羊皮紙に惹かれた三人 3

 ――度々目にする件の酒場は、基本的に盛り上がっている。

 このミネルバでは、商売が盛んな地区と宿屋が多い地区、そして食事を楽しめる屋台などが並ぶ地区などを中心に、外側を囲むように国民の住居がひしめくカタチとなっている。

 昨夜トウと出会った場所は外縁も外縁。祭事の夜ともなれば、人通りも少なくなって当たり前な地区だった。対して、私たちの宿屋を出てすぐの三番通りは、宿屋の集まる地区と食事処の集まる地区、ふたつの境に位置する通り。まさに宿屋と酒場をつなぐ基点ともとれる位置で、昨日と同じく繁盛していた。

 酒好きのドワーフはもちろんのこと、トカゲや鳥、ネコを含む様々な獣人もたくさんおり、夜になるとエルフも混ざる場所だ。賑やかさの象徴とも言うべき酒場は、慣れていない者には入りにくいことこの上ない。ましてや、他者に順応していない姫には別世界のまた別世界として映った。

 わちゃわちゃしている雰囲気はいい。人の交流があって素晴らしいし、十年の空白期間がある私にとっては興味が湧く。だけど、ここはアレット村と比べ異界がすぎる。


「ほ、ほんとにここですよね?」

「ああ。間違いない」


 トウと約束をした酒場の前で、縋るようにギンを見た。

 だがやはり、私だけ外で待つのはダメらしい。こちらを見下ろした兜が首をよこに振る。人の往来を邪魔し続けるのも気が引けるし、どうしても中で待つしかない。私が知らないだけで、『酒場での待ち合わせ』とはそういうしきたりということか。

 先に中へ向かうギンの背中に、私は盛大にため息を吐いた。


 ……朝方目にしてしまった本のことを思い出し、もやもやとする。それもあって、吐き出された空気は重かった。





 酒場に入ると、熱気を肌で感じた。昼間だというのに顔を真っ赤にした客と、騒ぐテーブルのあいだを駆ける店員。せわしないこの光景が夜まで続いているのだ、と想像し、若干引いた。人間はこんなにも底抜けの元気で溢れているのか。

 ぐるりと見渡しトウがいないことを悟る。なので、入り口に近い角の席を見つけた私とギンは、そこに腰をおろし待つことにした。


「いらっしゃい、お客さんウチは初めて?」


 すぐに駆けつけてきた店員――見たところ普通の女性――は、水とメニューをテーブルに置いた。

 ギンも初めてらしく、二人してコクコクと頷く。


「なら、手始めは手羽肉からがおすすめだね。酒は自己責任、適当に呼んでくれれば注文うけるよー」


 てきぱきと慣れた様子で対応し、すぐに次の仕事へと移った店員。他のテーブルに声をかけられ、「はーいっ」と快活な返事を繰り返している。

 私はそれを「ほえー」と眺めていた。

 それからギンと一緒にメニューをのぞき込む。メニューには肉と魚が多い。肉はともかく、魚は内陸のアレット村では見れなかったものだ。ミネルバならではといえるだろう。ちょっと興味があった。連れの騎士もじっくりと吟味ぎんみしているようで、兜を揺らす。

 と、そんな私の肩を、後ろからがしっと掴む誰かがいた。


「うひゃっ」


 変な声がもれる。

 恐る恐る振り返ると、そこにはトウが――というわけでもなく、案の定、酒に酔った男の顔があった。

 顔面をこれでもかと赤く染め、鼻をつく酒の匂いに思わず顔をしかめる。


「嬢ちゃんー、この街はじめてだってえ? 大変だったろー、ここまでなあ」


 すかさずギンが止めに入ろうとしたが、なんとそちらの方もジョッキを持つ女に絡まれてしまう。

 なんだここ、みんな酒に酔っておかしくなってる。あっちもこっちもすごい酒気だ。しばらくギンの手助けもできそうにないし、ここは私でなんとかしなければ……!


「んー? おまえさん、なんだぁ? この色、」


 そう決意する私の髪に、後ろのおじさんが触ろうとした。

 反射的に殴り上げて蹴ってやりそうになり、その手を掴もうとする。


 そのときだった。

 私が反発するよりも先に、横から伸びてきた腕が男の手を握る。かと思うと、その細い腕は騒ぎになることもいとわず、盛大な音を立ててテーブルにダンッ! と叩きつけるではないか。

 当然痛がる男性。酔っているからか大声で叫び、注目を集めてしまう。

 びくびくとしながら助けてくれたぬしを見上げ、私は言葉を失った。


「いてててっ、何すんだオマエ!」

「……酒くさいわね。量ひかえないと死ぬわよ」


 黒色のローブ。頭を隠すフード。肩からななめに鞘を背負っており、肩口には昨夜預けた柄が店の照明を受けていた。

 トウ、と名前を呼ぼうとして、すぐに閉じる。

 私の位置から辛うじて見えるフードの下から、知っているトウとは思えない鋭い眼光がキッと男をにらみつけていたのだ。


「てめえいったい――あ?」


 男がその目にイライラを増し、今にも殴りかかりそうな雰囲気になる。そう思っていたのだけど。

 突然耳に届いたシュウゥゥ……という異音に、男が首を傾げた。

 私も違和感に気づく。


 鼻をつく焦げた匂い。

 それに、立ち上る煙。

 しかも妙に近いような。


 ギンも私も、ギョッと驚いて彼女の腕を見た。酔っ払いも気づくほどの異常の発生源が、彼女が組み伏せている男の手だったからだ。


「ってアッツ! あちゃチャチャチャ!!」


 一瞬だけボッと炎があがり、男が飛び退く。掴まれていた腕を引き抜くと、ばたばたして冷ますように手のひらへ息を吹きかける。テーブルにはすこしの焦げが残り、まだうっすらと煙を伸ばしている。それを見て、黒い手袋の意味を悟った。

 私が顔を上げ、ギンが唖然とその光景を見届ける。

 二人して呆気にとられるなか、トウはフン、と鼻を鳴らした。

 それを聞き取り、ゆっくり彼女の方を向くと。そこにはトボけながらも不敵な笑みを浮かべる確信犯がいた。


 「てめえ今なにしやがった!」という罵声とともに指を向けられるが、手袋をはめた手を振って「さぁ?」と受け流すトウ。フードの下で目が細められるのが見えた。


「なんだいなんだい、揉め事は余所でやんなぁ! 酒は自己責任つったろう! 出禁にするよ!」

「げっ、お上……いや今回は違ぇーって! この女が怪しげな手品で俺の手を焦がしやがったんだ!」

「はぁ、おまえさん、もう何回目だい……」

「マジだって! そうだ魔女だ! そいつは魔女の生き残りに違いない! 平和のミネルバに災禍を運んできやがったんだ! お前らも見ただろう!? あの炎! なあ!」


 そう問われて、私とギンが頷くわけもない。

 周囲の客たちも、酔ってはいるがまったく反応しなかった。幸いなことに、魔女だとか災禍を運んできたなんていう噂を真に受けている者はいないようだ。誰も彼もつまみを口に運びながら、「いいさかなだ」とでもいうように成り行きだけを見つめていた。

 シン、と静まりかえるなかで、ワアワアとまた男がわめき立てる。

 そこに、トウがとどめを刺した。


「酔っ払って、熱々のスープに指でも突っ込んだんでしょ」


 周囲から笑いが湧き上がった。

 私とギンはともかく、ギンに絡んでいた女もその他も客も、みんな軽快に笑っていた。一体感がすごい。

 男がお上さんと呼んでいた大きい女の人に首根っこを掴まれ、外へ放り出される。それもまた笑いを呼んだのだった。

 正直「そんなに笑えることだろうか?」とも思ったけれど、その場の空気はとても楽しくて、釣られて私も笑ってしまった。

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