羊皮紙に惹かれた三人 4

「さっきは驚かせたわね」


 フードを脱いだトウが、フォークに刺した手羽肉を頬張りそうこぼす。

 私は果実搾りを、ギンはなにも口にせずそれを見つめていた。

 周囲はいつものただ騒がしい客たちに戻っていた。誰もこちらを気にしないし、ギンに絡んでいた女も別のところへ行っている。それでもなお懸念を抱き、周囲をちらちらと見てしまう。もしかしたら、まだトウを敵視する誰かがいるかも。

 それを見かねたのだろう。橙色の髪をさらした不用心なトウが説明してくれる。


「大丈夫。ここで昼間っから飲んでる酒好きは、基本的に勇者時代からの常連よ。私も含めてね」


 もちろんさっきみたいな空気読まずもいるけど。そう締めて、トウは厨房の奥に指を向けた。

 そちらを目で追うと、お上さんがニカッと親指を立てているのが見えた。すごく頼もしくて、遠目にだが頭を下げておく。

 なんだろう。最初はすごく躊躇ちゅうちょしたけれど、ここ、すごくいい場所だ。

 トウはもぐもぐと肉を咀嚼しながら続ける。


「お上さんはマミーとも呼ばれてる。ここでずっと切り盛りしてるすごい人よ。あの最近入った店員はオサゲちゃん。メニュー持ってきてくれた子ね。本名かどうかは知らない。あとギンに絡んでたのはラウラって女。誰にでもそうだから蹴飛ばして問題ないわ」


 トウは肉にだけ目を向け、淡々と紹介していく。しかも、たまに通りかかる客を悪態づきながら話すほど、人とのつながりを持っていた。ちょっと意外だ。


 ……勇者一行では最も嫌われている魔法使い。

 そう言われ、自覚もしていたトウだけど。こうやって紹介する姿はどこか楽しそうで、とても寂しそうには見えなかった。聞いたところ、トウは数日まえからここに滞在しており、ミネルバのこの酒場に入り浸るのも二年ぶりだという。

 きっとここは、彼女が一人でないことを思い出せる貴重な場所なんだろう。私は漠然とそう思った。


「それよりトウ。先ほどのアレはなんだ」


 そう話題を切り替えたのは、となりに座るギンだった。

 極めて冷静に問い、机に残った焦げをトン、と指先で叩く。


「アレ? ……ああ、あれね」


 トウが肉の骨を皿におく。フォークもそっと手放し、それから手のひらを私たちに見せた。

 今はいつものように黒い手袋をしていた。

 他の客を見るかぎり、この肉は手づかみで食べるものなのだと思う。ドワーフも荒々しく喰らっているし。でも、そうせずフォークを使う理由が彼女にはある。単純に手を汚したくない、なんてものではなく、それとはもっと別の、何か。

 そして――私も気になっていた真実を、あっけらかんとしてトウは口にした。


「私、あなたと同じなのよ」


 そう言いながら、私を指差すトウ。

 半ば予想通りの回答に、じっと見つめ返してしまう。ギンは私とトウを交互に見て、なにも言わなかった。


「……やはり、そうなんですね」

「ええ。といっても、発現の仕方はまったく別。言わば、あなたと私は正反対の存在。同じ『呪われ人』としてはそっちの方が性質タチが悪いけどね」


 トウは自身の手を指差して、「この手袋は特別製」と説明してくれた。


「私は触れたものを燃やしてしまう。なんでもかんでも。足はそこまで……なんだけど、手のひらで触れたものは、それこそ爆発に近い感じで炭になるの」

「足よりも、手……」

「そ。数秒さわるくらいならさっきの酔っ払い程度で済むけど、私の両親は丸焦げで旅立ったわ。故郷の村のみんなもね。それから魔法に詳しくなったのも、元はと言えばこの体質を治すためだった。まあ結局、頓挫とんざしちゃったけど」


 呪われ人。

 私と同じように、特殊な体質で苦しんだ人がいた。それが目の前にいる彼女だなんて、到底信じられなかった。

 リーゼリット・リルミム。勇者とともに過酷な旅に出て、世界に平和をもたらした英雄。そして今では、嫌われながらも強く生きてる人。逆境にありながらあんなに楽しそうに世界を見つめる彼女が、私と同じだったとは。

 きっと、私の過去にも負けず劣らずな過去を経験しているに違いはない。彼女もそうやって生きてきたのだ。ただ、それを表に出していないだけ。

 ……私は、彼女のように生きられるだろうか?

 消えない罪を背負いながらも、前を向いて。


「あなた――スイは、足の方が強いのね?」


 羨望の眼差しを向けていると、トウが訊いてくる。


「靴を見ればわかるわ。もはや拘束具だもの、それ」

「そう、ですよね。はは、」


 トウの靴よりも厳重な錠が施された自分の足。テーブルの下に視線を落としてから、半笑いがこぼれた。おそらく今の私は、素性を明かしたときのトウと同じ表情をしているのだろう。

 受け入れるしかない現実に生きる者の、寂しげな顔を。


「……あなたも、苦労したわね」


 互いに、視線をテーブルの上に落とした。

 中身が異なるとはいえ、ともに素肌では生きづらい者どうし。相手が経験してきた苦しみがどれほどのものか定かではなくとも、それが地獄であったことは理解できる。

 私は多くの民と従者を。彼女は両親と……他にもきっといるだろう。


 重い空気を切り替えるように、トウがぱっと顔を上げた。


「さて。暗いことはさておきよ。今日はこの街を案内する、って予定でかまわないのよね?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「じゃあさっさと食べて街に繰り出し――たいんだけど、その前に」

「……?」


 トウが人差し指を立てた。確認しておくべきことがある、という意味なのであろう。その予想は的中し、私の訊きたかったことを向こうから切り出してくれた。


「正直あまり触れたくはないんだけど、うん。まぁいい。同じ境遇のよしみで、言ってあげる」


 またよくわからない基準でなにかを決めるトウ。しかも、なにやら胸に手をあてて苦しみはじめるではないか。一瞬「なにかの病?」と身構えたけれど、そうでもなさそう。

 ギンと私が見守るなか、彼女は最後に深呼吸をして。


「『エマグレン・リルミム』とは、私のことよ」


 第三の名を告げた。

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