羊皮紙に惹かれた三人 2
「ん、」
瞼越しに日差しを受け、しかたなく目を覚ました。
城のベッドよりは狭いけれど、肌触りの最高な感触はすばらしい。それを足の裏をふくむ全身で堪能する。
「ふわ……ぁ」
愛おしい多幸感を、いやいや手放して、私は身を起こした。
肩にかかった布団がずり落ちる。乱れた銀髪がひざに垂れた。
目をこすり、部屋にいるはずの彼を探す。寝起きのあたまに、素朴な疑問がよぎった。
昨夜は私がさきに眠ってしまったのだけど、いったいギンはどこで寝たのだろう。
「んー、んん? ギン……?」
兜を見つけ声をかけるが、返事はなかった。
珍しい。
野宿をするときはもちろん、アレット村でも先に起きているのが彼の常だった。私より後に寝て、先に起きる。もしくは寝ない。「やっぱ鎧の中身ヒトじゃないのでは?」と感じる要因のひとつだったのだけど。
「ギン、寝てるの?」
ベッドの
床に立てた片足だけで身体を支え、背中を壁に預けるギンがいた。兜は俯いており、だらんと投げ出された腕のさきには私の本がひらかれている。どうやら寝落ちしてしまったようだ。
私は珍しい光景に眠気を飛ばされてしまったので、ベッドに寝転がったまま、じー、と観察に入った。
「……」
外開きの窓の向こうから、チチチ、と鳥の声が聞こえてくる。それを意識しながら、なおもギンを見つめた。
こうしていると、彼も人間なのだ、という安心感があった。できるならずっとこの姿を眺めていたいという欲に駆られ、それに従うことを決める。
彼は、とてもよく働いてくれている。
罪人であり、いつ深緑で覆うかわからない私を裏切らないでくれた。それどころか、とても頼もしく守ってくれる。昨日襲われたときもそう。まさかギンがあんなに強かったなんて。いえ、もちろん信じていましたけどね?
だが、同時に疑問でもある。
ギンは――どうしてこんなに私の騎士でいてくれるのか。
契約だから、という理由では語れないほどの恩を、私は彼に抱いている。
私という罪人の夢を肯定し、世界の優しさをおしえた。臆病者がここまで来れたのも、彼がいたからこその結果だ。本名でサインされた契約書にだって、『私を気遣いなさい』とは書かれていない。
「ギン。あなたは、どうしてそんなに私のことを……」
銀色の鎧は応えない。
寝息こそ聞こえないが、ゆっくりと肩が上下している。まるで、今まで睡眠を削ってきた分を取り返すかのようなグッスリぶり。私が苦労を押しつけてきた結果だと考えれば、起こす気など
ゆっくり、ゆっくり、休むといい。
私はベッドの上から腕を伸ばし、そっと兜に触れてみた。手袋をしていない指が、鉄の表面を撫でる。サラリと擦れて、冷たい感覚が残る。
眠れ。
靴を脱がない私は、ただ一人の女であって、あなたにできることは何もないけれど。安息の時間を与えるくらいはしてあげたい。精一杯の幸福な時間を、あなたにあげたい。
「さて、私は朝食でもつくりましょうか」
眠る彼にふふ、と微笑みかけ、私はベッドをおりた。
滑りの良い木目にぺた、と立つ。そのまま荷物の方へと向かおうとして、ふと、足を止めた。
ソレは、いつもと何ら変わらない。私が触れ、
だけど、床にひろがるページに抱いた些細な違和感が、胸の奥で引っかかった。まったく別の方向に向けていた視線を、ゆっくり足元へ移す。
ギンの腕のさきに開きっぱなしの一冊が、足の親指に当たりそうだった。
私が書庫から持ち出し、「たまになら読んでいいですよ」と許可を出した本。枯れた花のしおりが挟まれた、エマグレン・リルミムの妄想物語。
それを見て、眉をひそめる。
違和感は気のせいではなかった。
私は荷物に向いていた足先を変え、そっと腰を落とすと、床と表紙の間に指を差し込み、ゆっくりと持ち上げた。
「これ……私の本じゃない」
よく見ると、その本は私のものより幾分か劣化していた。
最初見たときは「私の知らない間にこんなに汚したの?」と、
表紙の名前自体は同じものの、角のところが削れて黒くなっているのが目につく。さらにぱらぱらと捲っていくと、そこかしこに傷が。羊皮紙が破れていたり、水を吸ったのか文字がかすれていたり。何かをこぼした染みがあったり。
どう見ても数日そこらでできた跡ではない。こんなに傷がついていれば、さすがの私でも気がついたはず。
「……」
私は荷物が入った袋に駆け寄り、中身を覗いた。
手に持っている本と同じ、だけどキレイな状態のもう一冊が、そこにあった。
どういう、ことだろうか?
なぜ二冊ある? どうしてギンが持っている?
いや、おかしいことではない。この本だって、世界に一冊限りというわけではないのだから、ギンが持っていたのもおかしくはない。
私が気になっているのは、ギンがそれを私に言わなかったことで……。
二冊の本を目の当たりにした私は、片手で頭を抱えた。
もやもやした感覚で、隠していた理由を考える。
もしかして、私じつは嫌われてる? それとも、昨日どこかの古本屋で買ってきたとか?
わからない。わからないよ、ギン。
……霧に包まれたような、彼の隠された部分。
その一端から目をそらせなくなり、顔をしかめてしまう。これでも気にしないようにしてきたのだ。だって、彼の秘密に踏み込んでしまったら、この旅が終わってしまうんじゃないかって、怖かったから。彼と一緒にいられるのであれば、少なくとも海を見るまでは、このままでいよう。そう決めていたのだ。
だけど、これは。
「……っ」
ページを捲る手が止まらない。私が読み進めていない先のページまで行ってしまう。どの面も使い込まれたように劣化している。長い長い年月が次々と飛び込んでくる。
そして、最後のページを捲ったときだった。
「な、に、これ」
パサリと、床に落ちた紙。
破れたページではない。メモとして使われる羊皮紙だった。
その数枚を、震える指でひろう。
目を落とし、あまりの衝撃で持っていた本を落としてしまった。
「は、はは……」
乾いた笑いがもれる。
ひろった羊皮紙は、真っ黒に見えるほどの殴り書きで埋まっていた。
乱雑に、間隔を詰めて、書いた本人さえ意味が理解できればそれで良しなメモ。ところどころに描かれるよくわからない絵。そこから引き延ばされた線と、なにかの説明。重要部分は大きく円で囲まれていて、逆に「まちがえた」とでも言いたいのか、ぐしゃぐしゃに塗りつぶしたところもある。
それが、何枚も。
私はギンがまだ眠っているのを確認して、二枚目、三枚目と目を通していった。
き……おく? きかん……帰還? 期間? こっちのは、調合のレシピだろうか?
字体が雑なためところどころしか読むことはできないが、なおも続く殴り書きと絵は、私の目を釘付けにする。
きっとギンの大切なもの。なのに、触ってはいけない、見てはいけないとわかっていても、やめられない。
そして六枚目に移ったとき、私は硬直した。
「――、」
文字に反して上手な、一輪の花の絵。
黒一色しか使われていないため、どんな色かはわからないはずだった。本来であれば。
私は知っている。この花を。
花びらのカタチを覚えている。鮮やかな紫色をしていることだって。
幼い頃の記憶にある、お母様の魔法によって咲いた花。
曰く、『奇跡の花』。
その絵のまわりも黒い文字と説明で一杯だったが、上部に大きく刻まれた一文だけは、私でも読み取れた。
スターチス・フラワー。
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