パンドラの夢

@AKIRAD

第1話


 日向は、階段を駆け上がると、部屋のドアを乱暴に閉めた。ゲームに負けて悔しがる俺をニヤニヤ笑う姉の顔を思い出して、思いつく限りの罵詈雑言を叫ぶ。興奮した気持ちはなかなか収まらない。怒りを頭の中から追い出そうと、勢いよくベッドの上に飛び乗った。そして頭からすっぽり布団をかぶった。

 頭の中で姉をマシンガンで滅多打ちにする。次第に日向の気持ちはスーッと落ち着いていった。

 日向は怒りのスイッチが入ると、自分で感情のコントロールができなくなる。昔は姉とよく取っ組み合いをしていたが、今はその場を離れれば、喧嘩を回避できることを覚えた。

 ———こんな時は、ジオラマに行くか。

 日向はゆっくり目を閉じて、キラのことを考えた。瞼の裏側に真っ黒の闇が広がる。しばらくすると闇の向こうに小さな光が見えてくる。それは次第に日向に近づき、大きくなった。暗闇だった世界は光で白く塗りつぶされる。そして日向はそっと目を開けた。するとそこは自分の部屋ではなく、どこもかしこも真っ白だった。

 何度も経験している日向は、驚くこともなく、そこに胡坐をかいて座った。

「また来たの?」

 しばらくすると日向の背後から声がした。

「キラ!うん。また来ちゃった!」

 日向は、後ろを振り向いた。そこには赤いワンピースを着た大きな目をした少女が立っていた。

「今日は二回目よ」

 キラは茶化すように笑った。

「だって、むしゃくしゃしたから。面白いことしたいなと思ってさ」

口をとがらせて、言った。イライラしているときでも、ジオラマに来ると嫌なことを忘れられる。

「ここが一番好き。キラは俺の一番の友達だもん!」

「うふふ。うれしい!」

 キラは、手を後ろに組んで日向の周りをクルクル回った。歩くたびに楽しそうにツインテールの髪が揺れた。

「それで、今日はどこへ行く?」

「う~ん。銀河鉄道に乗って、星の金平糖を食べに行こう!」

「いいわねぇ。行こう!」

日向は立ち上がると、キラの手を取って駆けだした。すると真っ白い空間は、いつの間にか満天の星が輝く草原になっていた。遠くに銀河鉄道が停車しているのが見える。


 ここは夢の国。日向はジオラマと呼んでいる。キラと友達になってから日向はジオラマに自由に行けるようになった。

 日向は小さい頃から一人でいるときに空想して遊んでいた。日向は大人しくて、自分に自信がなく、会話するのが苦手だった。何を話そうか考えているうちに話題がどんどん進んでしまい、口をはさめない。だから自然と聞き役に回って自分の意見が言えないのだ。友達がいないわけではないが、一人でいる方が気楽だった。絵を描いたり、自由に楽しむことが出来る空想するのが大好きだった。

 悪者を倒すヒーロー。宝を探して旅をする冒険家。ある時は友達から頼りにされる勇敢な名探偵。空想の世界では、日向はいつもたくさんの友達に囲まれて、誰からも好かれるスーパースタ―だ。

 ジオラマは日向が思い描いた世界を具現化してくれる。日向の心のオアシスだった。


「日向、ご飯よ!」

遠くの方から母の声がする。銀河鉄道の窓から身を乗り出していた日向は、慌てて近くにある星の金平糖を一つ取る。意識が急速に現実に引きも出される。時計がカチコチと時を刻む音が聞こえる。頭はまだはっきり覚醒していない。目を開けて、ぼんやりと天井を眺めた。

 ———他の惑星(ほし)にも行きたかったのになぁ。水晶でできた惑星。みんなで水晶の遊園地を作ったら楽しかっただろうなぁ・・・・・・。

 そんなことを考えていると、また母の呼ぶ声が聞こえた。日向は仕方なく起き上がろうと、寝返りを打った。その時、右手に抱えている人形に気が付いた。黒髪をツインテールにした大きな目をしたアンティークドール。ドレスではなくシンプルな赤いワンピースを着ている。ジオラマへ行くためのアイテム。日向は人形を両手で持ち上げて、乱れた髪の毛を直してやった。

「キラ、途中で帰っちゃってごめんね。まだまだ遊んでたかったのに、こっちに戻ってきちゃったよ。また今度、水晶の惑星に行こうね」

 日向はベッドから降りるとクローゼットを開けた。中にはローチェストが置いてある。その一番下の引き出しを開けると、そっと人形を入れた。

「キラ、ごめんな」

 日向は、引き出しにキラを隠すたびに心が痛んだ。

 キラは、もともと姉の人形だった。三歳の日向はこの人形をいたく気に入って、泣いて離さなかったらしい。母親は別のものを買ってあげようとしたらしいが、日向はこの人形じゃなきゃ嫌だと言って駄々をこねたらしい。姉はかなり抵抗したようだが、何度取り上げても、日向はこの人形を諦めなかった。最後は姉も根負けして、日向に譲ってくれたらしい。この経緯は、よく覚えていないが、どこへ行くにも持って行っていたことは覚えている。

人形に『キラ』と名付けたのも日向だ。毎日友達と話すようにキラに話しかけた。

 小学校に上がるときに、日向が男の子だということもあり、両親はキラと遊ぶのをやめたらどうだと持ちかけた。日向は、全く聞き入れなかった。でも学年が上がるにつれて自分自身、男の子が女の子の人形を持っていることを恥ずかしく思うようになった。中学生になった日向にとってキラのことは絶対の秘密だ。

忘れもしない、日向の八才の誕生日、夜寝ようと布団に入ると、頭の中で声が響いた。

「ねえ、ここから出して!」

 鈴を転がすような軽やかな声だった。日向はすぐにキラの声だってわかった。急いで引き出しを開けた。ドキドキしながらキラを取り出した。キラが何か話しかけてくれるのをじっと待ったが、いくら待ってもキラが話し出すことはなかった。日向は諦めて寝ることにした。でもキラを引き出しに戻すのは躊躇われた。今日は誕生日だから特別!と自分に言い聞かせて、キラを枕元に置いて寝た。

 その夜、初めてジオラマに行ったのだ。このことは日向とキラ、二人だけの秘密だ。

 

 日向はフリースローラインからボールを投げる。ボールはきれいに回転しながらゴールに吸い込まれた。ヨッシャ!心の中でガッツポーズをする。現実では絶対入らないよなぁ・・・・・・。日向は苦笑した。今はジオラマにいるんだ。余計なことは考えるな————。

「試合やろうぜ!」

 日向は吹っ切るように友達に声をかけた。その時、コートの脇に背の高い男の子が立っているのが見えた。その子は、じっとこちらを見ている。日向はボールをつきながら、その子の傍まで行った。

「バスケ、やりたいの?」

 その子は、無言で頷いた。日向はその子に向かってボールを投げた。

「バスケできる?」

「うん」

「名前は?」

「・・・・・・ハル」

「ハルかぁ。今日はこのコートをかけた試合があるんだ。ハル、背が高いから戦力になるよ」

ハルは、嬉しそうに笑うとボールを日向に投げ返した。


 今日は高校生とバスケコートをめぐって試合をすることになっていた。いつも彼らは公園のバスケットコートを我が物顔で使っている。日向たちがバスケをしていると後から来たくせに、コートを横取りするのだ。

 高校生の五人のうち四人は、身長が百七十五以上ある。対して俺たちは、俺とハルが百七十センチ。あとは百六十台だ。誰が見ても俺たちに勝ち目はない。はずだが・・・・・・。

 日向は、相手のディフェンスに足を使って左右に揺さぶりフェイントをかけた。相手のガードが外れた瞬間、間髪入れずスリーポイントシュートラインからシュートを打った。ボールは音をたてずにストンとゴールネットをくぐった。俺は三本指を立てて右腕を高く上げた。

「スリーポイント!」

 女の子たちがキャーキャー言いながら声援を送っている。

「もう一本いくぞ」

 今のスリーポイントで中学生チームとの点差は二点。残り時間は一分を切っている。まだ間に合う。日向はまだ勝負をあきらめていない。絶対勝てる。

 高校生チームのパスボールをハルがカットする。日向はそれを目の端に捉え、相手コートに向かって走り始めた。そこにボールがくる。片手でキャッチして、トップスピードのままドリブルシュート。これで同点だ。日向はハルの方を振り向いて、親指を立てた。

 相手はすぐさま焦ってスローインした。そのボールを日向は後ろからカット。

 日向は振り向きざまシュートを放った。そこで終了の合図。歓喜の声を上げながらみんなが俺に走り寄ってきて抱きついた。女の子はピョンピョン飛び上がって喜んでいる。

 日向は高校生にビシッと指差して言った。

「どうだ。参ったか!もうお前たちの自由にはさせないよ。このコートは俺たちのもんだ!」

 高校生は悔しそうに、ブツブツ文句を言いながらその場を立ち去った。悪者を倒したヒーローの気分で、日向は気持ちがスカッとした。

 ジオラマでは、楽しいことばかりではなく、困難なことや障害、思いもよらないことが起こる。でも日向がやりたいようにやっても、必ずいい方向へ転がっていく。結末はいつもハッピーエンドだ。だから日向は安心して好きなことが出来る。

 現実でももっと器用に友達と遊びたい。人の顔色ばかり見てないで、ありのままの自分でいられたらと思う。ジオラマの友達と笑いながら、虚しさを感じた。

 その時、笛の音が聴こえてきた。日向は音のする方を見ると、ハルはキラと並んでベンチに座っていた。ハルは横笛を吹いていた。

 日向は、動きを止めて、その笛の音に耳を傾けた。空高く響き渡るようにどこまでものびやかに、澄んだ音色だった。高く低く、高らかに歌うように囁くように自由自在に奏でる腕前は相当なものだ。日高は、その音色に心を奪われてた。気が付くと涙を流していた。涙をぬぐって日向は、ゆっくりハルに近づいてた。

「ハル、すごい!俺ものすごく感動した。音楽聴いて泣いたのは初めて。胸がドキドキして、鳥肌が立ったよ」

「ありがとう」

 ハルは、静かに笑った。

「ハルは笛の名手なんだって。素敵だね」

 キラはハルから笛を受け取ると笛に息を吹き込んだ。音は全くならず、息が漏れる音しかしなかった。「ダメだ」と言って、キラは日向に笛を渡した。

 目で吹いてみろと促された。日向は横笛なんて吹いたことがない。音楽の授業で縦笛は吹いたことがあるだけだ。

 笛は、竹でできた年季の入ったものだった。初めて手に取った笛なのに、手になじんで、どこか懐かしさを感じた。

 日向は恐る恐る息を吹き込んだ。すると高い澄んだ音が響いた。日向は自分の出した笛の音にびっくりした。それはハルの音色と遜色ない美しいものだった。日向は思うままに、笛を吹いた。でたらめに指を動かしているのに、ちゃんと旋律になっている。こんなに心が高揚するのは初めてだ。日向は一心不乱に吹いた。

 キラはうっとりしている。ハルも目を閉じて聴き入っている。バスケをしていた仲間も子連れのお母さん、犬の散歩をしていたおじさん。公園にいたすべての人が動きを止めて、日向の笛の音に耳を傾けている。

「素敵!日向」

 キラは目を輝かして大きな拍手をした。すると公園中から拍手が響いた。日向は照れながら、みんなに向かってお辞儀をした。ハルは日向を静かに見つめた。

「————君も笛、吹けるんだね」

「俺もびっくり。吹いたことないのに・・・・・・俺、どちらかというと縦笛も苦手だし・・・・・・何にも考えてないのに指が勝手に動いた・・・・・・」

 でも・・・・・・と日向は思った。ジオラマにいるんだから、このくらい普通かな。なんでも俺の思い通りになるんだから。

 それにしても、このジオラマでいろいろなことを経験してきた。だけどこんなに心躍ってワクワクしたのは初めてだ。まだ興奮してドキドキしている。

 日向は遊具で遊んでいた子たちに手を引かれて連れていかれた。そして演奏を乞われて、また笛を吹きだした。キラとハルはそんな日向を眺めていた。キラを嬉しそうに言った。

「やっぱり日向は、笛を吹けたね」

「うん。何度生まれ変わっても魂に刻まれてるんだ」

「———やっとあなたが現れて、ここから日向は魂の記憶を思い出していくわ」

 キラは真剣な顔でハルの顔を覗き込んだ。

「日向は、———どう思うかな。純粋にキラのことを友達だって信じている」

「わたしも日向のことが好きよ。隠し事はいっぱいしてるけど。その時が来たら何もかも話すわ。もうすぐよ」

「日向は、自分が他の子と違うことを本能的に気づいている。劣等感を抱いて、苦しんでいる」

「だから自分は何者なのか。何のために生まれてきたのか知らなきゃいけないわ」

 キラは悲しい目をして俯く。強い風が吹きハルの髪の毛がなびく。すると今まで気づかなかったがハルの頭には小さな二本の角があった。

 日向は、二人の会話を知る由もなく、笛の音色に酔いしれていた。


——————あれ・・・・・・これは夢?・・・ジオラマ?

 日向は困惑していた。村が燃えている。逃げ惑う人。必死で火を消そうとする人。皮脂の形相で大事な人を探し回る人。通りは混乱した人達であふれている。

 火の熱気が圧力となって日向に押し寄せてくる。火の粉が降りかかる。夢じゃない。日向は茫然とその様子を眺めていた。行きかう人が日向の肩にぶつかった。

「すみません」

 反射的に発した声が、自分の声じゃない。瞬間的に喉に手を当てるとそこには今まで触ったことのない喉ぼとけがある。慌てて手を見つめた。手は小学生の手ではなく成人男性の節ばった大きな手だった。

 いつもジオラマへの行くときの導入がない。キラもいない。突然ジオラマに来てしまったようだ。しかも別人の頭の中に日向が入り込んだように、日向の意識とは関係なく、この男は誰かを探すようにと走り出した。

「阿古!阿古!」

 人の波をかき分けて皆とは逆の方へ向かっていく。必死に女性の名前を呼びながら。煙を吸い込んでせき込む。袖で口を塞いで、なお名前を叫ぶ。進むにつれて火の勢いは増し、熱さで肌が焼けそうだ。その時、建物と建物の間に赤いものが見えた。

「阿古!」男は駆け寄った。座り込んでいた女性の両腕を掴んだ。

「ハルヒコ様・・・・・・」女は驚いたように顔を上げた。みるみる瞳は涙で潤み、いやいやをするように首を振った。

「ケガはないか」女は言葉なく首を横に振り続ける。

「ハルヒコ様、何で・・・・・・何でここにいるんですか?」

「なんでって。阿古が心配で。何をしているんだ。早く逃げるぞ!」

 男は女を立たせ、手を引いて逃げようとする。だけど女はその手を振りほどいた。男は驚いて振り返った。

「わたしは逃げません。・・・・・・逃げられません。ハルヒコ様は逃げて!」

「何を言っているんだ。なんで・・・・・」男はハッと息をのんだ。

「まさか・・・・・・⁉」女は涙を流しながら、男を見据えた。

「・・・・・・わたしが火を放ちました。・・・・・・ハルヒコ様を逃がすために」

 後ろで建物が焼け崩れる音がした。男は逃げるのも忘れて立ち尽くした。


 火の見やぐらの屋根の上に腰かけて、その様子を見ている者がいた。キラとハルだ。キラは逃げていく二人の後姿を目で追った。

「笛の音色が誘因になって過去の記憶が漏れ出したわね。・・・・・・久しぶりに阿古の姿を見て懐かしい?ハルヒコ」

「・・・・・・」ハルヒコは阿古を食い入るように見ている。

「阿古を・・・・・・救えるのは日向しかいないわ」

「・・・・・・日向には何もかも思い出してもらう。そして彼の宿命も」

 ハルの顔が燃え盛る火に赤く照らされてる。頭の角も口から出ている牙も、今は隠していない。彼は鬼の姿をしていた。

「あなたと日向は一つになるのね」

「あいつは俺を受け入れるだろうか。鬼の俺を」

「・・・・・・受け入れるしかないわ。だってもともと一つ。日向はあなただもの」

「もうジオラマで遊んでばかりいられない。日向は現実でヒーローになってもらう。阿古を復活させるために」

 ハルは厳しい顔で遠くを見つめた。

「もう、種はまかれたわ。彼の音楽には天性の才能がある。笛じゃないかもしれないけど、きっと現実の世界で音楽の道に進むわ。その昔、神様が欲したその才能で人々を救い、幸せにするわ。それが日向の宿命だもの」

「そうだな。・・・・・・阿古、待たせたな。千年かかったか・・・・・・やっともうすぐ終わる」


 スポットライトを浴びて、くねくねと体を揺らしながら歌う。何万人の観衆が腕を振り上げ、狂喜している。そんな未来が見える。

 これは日向の運命のプロローグ。これから怒りも悲しみも苦しみ、嫉妬、絶望、様々な感情が日向を襲うだろう。だけど何もかも受け入れて宿命に背を向けず、闇の中を一点の光を求めて日向は歩いてゆくだろう。唯一の希望を求めて。

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