白狼丸との関わり①

「なぁ、お前達さ」


 沈黙に耐え切れず、白狼丸は、わざと大きなため息をついてから言った。


「黙ってたって埒が明かねぇだろう。だいたいな、二人共、礼儀ってもんがなってねぇ。せっかくこのおれ様が茶を淹れてやったってのに、口もつけねぇと来たもんだ」


 軽い調子でそんなことを言うと、ばあ様はハッとしたような顔をして、一歩下がり、白狼丸に向かって手をついた。


「これはこれは申し訳ござりませぬ。何分、田舎育ちのばばぁでございますれば、礼儀も知りませんで――」


 想像以上の仰々しさで返されては、白狼丸はばつが悪い。いや、別にそんなつもりで言ったんじゃねぇけどよ、と頭を掻き、参ったな、と太郎を見る。こちらはこちらで申し訳なさそうにぺこりと頭を下げ、白狼丸のご機嫌伺いでもするかのような上目遣いで、恐る恐る湯飲みを持った。


 何なんだ、全く。


「なぁ、おれは全くの部外者だけどな? まぁあれだ。乗りかかった船ってやつだから首突っ込むけどよぉ。おい、太郎」

 

 そんな前置きをしてから、太郎をぎろりと睨む。さっきまで鬼人のような顔をしていたその子どもは、華奢な肩をびくりと竦めた。神様も怖くないなどと言っていた癖に、いまさらおれの何を恐れるのかと、白狼丸は内心ちょっと愉快だったりする。


「いまから何度か『桃』って言うけど、いちいち目くじら立てんなよ」


 そう断りを入れると、太郎は「はい」と素直に頷いた。


「そんで、何だ。お前は、『桃太郎』って言うんだな?」


 確認するようにゆっくりとその名を呼ぶ。すると太郎は、しょんぼりと肩を落として「はい」と言った。


「だけど、桃が嫌いで、その名も呼ばれたくない、と」

「はい」


 ちらりとばあ様の様子を見ると、案の定彼女は真っ青な顔をして、口元を押さえている。


「おい、ばあ様落ち着け。おい、太郎。かといって別にばあ様のことを恨んでるとか、そんなことはないんだろ?」


 このままひっくり返られてはたまらないと肩を支え、慌てて太郎にそう尋ねると、彼は「もちろんです」と何度も首を縦に振った。


「おばあさんには、本当に感謝しております。私なぞのために毎日せっせと竹かごをこしらえて、こんな遠くの村にまで、その、も、も、桃、を……」


 どうやら口に出すのも嫌らしい。太郎はどもりながら、何とか『桃』の単語を喉の奥からひり出した。


「それだけに、言えなかったのです。まさか口にするのも怖気が立つほどである、などとは」


 そこまでなのか、と白狼丸は思った。そしてどうやらそれはばあ様の方も同様だったらしい。はわわ、などとうわ言のように呟いてカタカタと震えている。


「ごめん、ごめんよ。も、じゃなかった、太郎。もう二度と桃などお前には見せたりしないから、どうかどうか許しておくれ」


 ばあ様が涙混じりにそう言うと、太郎は、床に伏して額を擦りつけた。


「許しを請うのは私の方にございます。親不孝をどうかお許しください」

「頭を上げておくれ太郎や。まさか桃から生まれたお前がそこまで桃を嫌っているとは、このばばぁも思わなんで」


 おいおいと泣きながら、白狼丸の手を振りほどき、太郎の背に縋るばあ様の姿を見て、白狼丸は何やら面倒なことになったな、と思うと共に――、


 いま「桃から生まれた」って言ったか、このばあ様。


 と思った。




 山犬と人の合いの子と、桃から生まれた子。


 はてさて、実現可能なのはどちらだろう。


 蹲る太郎と、彼に覆いかぶさって泣くばあ様をぼんやりと見つめ、白狼丸はそんなことを考える。


 その二択で言えば、まぁ、山犬おれだろうな、という結論に至り、白狼丸は何となくホッとした。


 もし仮に自分が本当に山犬の子だったとしても、桃から生まれたというこいつの前では霞む。何せ、桃と違って山犬は生き物なわけだし、と。


 もちろん、彼にはれっきとした両親がおり、彼を取り上げた産婆だっているのだ。両親もその産婆も既に亡くなっているから証言してもらうことは出来ないが、確かに取り上げたと彼自身が聞いている。


「おい、太郎」


 このまま放っておくわけにもいかないと思った白狼丸は、ちょいちょい、と太郎の肩を突いた。


「何でしょう」

 

 と顔を上げた太郎は、涙と鼻水でとんでもないことになっている。仕方ねぇなぁと袖で拭ってやるが、土埃で汚れたその着物で拭いたところで大してきれいにはならなかった。


「お前、おれと友達になろう」

「はい?」

「だから、友達だよ」

「その『ともだち』とは何です?」


 小首を傾げた太郎に、ばあ様はさらに声を上げて泣いた。友達となれそうな子どもが近くにいないこと、そのせいで『友達』という言葉そのものを知らないことを憐れんだのだろう。


「家族じゃないけど、家族のように親しい者のことだ」


 何とかうまいこと言えたぞと、白狼丸は胸を張る。太郎は、家族じゃないけど家族のように、とうわ言のように呟いてから、まっすぐに白狼丸を見つめ、「何卒なにとぞ」と頭を下げた。


 


「いや、友達になろうとは言ったけどよぉ」


 白狼丸は太郎に手を引かれ、山道を下っている。太郎のもう片方の手はばあ様に繋がれている。


「ささ、白狼丸殿。あともう少しでございますから」


 太郎の初めての友達となった白狼丸のことを何としてももてなさなければならぬと、ばあ様は彼の薄汚れた着物に縋りついて懇願した。どうかじい様にも会ってくだされ、大したことは出来ませんが、一晩泊まっていってくださらんか、と。


 そこまで大袈裟にしなくてもだな、と不満を漏らす白狼丸に、太郎は「申し訳ございません」とまた頭を下げる。そんな姿を見れば、まさか帰るなどとも言えなかった。


 何せ歓迎やらもてなしなんていうものと無縁だった白狼丸である。塩を撒かれることならよくあるが、どうぞお入りくださいなどと言われたこともない。恭しく出迎えられたりなんてしてしまうのだろうか。そんなことを考えるだけで、尻の辺りがむず痒くなってくる。


 白狼丸は、ぼりぼりとわざと音を立てて尻を掻き、太郎と繋がれている手をちらりと見た。どこからどう見ても自分よりも小さいわっぱの手である。しかしこの小さな手は、白狼丸のそれを握りつぶさんばかりの力を有していたのだ。それも桃から生まれた所以なのだろうか。


 力には自信があったんだがな、と呟いて、白狼丸は、ばあ様に導かれるまま太郎の集落を目指した。


 

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