好きな人と夢 4
起きたときには、ギンはすでに準備を整えていた。
焚き火は黒く鎮火され、昨夜の星空も消えている。目をこすりながら起き上がると、堅い地面に敷かれたマントがシワをつくる。
目を擦りながら彼を見た。
「おはよう」
「……はい」
寝ぼけ眼が、ギンの兜と向かい合う。
視界確保のための小さい穴があるだけで、当然顔は見えない。だが、無愛想な兜は記憶を引き出すには十分である。
ついに好きと伝えてしまった。
過去の自分が脳裏によぎり、ボッと顔が熱くなる。眠気が吹っ飛んだのはいい。だけど代わりに、まっすぐ彼を見れなくなった。
赤くなっているであろう顔を見られないように立ち上がった。下敷きにしていたマントを着て、それから出立できるように準備を開始する。
結局、私がさきに眠ってしまったらしい。星しか見ていなかったし、いろいろあって疲れていたし、そのせいで返答を聞きそびれてしまった。
幸いなことに敵襲もなく、それはもうぐっすりと眠れた。安堵するべきなのだが、どこか悔しがる自分もいる。
軽く朝食を口に運んで、準備を整えた。
私はギンの横に並び、今日もまた道を進み始める。
野宿したところからさらに歩みを進め、何ら変わらない空気が私たちを支配した。
いつもは他愛ない会話をするところなのだが、昨日の今日だ。先に確認すべきことがある。
ありますよね?
そういった圧もかけてギンを睨むが、無愛想な兜は平常。しかも軽く首までひねるときた。
「はぁあ……」
ですよね。これがギンですよね。
もしかしたら星空が輝いて見えたのも私だけで、実は両想いなんじゃないかと期待したのも独りよがりで、ただただ痛々しい小娘にしか見えていなかったのかな……。
あ、なんだか泣きたくなってきた。
そう思って、顔を伏せる。
そのときだった。
「……!」
はしっ、と。
手のひらが大きいものに包まれた。驚いて、瞳に前を見据えるギンを写す。あまりに突然のことであたふたするが、掴まれた手は問答無用に私をつかまえていた。
「ギ、ギン」
「……」
何も言わず、ゆっくりと歩いていた。いつもの早さで、いつものペースで。
手を繋ぐなど、ミネルバでもしたことだ。入国する前には抱きついたりもしていた気がする。恥ずかしくて自分をひっぱたきたいくらいには。
だけど、コレは全然ちがう。
私からじゃなくて、ギンから握ってくれた。ちょっと強引だけど、優しい手。手袋越しにでも熱はたしかに感じられ、それを意識すると胸が温かくなる。
受け入れて、私はうるさい鼓動に包まれながら歩いた。
故郷を出たころにはどんな景色にも目を奪われていたというのに、今は気にすることもできないほど緊張していた。意図せず笑みがこぼれてしまう。
エマグレン・リルミムの妄想本で読んだものとはわけが違う。文字に心躍らせていた自分はなにもわかっていなかった。現実の恋とは、かようにも心を揺さぶるのか。人の人生を狂わせるのも理解できる衝撃だ。
「スイ」
「な、なんですか」
「俺は、ずっとスイが好きだった」
「……へぁっ!?」
直球。
あまりにも予想だにしない言葉に、素っ頓狂な声を出してしまった。
視界の横を、一本の大木が過ぎていった。
「ちょちょちょ、待ってください。今なんて?」
我慢できず、手を引っ張ってその場で止まる。ギンも従って立ち止まり、私を見た。
「ずっとスイが好きだった」
「えっ、えっ。い、いつから? アレット村出たあとくらいですか?」
そう。きっとそのくらいだろう。
私が意識しはじめて、接近したのがあのころな気がする。皮売りのおじさんに会って、馬車に乗せてもらうちょっと前だから、
「違う」
「あー、んー! 違うぅっ!?」
恋仲らしい空気もひったくれもない。私は混乱する頭を抱えた。思考はハテナでいっぱいに埋まる。
「ほら、とりあえず歩け」
引かれて、また歩く。
熱い顔のまま、爆発しそうな頭のまま、役に立ちそうもない思考を働かせる。ぎゅ、と握られた感触をさっきよりも意識してしまって、妙に恥ずかしい。
酒場でトウが赤裸々な過去を暴露され、皮売りのおじさんに殴りかかったのも頷ける。なるほどたしかに、こんなのは引き合いに出されたくない。私だったら壁に頭を打ち付けたくなるだろう。
「スイ、落ち着け」
「ひゃいっ――ゴホン。は、はい」
くぅ……! いつも通りの受け答えができない!
悔しがりながら、深呼吸する。新鮮な空気を取り込み、ゆっくり吐く。
ああ、ちょっと落ち着いた。
「大丈夫か」
「た、たぶん」
「よし」と頷き、ギンはまた何も言わず歩いた。
私の動悸は収まりそうになかったが、しばらく歩くことで冷静さを取り戻すことができる。気づけば、手の感触に安心感を覚えるようになっていた。そりゃあそうだ、ミネルバで花火を見たときとは意味合いが異なる。
なんてことない兜なのに、見るのが恥ずかしい。逃げて周囲の景色に目を向けた。
恋は世界を変える、とは何の本から得た知識だったか。
見えるほとんどすべてが新鮮に映る引きこもりにとっては、今の世界はとんでもなく輝いていた。
青空を飛ぶ鳥も、揺れる特徴的な樹も、ブーツが蹴る地面も。不意に吹く風は言わずもがな、ふわりと乱れてしまう髪が気になって、無意識にかきあげてしまう。
となりを彼が歩いてくれる。
私の胸の鼓動はまたはやまった。
それを知る由もなく、ギンが指をあげた。
「あれが見えるか」
指差した先を目で追う。そこにあるのは、さっきから何度も目にしているものと変わらない、いたって普通の丘。すこしだけ隆起しているからか、今見える眺望のもっとも外側、大地と空の境界をつくっている。
「あそこを越えれば、海が見える」
「本当ですかっ」
「ああ」
歩きながら、嬉しさが込み上げる。
手を繋いでいることに対する喜びとはまた別種の、夢を叶えられる喜びが私を笑顔にした。
足が今までで一番軽くなる。
十年間感じられなかった、人生でいちばんと言っていい幸福の予感。走り出したくて、でも手は離したくなくて、どうにかなりそうだった。
と、浮き足立つ私をじらすように、ギンが立ち止まった。
クン、と引かれて、私は振り返る。
「スイ」
「ど、どうしたんですか?」
怪訝な表情をする私に対し、足を止めたギンはそっと手を離した。一秒でも繋いでいないのが名残惜しい。
「渡すものがある」
がさごそ、と片手で背負っていた袋をあさる彼。
なんだろう、と見つめる先。取り出され、手に持っていたものは。
「こ、これ……」
差し出されたものとギンの顔を交互に見てしまう。
今や失われてしまった私の本。エマグレン・リルミムの妄想本。それと同じ、だけどとても使い込まれ、劣化した本だった。
表紙の角は崩れ、ぼろぼろになり。重ねられた羊皮紙もたわみ、色を変えている。ミネルバの宿で盗み見てしまった、メモの挟まれる本。それが堂々と空気にさらされた。
「この本は、俺のすべてだ」
「い、いいんですか? 私に、」
「いい。君に持っていてほしい。せめてもの贈り物だ」
ぐい、と押しつけられ、よく分からぬまま受け取ってしまう。
「それと、これを持て」
「え、え……? 今度はなんですか」
呆れつつ、ふふ、と笑ってしまう。
重い、けれどずっと軽くなった麻袋を、本を持った手と反対の手で受け取る。
贈り物の次はなんなんだろう。ちょっとどきどきしながらギンを見ると、彼は短く息を吐いて自分を落ち着けている様子だった。
……もしかして、ついに兜を脱いでくれるのだろうか。
昨日、催促したから? 膝枕が功を奏したのか?
いやなんでもいい。
とにかく今は、ちゃんと受け止めたい。そう思って、こっちもゆっくりと息を落ち着けた。
「スイ」
かけられる声を意識して、覚悟を決める。
そして真っ直ぐ、銀色の兜を見据えた。続く言葉を、彼が素顔を見せてくれるのを待った。
す、と息を吸い込む気配がした。
「――契約を、破棄する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます