白狼丸との旅立ち②
「それでは、おじいさん、おばあさん、行ってまいります」
白狼丸と酒を交わしたあの晩から数日後、太郎はじい様とばあ様に町へ出稼ぎに行くと申し出た。お前一人を食わせるくらい大したことではないから行かないでくれとばあ様は泣いたが、その背中を押したのはじい様である。
ただ――、
「ワシらのために行くのではなく、自分のために行きなさい」
旅立ちの朝、じい様は太郎にそう言った。
「お前と出会う前も、何だかんだ二人でやってこれたんじゃ。何、その生活に戻るだけじゃて。慎ましい生活をしていれば、食うに困ることはない。人間、病気でもないのに何もしない方でいる方が身体に悪いもんさ。身体が動くうちはめいっぱい働く、これが長寿の秘訣でのう」
わっはっは、と大口を開けて笑うじい様は、明らかに空元気である。けれど、自分達が未来ある太郎の足枷になってしまってはならないと思う。だからこそ笑う。
「広い世界を見るんじゃ、太郎や。ワシらには、たまに文を寄こしてくれれば良い。我が子が町で立派にやっていると思えるだけで、ワシらは幸せじゃよ。子のいないワシらのもとに来てくれてありがとう。この六年、本当に楽しかった」
「そんな、今生の別れのようなこと、言わないでください」
深く頭を下げるじい様に、その背に力なく凭れるばあ様。そんな二人の姿を見れば、太郎の決意も揺らぐ。
「あのなぁ、そんな大袈裟にとらえるなよお前達」
そんな場の空気を変えるのは、やはり白狼丸である。ちょっと使いに出るだけだとでも言わんばかりの軽い口調で、なぁなぁ、とそこに割って入る。
「別にもう帰ってくんなとか、そういうことでもねぇんだろ? 太郎の帰る場所はここで良いんだよな?」
じい様ばあ様と目を合わせ、確認するようにゆっくりとそう言えば、二人は揃って、もちろん、と声を上げた。
「まとまった休みがもらえたら顔も出すし、それが難しかったら文も書かせるさ。ま、すぐには無理かもしんねぇけどよ。とにかく、そんなに仰々しい別れじゃねぇって。なぁ、太郎」
「もちろん」
「村のやつらがちょいちょい話し相手に来るからさ、ばあ様は竹かごの作り方でも教えてやってくれよ。それに、じい様が作ったおもちゃ、村のガキ共に大層評判が良いんだぜ? たぶん、依頼殺到だろうな。忙しくなるぜぇ、こりゃあ。寂しがる暇なんかねぇかもしれんなぁ」
わざと悪い顔を作って、いひひ、と笑えば、白い顔をしていた二人の頬にうっすらと赤みが差す。そしてじい様は、はは、と涙混じりに力なく笑って言うのである。
「やはり白狼丸殿は良いお方だ」と。
そんな涙涙の見送りを経て、太郎と白狼丸は町へ向かって旅立った。道中、腹が空いたら食べるようにと握り飯やら日持ちのする保存食、竹筒に入った水、それからばあ様特製のきび団子を携えて。
「白狼丸は町へ行ったことがあるのか?」
二人の目指す町は小さな山を二つ越えたところにある。
都、とまではいかないが、かなり栄えているらしい。そんな話だけは太郎も聞いたことがある。
何でも昔、じい様が親に連れられて行ったのだとか。ただ、じい様が子どもの時分の話であるから、いまはもっと栄えているかもしれないし、あるいは廃れているかもしれないが。けれど自分達がいた村や集落に比べれば都会のはずである。
「行ったこたぁねぇな。だが、話には聞いたことがある」
白狼丸が聞いた話ならばさすがにじい様の時よりもいまの町の姿として正しい情報だろう、太郎はサッと白狼丸の前に回り込み、どういうところなんだ? と口を一文字に結び、目を剥いた。
興味があるのか、と白狼丸は意外に思った。これといって何もない集落の生まれだからなのか、太郎が何かに対してここまで食いつく姿を見たことがない。珍しい模様の蝶を捕まえた時もちらりと一瞥しただけだったし、滅多に採れない茸を土産に持っていった時も「美味い」の一言だけだったのだ。
「そうだなぁ。まず、とにかく人が多いな」
ごく、と唾を飲む音が聞こえたような気がした。
何をそんなに身構えてやがる、と白狼丸は内心愉快で仕方がない。神様など怖くないと言っていた、年齢の割に達観した三年前の太郎を思い出したからだ。
「お前が住んでた
「そんなに道が狭いということか?」
「違う違う。道が狭いんじゃない、それほど人が多くいる、ということだ」
「そ、そんなにか」
三年付き合ってみてわかったのは、太郎は、かなり人付き合いが苦手だということである。そりゃあ生まれてからずっとあのじい様とばあ様としか関わってこなかったのだ、それも当然といえば当然かもしれない。
だから白狼丸は、稀に自分の村に太郎を連れて行き、年の近い子どもらの輪の中へ放り込んでみたりもした。けれど太郎は、数分と持たずに彼の元へ戻ってきてしまうのである。いわゆる人見知りというやつなのだろうが、さすがに何度も通えば慣れるはずだ。そう思い、何度か挑戦させてみたが、やはりあっという間に白狼丸のところへ戻ってきてしまう。
子どもが駄目ならば、大人ではどうか。
何せ太郎は生まれてからずっと大人――それも老人と一緒にいたのだ。ならば逆にうんと年上の方が接しやすいのかもしれぬ。そう思って、今度は大人達の方に放り込んでみたが結果は同じだった。尋ねられれば受け答えこそしっかり出来るし、手伝えと言われれば何一つ文句も言わずきっちり真面目にこなすものの、それが終われば逃げるように白狼丸の所へと駆けて行ってしまう。
まるで鴨の雛だ、お前達は鴨の親子のようだ、とその親であるところの白狼丸まで一緒にからかわれ、そこまで心を預けられている点については嬉しく思うものの、何ともこそばゆい気持ちになったものである。
その極度の人見知りのお前が、よくもまぁ、町へ出稼ぎに行くなどと大それたことを言えたものだ、と白狼丸は思った。
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