものの、話は聞かれていただろう。


「ちょっと待て、太郎」

「どうした、白狼丸」

「――しっ。声を落とせ。襖の裏に誰かいる」

「誰か、って誰だよ」

「わからん。でも――」


 いまの話を全て聞かれていたとなると少々厄介だ。太郎が鬼との合いの子と知られては、恐らくここを追い出されてしまうだろう。追い出されるだけで済めば良いが、騒ぎになるのは避けたい。


 とりあえず、適当な話でごまかしつつ、足音を立てずにそろりそろりと襖に近付く。


「なぁ太郎、俺らもそろそろ風呂に行かないか。たまには童心に帰って、一緒にどうだ」

「そうだな白狼丸。それじゃあ俺が背中を流してやるよ」


 ちゃんと乗ってきたことに安堵しつつ、けれど、その返答が意外なものだったので、演技だと知りつつも、つい声が上ずる。


「珍しいな、太郎が一緒に入ってくれるなんて。ここ最近は断られてばっかりだったのに」


 目を剥いて驚いた表情をすると、小さな声で「振りだよ、振り」と返ってくる。やはり一緒に入る気はないらしい。


「何だよ畜生。つれねぇなぁ。色気づきやがってよぉ」

「色気づいてるわけじゃない。ただ、あんまり見せたいような身体でもないだけだ」

「それを言うならおれだって別に野郎に見せたいわけでもねぇよ。でも、裸の付き合いっていうかさぁ」

「裸の付き合いなんて、いまさら別にいらないだろ」

「昔はあれこれ見せ合った仲じゃねぇか」

「あれこれ見せ合った時に、俺のを小さいって散々からかってくれたのは誰だよ」

「何だそりゃ。ガキの頃の話だぞ? もしかしてお前、そんなつまらねぇ理由で避けてたのかよ!」

「つまらなくはない! 俺にだって男の矜持ってもんがある!」

「ほーぉ、だったらなおさら見せてみろや。さすがにいまは立派になってんだろうが」

「なってないかもしれないから嫌なんだよ!」

「だーから、おれが見て判断してやるっつぅの!」

「判断も何も白狼丸のはでかいから、どうしたって小さく見えるじゃないか! 絶対に嫌だ!」

「でけぇもんは仕方ねぇだろ!」

「縮めろ!」

「出来るかぁっ!」


 いつの間にか演技も忘れてお互いに声を荒らげている。しかもその内容は己のいちもつが立派か否かである。襖の向こうにいた者達も、もう聞いていられない、と思ったのだろう、音もなく、すぅ、とそれは開かれ、何とも言えない顔をした飛助と青衣が現れた。


「アンタ達、一体何の話してんのさ」

「白ちゃんのがでかいのは知ってるけど、何、タロちゃんのってそんなに小さいの?」

「げぇっ、姐御」

「飛助まで」


 互いの襟を掴んで睨み合っていた二人は、そこにいたのが見知った者達であったことに一瞬安堵したものの、くだらなすぎる口論を聞かれてしまったことに揃って顔を赤らめた。


「別にね、盗み聞きしようってェつもりはなかったんだよゥ?」


 悪びれもせず、青衣がしれっと言う。


「このお猿が忘れものをしたって言うから引き返したのさ。そしたら何だか真面目なお話してるみたいでねェ、さてどうしたもんかしらねェ、って」

「そうそう、話に割り込まなかっただけでも偉いと思わない?」


 そのつもりはなかったとはいえ、それでも結果として盗み聞きすることになった点について、どうやら飛助の方でも詫びるつもりはないらしい。あはは、とどこかから取り出した小さな最中を口に放っている。


「それで、どの辺から聞いてたんだ」


 もうここまで来たら、出来れば、いっそあの一番馬鹿らしい、己自身の大きさについての件だけでありますように、と白狼丸は願った。自分の出生の秘密がバレるのに比べたら、己のいちもつが小さいくらい何だというのだ――と思ったが、それを気にして一緒に風呂に入らなくなったのだと考えると、もしかしたら太郎にしてみれば、これもかなり大きな秘密だったかもしれないが。


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