Ⅲ
思えば、
私は私で、
弥生と同様、望んでもいないのに私に魔法の力を与えた存在がいることは確かだ。しかし、それがユリアや真秀が言うような、平和と安寧を尊ぶような心優しい存在だとはどうしても思えない。
それでも、私を魔法少女にしたものが
三人には黙っていたが、魔法界の中央で私たちを見守っているという存在を、私は今でもそのように捉えている。
『ありすの生まれたこの世界でも見られるとおり、信仰は人々を結びつけます。
私の世界でもそうでした。
戦争が終わった後、政府の方が講和のための話し合いを続けている間に、ほんの数日前まで戦っていた敵の魔法使いや魔法少女と会って話をすることがありました。ささやかな社交の場です。その際に、
中浦ユリアは、ある意味では真秀よりも強固に
あのカフェでも、敵が現れた現場でも、ユリアはよく
なかなか友達ができなかった幼いユリアの耳に突然聞こえたのは、鈴を振るような女の子声だったのだという。通っていた幼稚園の片隅に植えられていたツツジのそばだとよく聞こえたという声は、頭の中で一緒に遊ぼうとユリアを誘ったのだという。
見とがめられない程度にツツジの花びらや葉をむしり、ままごと遊びのような真似をしながら、ユリアは姿の見えないその女の子と会話を続けた。
──あたしのいるところからうんと遠い世界にあるお城の中で暮らしてるって、その子が言ったの。それがお仕事だから魔法界全体を見回してるけれど、もう何年も何年もそんなことをやってるから飽きちゃったんだって。そんな時にあたしを見つけて、この子とはお友達になれるって予感がしたんだって。
あのカフェで初めて、到底信じられそうにない話をしたユリアは、幸福そうに微笑んだ。
こうして幼いユリアは幼稚園で見えない友達とだけ遊び続け、その様子に不安を覚えた保育士により親に連絡が行き、私や弥生と同じような検査が施された後に
ユリアにとってそれは幸福な記憶でしかないらしく、自分からその話を持ち出すときは常に自分から目を閉じるか、ここにありはしないものを見つけようとするように空や遠くの景色を見つめた。だからユリアは、私がそれをきかされる度に彼女から顔を背けていたことに気づいていない筈である。
魔法界の真ん中にある奇麗なお城に住んでいる、女王様というよりもお姫様みたいな女の子。それが、ユリアにとっての
いつかあの女の子がいるお城にいくのが夢だと、恥ずかし気もなく語ったこともあった。
──あー! またバカにしてるでしょ~? ガキっぽいこと言ってるって思ったでしょ~。でも、
幼稚な言動がよく似合う童顔の頬を膨らませたり、唇を尖らせながら、いつかのユリアはぷりぷりと怒っていた。
『
その過程で、ごく一般の方の間にも
大きな戦争こそ数十年単位でご無沙汰でしたが、局地的な紛争は一向になくなる気配はありません。いつもどこかで小競り合いがしまりなく続く日々に、私の故郷を含む魔法界の人々はうんざりしていたんです。もう争いごとには飽き飽きした。戦争など無かったとされるはるかな大昔のように、心安くおだやかに過ごしたい……そんな、厭戦ムードが蔓延したんです。
ありす、「厭戦」って意味わかる? 戦争を嫌うって意味よ。それからちゃんと起きてる? 長い話になりすぎたのは謝るけれど、もうちょっとだけ頑張って。
私たちの故郷における
メディアに取り上げられた際に、真秀やユリアが
でもね、大昔に衰退したはずの
何故だかわかる?
政府の人たちは恐れたんです、
強い魔力を持つ女の子たちが個人と個人のささやかな友情の輪が、日に日に拡大してゆくことを。
他の世界からの侵略に対抗するためには戦いも辞さないという政府の方針と、正反対のイズムを持つ者たちが世界の枠を超えて結びつきあってゆくことを。
当時の政府の人々は非常に恐れたんです。
現代の
これは見過ごせない。政府の人たちは危機感を抱いたのです。
ありす、あなたのことだからきっと「それのどこが悪いの?」って思ったんじゃない? 戦争なんて嫌いで世の中平和になればいいって考える人たちが手を結ぶ。その輪が大きくなれば、自然に魔法界全体も平和になる、何も悪いことがないじゃない。そんな風にシンプルに考えて。
そうね、世の中そんな風に事が進めばなんの問題もないんだけど。
でも、残念ながら私の故郷はシンプルには出来ていませんでした。ありすのいた世界と同じくらい、人の営みを動かすしくみは複雑でややこしいものだったんです。
可能ならば、
だから、政府の人たちだって、私たちに意味もなく意地悪をしたわけではないんです。
ありす、政府の方たちも、私たちとは考えが違うだけで、政府の方針も世界や故郷に暮らしていた人々を護りたいという気持ちはあったんです。あの人たちを庇うようで私自身癪然としないけれど、そこに触れないのはフェアじゃありません。
ただ、選挙によって政府の首脳部がほぼ入れ替わり、積極的に魔法界への進出をはかる一派が政権を握った後ですぐ、私たちの行動に制限がかかった。その事実だけは無視するわけにはいきません。
私たちへの風当たりが強くなりだした頃、最初に動いたのはリーダーの真秀でした。防衛省の方との交渉を決意し、立ち上がったんです。
あの人達だって世界の平和と安定を目指していることには違いないもの、心配いらないわ。いつものカフェでの会合でそう言った真秀は、それきり姿を見せませんでした』
中身の入れ替わった政府上層部による
弥生の手紙にある通り、
自分たちは
──まーちゃんなら大丈夫だよね?
不安げなユリアが私の袖を引っ張って何度もそう訊いたのは、真秀が防衛省の東アジア支部に向かった次の日だった筈だ。
もうとっくに話は済んでもいい頃なのに、真秀からの連絡は一切無い。
不安を取り除いてほしい、とその目が縋っていた。
甘えてくるなよ、と舌を打ちたくなったのに、私はどうとでも受け取れる言葉を口にしていたのだった。
──あの人は私たちと違って大人と対等に話し合うことに慣れてるから、言うべきことはきっちり言ってくれてるんじゃない?
──! そうか、そうだよね! 今までだって、まーちゃん、防衛省の人があたし達に無理を言ってきたときだってキッパリ断ってくれたもんね! おかしな命令や決まりごとは全部つっぱねてきたんだもん! 今回だってきっとそうだ。政府の人はみんな、まーちゃんを説得できたことなんて一度もなかったもん。
うんうん、とユリアは一人腕を組んで納得していた。真秀なら説得してくれる筈だと私は一言も言っていない。にもかかわらず、ユリアは自分の希望に沿う形で私の言葉を解釈した。
なんでこいつはこんなにバカなんだろう、さすがに呆れて視線を逸らせた先にいた弥生と目が合った。ちょうど、読んでいた本のページから顔を上げ、白けきった目でユリアを見ていたようだった。しかし、その目が私のそれとぶつかると何故か焦りだし、開いた本に顔を埋める。この子はこの子で相変わらずだ、そんなことを思ったような気がする。
『ひょっとしたら……って今更気づいたことだけど、真秀は自分の恵まれた出自を生涯負い目に感じていたのかもしれません。真秀ほどの魔力を持つ子が私のような一般家庭に生まれたなら、有無を言わさずエリート校に入れられてその魔力を世界防衛のため有効活用する、ただそれだけの訓練を課せられていたはずですから。でも、彼女は争いを嫌った祖母の反対や自分の属していた階級のお陰でそれを免れた。
だから真秀は、
行動原理などから意見が合わず、現場で対立することもあった防衛省所属の魔法少女たち──日増しに戦い慣れてゆく彼女たち──こそ、
でも、これは私が勝手にそう考えているだけです。真秀に直接会って確認することが出来ないのが残念でなりません。
ああ、また昔話につきあわせてしまったわね。ありす、ごめんなさい。』
確認することが出来ない、と思わせぶりな言葉を書き残しておきながら、何故それが出来ないのかについて弥生は語らない。謝罪することで会話を打ち切り、話したくない旨を匂わせている。
これを読む私はもちろん、どうして確認できないのか、その理由を把握している。
防衛省の支部に向かって以降、真秀が一度も連絡を寄こさないまま数日が経過した。
まーちゃん遅いね……と、
魔法少女になりたいなどとただの一度も望んだことはなかったのに、死にたくないの一念で頭の中が塗りつぶされていた私を魔法少女にしたのと同じように、真秀の身にも望んでいなかったようなことが起きたのではないか? そんな予感に襲われたのである。真秀は二度と戻ってこないんじゃないかという予感に変わるまで、それは一瞬だった。
当然、ユリアには最後までそれを伝えなかった。言っても無駄だと諦めていた。
嫌な予感ほどよく当たるのは何故だろう。
その次の日、防衛省東アジア支部を訪れていた真秀がテロリストが仕掛けていた呪いに取り込まれ、即死したというニュースがメディアを賑わすことになった。
新しい政府のやり方に不満を抱いた連中が仕掛けた呪いに気づいた真秀が、それが拡散するのを防ごうとしてとっさに身を呈したのだという。
支部にいる人間全てを、未知の病で果てしない苦痛の果てに死に至らしめるはずだった呪いの塊を体で受けとめれば、
数日後、真秀の生家で葬儀が営まれた。喪服の集団と、号泣するユリア、ハンカチに顔を埋める弥生、泣きじゃくるユリアに肩を貸し背中をあやす私。リーダーを失った
政府高官や防衛省の人間に形だけ頭を垂れながら、真秀のご両親らしき上品な中年夫妻が恨みと無念のこもった声による問いかけていたのだ。
──娘の体はいつ返して頂けるんですか?
それが、ユリアの嗚咽や弥生の鼻をすする音ごしに私の耳に届いたのだ。
お嬢様の御遺体をお返しできないのは私たちにとっても無念の極みですがいかんせん真秀さんの御遺体は悪性呪術の巣となっておりまして封じておかなければ全世界に拡散してしまう恐れが──……と言い募る高官の言葉に、感情の線が切れたらしい伊東氏は慇懃無礼な態度を崩さない相手の胸倉を掴んでなにかを吠えていたが、そこからのことは記憶に薄い。葬儀で何が行われていたのかよりも、真秀の身に本当に起きたことを突き止めることに関心が向いていたせいである。
白い花で飾られた祭壇の上の棺、あの中に真秀の遺体は入っていない。
私と、伊東氏の声をたまたま耳にした
拡散性の高い致死性の呪いの苗床になってしまった以上、真秀の遺体を動かせない。その事情を了承することはできる。恐ろしい呪いがこの世界を覆いつくすのを防ぐために、強固な結界で幾重にも封じなければならない。残念だがそれが私たちの道理である。真秀の命が本当に呪いによって吸いつくされたのならば。
でも、それが正しくなかったら? 本当のことではなかったとしたら?
政府の連中が
それなのに連中は、真秀をみすみす見殺しにしたのだ。
魔法界での戦いで武功を収め、いくつもの勲章を制服の胸に飾った魔法少女だって少なくなかったであろう、防衛省の施設内で。
杜撰なテロリストがしかけた呪いに気づけない程に耄碌していた連中だというのか、何年も何世紀も、魔法界内で様々な敵と戦い続けてきた経験とノウハウを持つ連中は? この世界を護っていた連中はそんな愚か者しかいないのか? そもそも真秀は
そんなはずがない。
わずかな期間であっても魔法少女として活動していた私の六感がそう告げた。その直後、背筋に寒気が這い登る。
『これは私の持論なんだけど、ありす、人間ってね、概ね二つに分類可能だと思うの。
一つは、現実を寸分たがわずありのままに捉えることが出来る人。
もう一つは、良い方にも悪い方にも目の前の現実を歪んで捕えてしまう人。
世界をよりよくしたい時には、望む方向に向けて舵を切る必要があります。そのためには、私たちがいる世界全体のありようを正しく把握しなければなりません。航海するときにだって正確な海図や星の位置、それらを読み解く能力が必要じゃない? それと同じように。
だから、良い事も悪いことも、心奪われそうなほど美しいものも、目をそむけたくなるほどおぞましいものも、世界の姿を等しくありのままに受け入れることができなければなりません。。
でもね、この作業こそ、魔法少女にとっておそらく最も困難なことだと私は思うんです。魔法少女は、時にその場にありもしないものの姿を見て声を聞く者です。それは即ち、存在する者の姿が見えず、実際に空気を震わせている声に気づけない、そんな可能性も示しています。
特に、私たちのような
だって私たちの魔法は最初から、
実はね、内気なくせに生意気だった私は、
こんな風に
ありす、わたしにとっては、実果だけでなく真秀もユリアも、今でも私の大切な仲間です。だから、二人に対してこんな風に言わなければいけないのも、人見知りが激しくて生意気な子供だった私が上からものを断じるようなことを口にしなければならないのも、恥ずかしくてたまりません。それでも、どうしても伝えなければならないことがあるんです。
真秀とユリア、二人とも優秀な魔法少女でしたが、私たち
とはいえ、幼いころから
でも、ただただ無邪気に夢見るように
残念ながら、と言わざるを得ません。』
話が長く、回りくどい弥生に倣うわけではないが、私も一つ歴史の話をしてみることにする。
量産型の魔法少女、それは、本来なら基準値以下の魔力しかもたない一般人に、生体回路を植え込むことで魔力の増加と活性化を促し、即席の魔法少女に仕立て上げられた者のことを指す。後天的な魔法少女と言ってよいだろう。
量産型魔法少女を増やし、戦場に送る戦力を増やす。これは防衛省のとある派閥の悲願であったらしい。
従来型のやり方では、ただでさえ希少な魔法少女がいたずらに消費されてゆくばかり。無数にいる一般人一人一人を魔法少女に変えることができればどんなに良いか。志願者一人一人に生体回路を植え込みさえすれば、強大な力を持つ者ををはやばやと戦闘で失う機会も減る上、増員することも簡単だ。これで魔法少女の確保に頭を悩ませることも、生意気な
お手軽、便利、一石二鳥なこの理論は、早々に実現可能なレベルまで研究が進められていたという。ただし、長い間それを実行に移す者はいなかった。
魔力を生み出す生体回路のベースとなるのは強い魔力を持つ人間、即ち魔法少女だったからである。つまり、使い捨ての魔法少女を百人ほど生み出すためには、強く有能な魔法少女一人を殺さなければならないからだ。こんな効率の悪い話はない。それ以前に人倫が許しはしない。
よって、長い間禁忌の理論とされ、まとも研究も実験も禁止されていた。。
それがなぜか、
諸々の要素を照らし合わせれば、誰にだって自然と一つの考えが導き出される。
何としてでも禁忌とされた理論を研究し一刻も早く実用化したい。上層部が入れ替わり、軍拡路線をとりだした新政府の連中の意見に沿う形で、防衛省の狂った連中がそんな野望をたぎらせる。しかし、生体回路のベースに適した魔法少女は言うまでもなく貴重な存在である。戦局を左右する有能な戦闘員でもあるのだ。人体実験に利用できるわけがない。
そんなタイミングで、のこのこと、防衛省のやり方にたてつく生意気な魔法少女がやってきたら? 政府あげてネガティブキャンペーンを繰り広げている信仰を捨てない上に、非常に強い魔力を秘めている魔法少女が話し合いをしようと武装もせずに現れたとしたら──?
不気味な屋敷に不用意に近づいた女の子は、中に潜んでいる人喰い鬼につかまり頭からバリバリと食われてしまいました……という、血なまぐさい民話じみたストーリーが浮かんだ瞬間、それを事実だと確信しながら、そんなバカなことが起きてたまるかという反発も同時に浮かんだ。いくらなんでもこんなかなりこんなことある筈がない。
初めて小角雫──量産型魔法少女を目にしたとき、亜麻色の髪への既視感と懐かしい気配に当惑させられるまでは。
本来なら魔法少女になる必要などない普通の子供を魔法少女に変えてしまう生体回路は、肩甲骨の中央あたりに植え込まれるのが常だ。
だから私は小角雫の服を引きちぎって背中をむき出しにした。
現れた小角の背面には、すっかり見慣れてしまった禍々しい術式用の紋様が施されている。その中央あたりに、不自然な肉の盛り上がりがある。大きなケロイドにも似たそれは、小さな生き物の心臓のようにぴくぴくと健気に脈打っていた。私はそれをつまんで、小角の体から引きはがす。肉体にすっかりなじんでいたそれを強引に毟られるのは想像を絶するほど痛いのだろう、他の量産型と同じように小角は私の足の下で絶叫した。
私に横顔を踏まれているせいで、その叫びはくぐもった不細工なものになった。それが何故かおかしくて、表情筋が勝手に笑みを浮かべていた。
──実果?
懐かしい声で名前を呼ばれたのはその時だ。視界の隅では小さな影がちらついていたので、顔を向ける。そこにあったのはレジスターの乗ったカウンターだ。白いウサギのヌイグルミに似た生き物が、赤いビーズで出来たような目をおののかせて私を見つめていた。記憶にある姿と全くにても似つかないのに、それがかつての仲間だった名原弥生だと理解する。
久しぶり、ぐらいのことは言ったと思う。
あの子の夢を叶えて、お願い。 ピクルズジンジャー @amenotou
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