太郎と白狼丸②

 そこで一度話を区切った太郎が、どうだ、とでも言わんばかりの視線を白狼丸に寄越す。白狼丸は、口をへの字に結んで、ふん、と鼻を鳴らした。


「まぁ、そこまでは良いさ。ただ、いまのお前にはどうなんだ? その成長すれば角になるらしい瘤ってやつはあるのか?」


 ないだろ? と畳みかける。幾度となく太郎の頭に触れたことはある。何か良いことをした時には、艶のある髪を引っ搔き回さんばかりにぐりぐりと、嫌なことがあってしょげている時には、優しく、時に強く、その毛の流れに沿って丁寧に撫でてやったものだ。しかし、そこに瘤などは確かになかった。都合の悪いことはすぐに忘れてしまう白狼丸ではあったが、それだけはしっかり覚えている。そんな瘤があったとしたら、有無を言わさず担ぎ上げて医者へ見せに行っているはずだ。


「いまは、ない」


 その言葉に、そうだろう、と返す。だからそんなものはただの夢で、と続けようとしたが、それを、だが、と芯のある声が遮った。


「そのための、なんだ」

「はぁ?」

「夢にはまだ続きがある」


 無意識に崩していた足を再び直して、くそ、と呟き、ぶっきらぼうに「そんじゃ話せよ」と返す。太郎は、苦しそうに、うん、と頷いた。



 人との間に子を持つことは、鬼の世界ではよほどの重罪であるらしい。父上と母上がどのようにして知り合い、俺を成したのかはわからないが、どうやら仲間に隠して育てていたようだ。だから、ある程度大きくなったら、島を出るつもりだったらしい。だけど、それがある日バレてしまったんだ。それで。


 それで、俺達家族は罰されることになった。父上の「すまん」と母上の嗚咽というのは、つまり、そういうことだったんだ。


 といっても、罰を受けるのは俺と父上だけだった。母上は純粋な鬼であるから免れたんだ。いや、亭主と我が子が処されるのを見せられることこそが罰なのかもしれないが。


 父上がどうなったのかはわからない。さんざんに打ち据えられていたから、もしかしたら、とは思う。必死で俺と母上に向かって手を伸ばして、名前を呼ぶんだ。その手が真っ赤に染まっていたことまでは覚えている。


 それで、気付けば何やら甘い香りのする狭い空間に閉じ込められていた。香りに誘われて、その壁を舐めてみれば、蜜かと思うほどに酷く甘い。その外から、微かに聞こえたのは、母上の声だ。


 これは鬼の力を封じる桃の檻です。

 これからこの中で、赤子の姿まで遡らなければなりません。次にこの桃が開かれる頃には、鬼の記憶も失せ、ただの人の子として、再びこの世に生を受けることになるでしょう。桃を食べ続ければ、鬼の力が顔を出すこともなくなるでしょうから、生まれてからも桃を食べ続けなさい。父や母のことは忘れて、人の子として幸せに生きるのですよ、と。


 桃の檻に縋ってさめざめと泣きながら、母上はそう繰り返した。母上のもとに戻りたくて必死に果肉の壁を抉ったさ。けれど、柔らかいはずのそれは、どんなに爪で抉ろうとも削れることはなかった。俺は泣きながら嫌だ嫌だと叫んだよ。父上を、母上を忘れるものか、桃など決して口にするものかと。


 けれど、やがて俺は、桃の肉に爪を立てることも出来なくなっていた。身体がどんどん縮んでいくんだ。赤子に戻ろうとしているんだろう。意味のある言葉も話せなくなり、眠る時間が長くなって――、気付けばおじいさんとおばあさんに拾われていたんだ。



 ――確かに。

 確かに、辻褄は合う。


 そう白狼丸は思った。


 太郎がなぜあそこまで桃を嫌うのか。

 桃に親を殺されたのか、と思ったこともあったが、直接的にではないものの、親の『記憶』を殺されているのだ。そりゃあ嫌にもなるだろう。

 そして、太郎のあの馬鹿力。あれもきっと封じきれなかった鬼の力だったのだ。


「恐らく、年中桃の生る白狼丸の村で拾われるはずが、川下のあの集落まで流れてしまったんだ。それで、さすがに毎日は桃を口に出来なかったから――」


 だからきっと、封じる力が不十分だったのだろう、と太郎は言った。それが吉と出たか、凶と出たか。とにかく太郎は、鬼の姿でこそないものの、かといって完全な人にもなりきれぬまま成長したのである。


「おじいさんとおばあさんのことは、もちろん大切に思っているし感謝もしている。けれど俺は、本当の父上と母上のこと、それから自分のことも思い出してしまった」


 忘れたままの方が良かったのだろうか、そう続けて、太郎は顔を覆った。


「そんなこたぁねぇだろ。せっかく思い出したんだ、忘れねぇでいてやれや」


 座卓に頬杖をつき、明後日の方を見て、ふん、と鼻を鳴らせば、太郎は、すささ、と畳の上を膝歩きで移動し、白狼丸の顔を真正面から覗き込んだ。


「信じてくれるのか」


 そのまっすぐな瞳で見つめられるのに白狼丸は正直弱い。道行く人が皆振り返るほどの太郎だから、その母上とやらはとても美しい鬼なのだろう、なんてことを思う。


「おれがいままでお前を信じなかったことなんて、ない」

「そうだったな。だから話したんだ。それで、その――」


 何だまだ続くのかよ、と言って、白狼丸は、ううん、と伸びをした。


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