白狼丸との旅立ち①
太郎と白狼丸の付き合いはそれから三年に及んだ。
白狼丸は十五になった。
彼の村では十五になれば元服の儀式があり、それをもって大人の仲間入りを果たすのだが、身よりのない白狼丸に着物やら何やらを用意してくれるものなどいない。村の中でもそれは仰々しく執り行われることなどあろうはずもなかったし、彼自身も堅苦しいのは御免だと言ってそれを辞退した。
太郎はこの世に生まれてまだ六年であったが、身体つきは白狼丸と並ぶほどになっており、成長の方も落ち着いたのか人並みになってきていた。ならばと、太郎もまた十五ということにして、じい様とばあ様は、二人の元服代わりの簡素な祝いをすることにした。これで一応は、大人の仲間入り、というやつである。
ばあ様がこの日のためにと縫った真新しい着物と袴姿で、少々はにかみつつも並んで盃を傾ける二人はまるで兄弟のようで、じい様とばあ様は揃って目を細めた。この頃には太郎も年相応の立ち居振舞いというのか、白狼丸に対してはかなり砕けた調子で接するようになっており、頬を緩めて笑う顔を見れば、まだまだあどけない少年のようである。
「白狼丸、話がある」
月夜の晩だった。
二人は太郎の家の濡れ縁に並んで腰かけている。
白狼丸はこんな月のきれいな夜には太郎の家に泊まるのが常になっていた。空がぐずつく日はさすがに村の外れにあるぼろ屋が気がかりで離れられない。吹けば飛ぶような家ではあったが、それでも家族との思い出がある。
雨の夜は、ざんざんと屋根を打ちつける雨の音がうるさいはずなのに、やかましい高いびきが聞こえない部屋の中がやけに広く静かに感じ、太郎は布団を頭から被って、夜が明けるのを、雨が止むのをじっと待ったものである。
そして翌朝、太陽が顔を出すと、川上の村からこの集落へと続く山道を、酒を肩に担いだ獣のような男がゆっくりと下りてくるのをいまかいまかと待つ太郎であった。
さて、そんな月夜である。
「どうした、改まって」
酒は許されているとはいうものの、どうやら太郎はあまり得意ではないらしく、滅多なことでは飲もうとしなかった。だから今夜も持参した酒を飲むのは白狼丸一人である。相撲をとったり、剣術の真似事のようなものをし、その鍛錬の一環だと交代しながら薪を割って、汗を流したその夜のことであった。
「俺は、この家を出ようと思うんだ」
まっすぐ月を見上げ、ぽつりとそんなことを言う。長い睫毛が濡れているように見えるのは、涙か、夜露か。
「何でまた。じい様と喧嘩でもしたか」
「違う」
「それじゃばあ様の方とか」
「それも違う」
この三年、太郎は白狼丸と一緒につるんできたが、生来の性格はやはり変わらなかったようで、白狼丸に対する畏まった物言いこそとれたものの、四角四面な性格はそのままだった。やや空気が読めないところもそのままである。ひたすら真面目で、頑固で、それでいて礼儀正しく、底抜けに優しい。
そんな太郎だから、万に一つもじい様やばあ様を悲しませたり困らせることはないとわかっていた。けれども白狼丸には、家を出る理由がそれ以外に浮かばない。かつて自分が家出をした時は、そんな理由だったからである。
「おじいさんもおばあさんも、そろそろゆっくりしてもらいたい。俺を育てるのだけで残りの人生が終わってしまうなんて忍びないんだ」
「成る程」
「町に出て金を稼ぎ、楽な暮らしをさせてやりたい。今度は俺が二人を養う番だ」
つまりは、町へ働きに出たい、と太郎は言っているのである。
「それで、おれにどうしてほしい」
「もし白狼丸が良ければ、だが――」
ここに残って二人を見てくれないか、と言った太郎は、眉をぎゅっと寄せ一際切なそうな顔をした。そんな顔を見れば、彼の本心は別のところにあるのではないかと思ってしまう。
「嫌だね」
だから、思った通りにそう言った。
そうか、と肩を落とす太郎の背中を軽く叩き、そうじゃなくて、と続ける。
「お前が行くってんなら、おれも行くに決まってんだろ。おれ達は友達じゃねぇか」
「それは、嬉しいけど……」
言葉通り嬉しそうに眉間のしわを解いたが、それではおじいさんとおばあさんが気がかりだと、ちらりと後ろに視線を向ける。二人はその奥の部屋でもう横になっているはずだ。
「じい様とばあ様のことなら心配すんな。おれの村のやつをたまに寄越しゃ良いんだ。おれが話をつけといてやる。何、おれは鼻つまみ者だが、最近じゃあちょっとはやるやつだって思われてんだ」
「白狼丸が鼻つまみ者なわけがあるか」
「あるんだよ、それが」
「俺の友達がそんなやつであるわけがない」
「そうだ。お前が友達になってくれて、変わったんだ。だから、いまのおれなら村のやつらも話を聞いてくれる。それに太郎のばあ様はウチの村じゃあ竹細工の先生なんて呼ばれてるんだぜ?」
かつて桃との交換用に編んでいた竹かごの評判が大層良く、既に桃は必要がなくなったというのに、ばあ様のもとにはぜひともあのかごを作ってもらいたいという声が絶えないらしい。
「聞けばばあ様の師匠はじい様だっていうじゃねぇか。最も、じい様はどちらかと言えばかごじゃなくて子どものおもちゃ作りの方が専門らしいがな」
いつか生まれる我が子と遊ぶためにと作っていたのだろう、成長の早すぎる太郎がそれに興じたのはほんの数ヶ月ではあったが、確かに彼のおもちゃはすべてじい様のお手製であった。
「だからな、あのじい様とばあ様の面倒なら喜んで見てくれるだろうよ。心配すんな」
それに、と言って、高く結い上げられた艶のある豊かな黒髪をさらりと撫でる。
「乗りかかった船だっつったろ。お前のことはおれが一生面倒を見るんだ」
にしし、と犬歯を見せつけるように笑えば、太郎もまたつられて頬を緩めた。
「白狼丸の船からは、なかなか降りられないんだな」
「当たり前だ、こんなところで降りてみろ。大海のど真ん中だぞ」
「俺が落ちたらどうする」
「お前、泳げないんだっけ」
「泳げるけど。さすがに大海のど真ん中はな」
「そんじゃ、どんな手を使ってでも引き上げてやらぁ」
「その時は頼むよ」
膝に手を置き、軽く頭を下げた太郎に向かって、用意してあった猪口を差し出せば、彼は一瞬ためらいつつもそれを受け取った。とくとくと、その半分くらいに注がれた酒をちびり、と飲む。それを見て、白狼丸は満足気に自分の猪口を呷った。
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