太郎と白狼丸①
早朝に
これといって名所もない田舎の漁村とばかり思っていたそこはどうやら温泉が出るらしく、一見寂れた宿場も案外風呂だけは立派だったりもし、利用客は多い。そのために部屋は二つしか取れず、厳正なるくじ引きの結果、太郎と白狼丸、飛助と青衣、という組み合わせになった。
とはいえ、寝る時以外は太郎の部屋に全員が集う形となるのだが。
「大事な話って何だ?」
夕食を終え、飛助と青衣が揃って風呂に行ったところで、太郎は白狼丸と向かい合った。白狼丸が手に持った銚子を振り、飲むか、と尋ねたが、太郎はそれを断った。
「白狼丸が飲みたいなら飲めば良い」
朝からずっと思い詰めたような顔をして、いつも以上に口数の少ない太郎からそんなことを言われれば、さすがの白狼丸も猪口を用意する気になれず、どうしたってんだ、と座卓に肘をつく。
「白狼丸は俺の一番の友達だ。だから、一番に話しておこうと思って」
「随分畏まるじゃねぇか」
真面目な雰囲気が苦手な白狼丸はつい茶化してしまいそうになる。いつもなら愛想笑いくらいは返してくれる太郎が、今日はくすりともしなかった。
これは相当だぞ。
そう思って身構える。座り直そうかとも思ったが、この雰囲気に飲まれるものか、と咳払いをするにとどめた。
「俺は人の子ではない」
「え、あ、おう。いや、そんなこと――」
とっくのとうに知っている。何せ桃から生まれているのだから。
それを知っているのは白狼丸だけである。いまさら何を言い出すんだ、とまた軽い調子で笑い飛ばしてやろうと思ったが、どうやらまだ続きがあるらしい。
「人は、桃から生まれない」
白狼丸に向けて、というよりは己自身に言い聞かせるかのように、ゆっくりと太郎は言った。白狼丸はただ、おう、とだけ返す。
「それで、最近わかったことがある」
「お、何だ?」
「なぜ俺が桃をここまで嫌うのか、だ」
「ほう、わかったのか」
太郎のじい様の話では生後間もなくの頃の太郎は桃を美味そうに食していたらしいから、食わず嫌いということはあるまい。ならば、何かしらのきっかけがあって嫌うに至ったものと思っていた。なのに、最近になってやっとわかったとなると、それも違うのではないか。つまり太郎はいまのいままで、これといった理由もわからずにただ毛嫌いしていたということになる。
という白狼丸の予想通りに太郎は言った。
幼い頃は、訳もわからず毛嫌いしていただけだった、と。
「食べる度に腹の底から得体の知れない嫌なものが込み上がってくるような感覚というのか、そういうのがあったんだ。この間久しぶりに食べた時にもやはりあった」
「ほお」
「だけど、ちゃんと理由があったんだ。俺は、桃を食べると弱くなる」
「はぁ?」
「桃を食べると、身体から力が抜けてしまう。だからあの時、倒れたというわけだ。だから、そうさせるまいと、身体が桃を拒絶していたんだな」
「ふぅん、成る程」
桃にそんな力があるのかは正直よくわからないが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。話はそれで終いかと思ったが、太郎の表情は晴れない。確かに、だから何だ、という内容ではある。桃が嫌いな理由が判明したからといって何だというのか。ここに飛助と青衣を同席させなかったのはなぜだ。
一番長く付き合っているから、というのもあるが、白狼丸はやはり自分こそが太郎の一番の友人であるという自負がある。そんな自分に真っ先に伝えたい話がこんなものではあるまい。
「だけどもちろん、桃にそんな効能はない。ただの人間にとっては、ただの果実だ」
「……だろうな」
しかし太郎はただの人間ではない。何せ、桃から生まれたのだ。ならば逆に桃から力を得られそうなものだが。
「桃は、魔除けの果実だ」
「何だと」
それじゃあまるで、と言いかけたところで、太郎がその先を読み、そうだ、と返す。
「俺は、鬼の子だ」
まっすぐに見つめるその瞳に魂までも吸いとられてしまいそうで、白狼丸は酒の入った銚子に視線を落とす。それに直接口をつけて喉を鳴らし、ふん、と鼻から息を吐いた。味のついた水のようで、ちっとも酔える気がしない。
「はっ、何をいきなり。何の根拠があってそんなこと言いやがる」
「夢を見るんだ」
「夢だぁ?」
今日一の気の抜けた声を発して、白狼丸はいよいよ吹き出した。
「何を言い出すかと思えば、夢の話かよ」
くだらねぇ、と笑い飛ばすと、太郎は「くだらなくはない!」と声を荒らげた。
「くだらなくないんだ。信じてくれ、白狼丸。お前だから話すんだ。白狼丸はいつだって俺のことを信じてくれただろ」
真顔でそんなことを言われたら、さすがの白狼丸も黙らざるを得ない。
「とりあえず、話してみろ。信じるか信じないかは、聞いてから決める」
どっからでもかかって来やがれ、と座り直し、真っ向から挑むように太郎を睨みつければ、彼は、ありがとう、と小さく礼を言って話し始めた。
太郎の話によれば、こうだ。
さすがの俺も、たった一度や二度くらいならば、おかしな夢だと笑い飛ばすさ。けれど、その夢はつい最近まで毎夜のように見ていたんだ。以前は断片的というのか、一枚の紙に描かれた絵を次々と見せられるようなものだったが、いまとなっては、動くし、音もある。それだけじゃない。匂いや、味、温かさまで伝わってくるようになった。
俺は、どこか懐かしい匂いのする草原にいて、その傍らには俺の両親らしき男女がいる。らしき、と言ったが、その夢の中の俺が父上母上と呼んでいたから、まず間違いないだろう。
その二人が言うんだな、腰を落として、俺と目を合わせて。すまん、と。何度も何度も。父上は悲しそうな目をして俺の頭を撫で、母上は嗚咽を上げながら俺を抱き締めるんだ。俺を抱くその腕がふるふると震えているもんだから、どうにか母上を元気づけてやらねばと彼女の頭を撫でてやろうと手を伸ばすと――、当たるんだよ。
石のように硬い、二本の角に。
それに驚いて父上の頭を見れば、そっちにはないんだ。
もし二人が真実夫婦であって、俺がその二人の子なのだとしたら、俺は人間の父と鬼の母との間に生まれた子であるらしい。恐る恐る自分の頭にも触れたさ。すると、この、額の――髪の生え際の辺りかな、瘤のようなものが二つあるんだ。恐らくこれが成長すると角になるんだろう。
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