白狼丸との出会い②

「んなっ……! なぁんだとぉっ!」


 太郎のその言葉に、白狼丸は顔を真っ赤にし、こめかみに血管を浮き上がらせた。


「お前もかっ! お前もおれを山犬だなんて言うのかよっ!」


 鋭い犬歯を光らせ、ぐるる、と唸る様はまさしく獣だ。しかし太郎はそれを恐れることはなかった。ただ、どうやら相手を、この白狼丸を傷つけてしまったらしいという事実に対し、深く反省をした。


 だから、


「申し訳ありません」


 ただ一言そう言って、深々と頭を下げた。その姿に気を削がれたのは白狼丸である。


「な、何だよお前」

「いつか山で見た山犬様のように雄々しく見えたもので、その通り申し上げてしまいました。白狼丸殿を怒らせるつもりはなかったのです」


 丁寧に腰を折り曲げ、そんなことを言われれば怒る気も失せる。白狼丸は無意識に握りしめていた手を緩め、わしゃわしゃとぼさぼさの頭を掻いた。


「くそっ。何か調子狂うぜ全く。女みてぇな顔して上品な言葉しゃべりやがってよぉ。なのに身なりはおれと対して変わらねぇじゃねぇか」


 お前何者だよ、と言って、白狼丸は太郎に近付き、至近距離からその顔をねめつけた。


「何者と言われましても。ただの太郎で――」


 そう言ったところで太郎は声を詰まらせた。

 いや、自分はではないのだ、と。


 じい様ばあ様の話だと、本来人は桃から生まれたりはしないのだという。なぜ自分は桃の中にいたのだろう。私の母は桃なのだろうか。では、生まれたばかりの自分は、知らず知らずのうちに母を食らってしまったのではないか。ならば自分は親殺しの罪人だ、と。


 そこで、太郎の瞳に、じわり、と涙が滲んだ。それは長い睫毛の上にしばらくの間止まっていたが、やがて、次なる涙に押されて、ほろり、と落ちる。自分を見上げ、声も上げずにただほろほろと泣く太郎を見て、白狼丸は狼狽えた。


「――うえぇっ!? な、何だよお前! 泣くな! 泣くなったら! おれか? おれが泣かせたのか!?」


 ぐいぐいと袖で涙を拭ってやるも、太郎の涙は止まる気配もない。弱ったな、と呟いて、白狼丸は、懐から小さな包みを一つ取り出した。そしてそれをゆっくりと開き、中に入っていた小さな餅を太郎の口の中に押し込む。その餅は寺の本堂によく供えられているもので、本来は住職の腹に収まるものなのだろうが、ここ数年はすっかり白狼丸のものとなっている。


「――むぐ。むぅ?」

「食え、ほら。仕方ねぇな、おれのとっておきだけど、やるよ」

「ありがとうございます」

「ちぇっ、そんな堅ッ苦しい礼しやがって。なぁ、美味いだろ? そういう時は美味いってだけ言やぁ良いんだ」

「美味いです」

「だーかーら、さぁ。そういうことじゃねぇんだよ。そんな冷静に『美味いです』なんて言われたらこの餅も切ねぇもんだぜ? 口に入れた瞬間に美味いんだよ、こいつはよぉ。だったらもっと目ん玉剥いて『美味うめぇ』って言えよなぁ」


 三つあったうちのもう一つをさらに太郎の口の中にねじ込んでやれば、まださっきのを咀嚼中だった彼は、口の中が餅でいっぱいになってしまったことに目をぱちぱちさせつつも、「美味い!」と声を上げた。


「そうそう、それで良いんだよ」


 そこでやっと白狼丸はホッとしたような顔をして、最後の一つである餅を自身の口に放ったのだった。


 

 何だかほっとけねぇやつだ。


 そう思ったから、白狼丸はまだ口をもごもごさせている太郎の手を取って、「乗りかかった船だ。ばあ様一緒に探してやるよ」と村の中へと歩き出した。

 てっきり、その真面目腐った顔で「かたじけのうございます」などと言うものだと思っていたが、ただ素直に「ありがとう」だけが返ってきたので少々拍子抜けする。


 よくよく見てみれば、こいつはどう見ても七、八歳程度のわっぱである。自分は十二だから、弟のようなものだ。

 この見てくれと気性から「山犬の子」などと言われ、疎まれてきた自分には少々見目の良すぎる弟分だが。と、そんなことを思う。


 太郎は村が珍しいのか、それとも人が珍しいのか、きょろきょろと忙しなく辺りを見回している。大きな瞳を何度も瞬かせ、つい、その方向に足を向けてしまいそうになりつつも、白狼丸の歩みに従って歩く。本当に弟のようだ。


「なぁ、お前はおれが怖くないのか?」

「怖くありません。なぜそのようにお尋ねになるのです」

「おれは――、その、お前が言ったように、よく山犬の子だと……言われるから」


 今度は自分が泣きそうになって、白狼丸はぎゅっと己の腿をつねった。馬鹿野郎、兄貴が泣いてどうする、と。


「私は、もし、白狼丸殿が本当に山犬様の子だったとて、怖くはありません」

「何でだよ」

「山犬様は、山の神であらせられますから」

「神様ならなおのこと怖いだろ」


 神様、というやつを白狼丸は殊更嫌っている。何なら、ろくでもねぇやつ、くらいに思っている。


 何年か前の大雨によって引き起こされた土砂崩れで、両親を失ったからだ。


「この子が山犬の子であるのなら、あたしはどうなります。腹を痛めて産んだあたしの立場がないではありませんか」


 そう言ってよく笑う、明るい母だった。


「白狼丸、村の人が言うことは気にするな。お前のひいじいさんもそれはそれは立派な犬歯を持っていたものだ。それに比べりゃお前なんて子犬みたいなもんだ」


 母に負けず、いつもガハハと大口を開けて笑う明るい父だった。


 両親は、人当たりも良く、働き者だったから、自分より生きる価値のある人間だったはずだと白狼丸は思う。悪童の自分よりも村のためになる人達だったと。

 なのに神様は二人を泥水で押し流し、冷たい土中にすっかり埋めてしまった。村人達は総出で救出に当たってくれたが、手遅れだった。


 神様なんて、祭だなんだって持ち上げてやるほどのもんじゃねぇ。殺すならもっとろくでもねぇやつがいたじゃねぇか。おれもそうだし、村にもいる。いつまでも親の脛を噛ってやがるあいつとか、嫁をいびることしかしねぇあそこのばばぁとか。


「神様には、何をされても仕方ありません」

「はぁ?」

「期待してはならないのです、良いことも悪いことも。ですから、神様に殺されるのなら、それが私の天命と受け入れます。なので、怖くありません」


 私はそう思います、とぽつりぽつり言う太郎は、何やら見た目よりも大人のように見えた。いや、大人でもない。何だかこいつは人間臭くない。


「おかしなやつだな」

「そうかもしれません」

「お前、友達いねぇだろ」

「『ともだち』とは、何でしょう」


 眉を寄せ、きょとんと首を傾げる太郎に、白狼丸はいよいよ肩の力が抜け、大きなため息をついた。

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