かつては仲間、今は敵 4
林を抜けて、私たちは広い丘のあいだを通る道を歩いていた。
空は未だに薄暗い。
ミネルバから抜け出し、ようやく一息つける――というわけでもなく、しきりに追っ手がないか確認しながらの前進だった。
やがて、目についた岩場の影で一休みすることになる。
腰をおろし、はぁぁあ、と息を吐く。
まださっきまでの緊張が鼓動を早めている。息を呑むような瞬間ばかりで、つねに死を意識しながらの時間だった。いえ、私は基本的になにもできてないんですが……。
「あー、ようやく抜けたわねー」
リーゼリット――今はどちらかというとトウが、心底疲れた様子で寝転がった。目を凝らすと、髪の毛先がすこし焦げている。
彼女がダラけたことで、こっちも改めて気を抜くことができる。ルートビフとの会話についていろいろ訊きたいことはあったが、今はそんなことより、この身体の疲れを癒やしたくて仕方がない。
私も岩場に腰を下ろそうか、とギンを一瞥したときだった。
「……ギン?」
岩を背に立つ彼に、違和感を覚えた。
ぱっと見はいつもと何ら変わらない。無愛想で、ただ銀色の鎧を汚しているだけの騎士だ。だけど、私は気づいた。
「ギン、足が、」
「あ、ああ。問題はない。歩けるし、戦うのにも支障はない」
気まずそうな声音だった。
スネ当てのあたりが焦げて歪み、そこをかばっている。兜で表情が見えないのがもどかしい。見えていれば、はっきりとわかるかもしれないのに。
そう思っていた私の代わりに、起き上がったトウがギンに近づいた。しゃがんで足元を見る。
「……ごめん。火傷させちゃったのね」
「気に病むな。剣聖ルートビフ相手にこれしきで済んだのは、むしろ
「……」
トウはしばらくそのままだった。
火傷を見つめ、何かを考え込む仕草をする。かと思うと、今度はすっくと立ち上がり、歩き出す。
ミネルバの方へ。
「トウ、どこへ行く」
「……、」
「気に病むなと言った」
足を止め振り返ったトウは、なにかを決意した表情をしていた。口元は引き結ばれ、頬の黒い汚れもそのままに、順番に私たちを見る。
真剣な眼差だった。
それだけで、何を言いたいのかが理解できてしまう。意思を曲げるつもりがないことも伝わってしまう。
「……ここで、お別れね」
「戻るんですか?」
「ええ。ギンの言うとおり、火傷させてしまったことに対する負い目もないわけではない。けど、これは私の夢のためでもあるから」
トウの夢。それは、きっと私たちが思っているような、そして今抱いているような生やさしいものではない。
ルートビフが罵った言葉を、私もギンも覚えている。
国家転覆。
要は、あの剣聖が仕える中央公国マレクシドを滅びに導くというものだ。
地図の中心に座する最大の国。周辺の様々な国とつながりを持ち、強大なチカラで領地を統治する、ミネルバを越える規模の国家だと聞く。
そんな国と敵対するなど、もはや世界と敵対するに等しい。
だが、トウはそれでも行くつもりのようだ。
「宝剣は持っていきなさい」
「いいのか? これは、お前の――」
「いいのよ。あんた、今はスイだけの騎士なんでしょ。だから、剣くらいは持っておきなさい。その代わり私はルートビフと直接戦えないし、
そう言って、トウは手のひらを見つめた。
今は黒い手袋も左手だけ。右手は肌をさらし、それをぎゅ、と握った。覚悟は決まっているようだ。
「私は私の夢を。あなたはあなたの夢を。でも、ちょっとくらいは助けてあげる」
顔を上げ、微笑みを向けられる。
別れが口惜しい。できるなら、ずっと一緒に旅をしてみたかった。三人で海を見てもキレイに違いない。皮売りのおじさんも含めれば、日々は底なしに楽しいはずだ。
意図せず、悲しい顔をしてしまう。そんな私を見て、狙い澄ましたようにため息が吐かれる。
「はぁ。そうね、私も行きたい。でもこれは今生の別れというわけじゃない。またどこかで、今度は酒でも交わしながら話しましょ。だから、その、」
「死なないでくださいよ。トウ」
「……ええ。あなたたちもね」
トウはフードを被り、踵を返した。
歩いて引き返していく。
「トウ!」
言い忘れていたことを思い出し、呼びかける。
小柄なローブは背を向けたまま立ち止まった。
「あなたの本、すてきだった。私が旅に出ようと思ったきっかけです。外側に向ける夢と、世界に踏み出す勇気をくれた。誰かが馬鹿にして、著者であるあなたが恥ずかしいと揶揄しても、私だけはあの本の虜だから。魅せられたから。だからっ」
「……」
「――ありがとう」
少々、遅くなってしまったが。それでも伝えることはできた。
トウはその場でしばらく何も言わなかったが、不意に、ふっ、とフード越しに笑みを浮かべる気配を感じさせた。そしてまた、足を運びはじめる。
「続巻の感想は、次会ったときにとっておきなさい」
それだけを残し、足を速める。黒いローブは、夜の闇に紛れて姿を消した。
魔法使いリーゼリットにして、人生に光をくれた著者、エマグレン・リルミム。そして、私に新たな夢をくれた友人トウが、去った。
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