白狼丸との出会い③

「おや、そこいるのは桃太郎じゃないか。桃太郎、どうしてここに?」


 白狼丸が『友達』というものについて、どう説明したものかと頭を悩ませていたところ、通りの向こうからばあ様が歩いてきた。


「ああ、おばあさん。探しまし――あぁ……」


 出立が一足遅かったのか、はたまた白狼丸と駄弁だべっていたせいなのか、ばあ様の手には桃がぎっしり詰められたかごがある。手遅れだったか、とがくりと肩を落とす。

 白狼丸は、初めて見た太郎の人間らしい仕草に一瞬虚を衝かれた。

 が、それよりも気になったのは――。


「おい太郎。お前、本当の名は『桃太郎』というのか?」


 そう言い、足早にこちらへ向かってくるばあ様をちらりと見やる。そして、大きなかごにいっぱいの桃を目に留め、ははぁ、と得心顔になった。


「成る程、お前は桃が好きで好きで仕方がないんだな。桃が好きだから『桃太郎』なのか、はたまた、『桃太郎』だから桃が好きになったのか――」


 ちょっとからかってやるつもりだった。

 こんな澄ました顔をして大人びたことを言う癖に桃が好きだなんて、わっぱらしくて可愛いじゃねぇか、と。


「――っ、違ぁうっ! 私は、桃など好きではないっ!」


 てっきりちょっと頬を赤らめる程度だとばかり思っていたのに、白狼丸の予想に反して太郎は声を荒らげた。繋いだままの手を強く握り、顔を破裂せんばかりに赤くして。


「え? はぁ? そ、そんなに怒ること――」

「桃など、桃など、大嫌いだ! 私は、私は、断じて『桃太郎』などではないっ!」

「――ぃてててて! ちょ、おい、お前、すげぇ力だな。おい、ちょっと、放せって、こら」


 白狼丸のものよりも一回りは小さいその手が、万力のようにギリギリと彼の手を締め付ける。みしり、と骨がきしむ音まで聞こえてくるようで、彼はもう片方の手を使ってどうにか太郎の手を引き剥がした。太郎の細い指の痕がくっきりと残るその手を冷ますように、ふぅふぅと息を吹きかける。


 太郎はというと、赤い顔のまま、はぁはぁと荒く息を吐き、頭から湯気を出している。たかだか桃を、桃太郎という名をからかっただけだというのに、なぜここまで怒る必要がある。こいつは桃に親でも殺されたのか。白狼丸はそんなことを考えた。


「も、桃太郎や。一体どうしたの」


 よろよろと、ばあ様が太郎に駆け寄ると、太郎は『桃太郎』と呼ばれたことに再びキッと眉を釣り上げたが、それが自身の大切な家族であるとわかると、ふ、とその力を抜き、その場にべしゃりと崩れた。


 地べたに尻をぺたりとつけ、涙の膜で覆われた大きな瞳でばあ様を見上げた太郎は、風に消えてしまいそうなほどに弱々しい声でぽつりと言った。


「私のことをどうか『桃太郎』などと呼ばないでください」と。


 ぱちり、と瞬きをすると、彼のなめらかな白肌の上を、大粒の涙が伝っていった。




 おれはどうしてこの場にいるんだろうか。


 そう思わないでもない白狼丸である。

 何せ彼はいま、村の外れにある寄合所の中で、太郎と、その祖母の間に座り、二人を見守るような構図になっているのだった。


 腰が抜けてしまったのか、自力で立てなくなってしまった太郎を背負い、こちらもこちらで何やらふらつき出したばあ様のかごを腕にかけ、彼女の手を引いてどうにかここまで運んでやったのである。村長に慣れぬ頭を下げ、場所を貸してほしいと言うと、すっかりこのばあ様と馴染みだったらしい村長は、頼んできたのが村一番の鼻つまみ者である白狼丸であるにもかかわらず、案外すんなりとここを案内してくれたというわけだった。


 茶でも出して、しばらく休ませてやれ、という村長の指示通り、茶を淹れてやったは良いものの、向かい合った二人はどちらも口を開こうとしない。太郎は項垂れ、ばあ様はその太郎の姿を見てただうろたえるのみである。


 きっと、どう声をかけたら良いのかわからないのだ。


 仔細はわからないが、とにかくこの太郎の本当の名は『桃太郎』で間違いないらしい。けれど、太郎はその名を嫌っているようだ。ついでに言うならば、そのばあ様が大切に運んできたその桃のことも酷く嫌っているらしい。そして、太郎の言葉とばあ様の反応から推測するに、彼女はそれを今日知ったのだろう。


 そう白狼丸は思った。


 桃を分けてくれと川下の集落に住むばあ様が定期的にやって来る、という情報は白狼丸の耳にも入って来てはいた。何でも、きれいで丈夫な竹かごをたくさん持ってくるとかで、それと交換しているらしい。それは巡り巡って白狼丸の手にも一つ渡って来たのだが、成る程、これなら桃の一つや二つ、いや、かご一杯にでも分けたくなるほどの出来である。この村は年中桃がどっさりと実るのだ。


 それがこのばあ様だったのだ、と白狼丸は思った。


 あんなに大事そうに抱えていたのだ、例えばこの太郎に嫌いなものをわざと食わせてやろうなどと底意地の悪いことを考えていたとは思えない。純粋に、可愛い孫に食わせてやろうと思っていたのだろう。でなければ、そもそも手間のかかるかごを編んでまで、わざわざ川上にあるこの村に足を運んでまで、桃を得ようとは思わないはずだ。


 なのに、その孫が実は、桃が嫌いだったのだ。

 誰が名付けたのかはわからないが、『桃太郎』というその名をも呼ばないでほしいとまで言う。


 これはきついな。


 もしかしたら、このままぶっ倒れて極楽浄土へ旅立ってしまうかもしれん。


 ばあ様の、そのすっかり血の気の引いた顔を見て、白狼丸は己の分の茶を啜った。茶はもう温くなっていた。


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