勇者と魔法使い 2

 ビュオオ、っと風が頬に当たる。

 長い自分の髪が顔にあたり、鬱陶しくも感じたが、この際そんなことはどうでもよかった。


 無数の光が、ものすごい速度で過ぎていく。

 それは花火の光などではなく、街に溢れる明かりの数々。人の喧噪も声を理解するまえに遠くへ消えていき、とんでもない速度で駆け抜けていることがわかる。

 混乱する頭で、口を塞ぐ男を見る。

 ときおり見えるその顔には気味の悪い仮面。その下から薄ら笑いを剥き出しにしている。仮面は金属かなにかで形づくられたものであり、華美な装飾は皆無。角張った部分に光が反射する。


「きゃあっ! ちょっとなにす――」


 人の間を抜ける。


「うわっ――」

「っぶねえっ!」


 人の横を抜ける。

 驚いた者の声は次の瞬間にはかき消えて、それを意識している間に街の明かりが減っていく。

 人気ひとけのない方へ、人気のない方へと進んでいるのがわかった。


「動くなよ」


 抵抗しようとすると、口を塞ぐ腕にチカラが入る。

 同時に肺が締め付けられ、声も発せなくなってしまった。それを確認して、男の口元がさらに歪む。仮面の隙間から睨む目を見て、抵抗する心もくじかれた。


 怖い。とんでもなく。


 森でさらわれたときとはわけが違う。

 この男には意思がある。ただ殺して捕食する肉食植物や、狩りのために爪を立てる獣とはまったくの別物。目的など不明だし、どこに連れ去られるのかも不明。この男に関しては分かることなどひとつもない。

 目を見て確信した。

 こいつは、私をただ殺すなどあり得ない。死よりもっとむごいことをできる人間だ。侵略し、破壊し、略奪し、己の欲望に任せた蹂躙じゅうりんの限りをつくす、知性を備えた人間という獣だ。


 ……知っている?


 私は、どこで見た。

 どこで知った?

 怖いのはたしか。だがそれよりも、なぜこんなに憎くて、仕返しがしたくて堪らない? この胸の奥に燻る復讐心が、燃えさかるのはなぜ? それを復讐心と理解できるのは、いったい……そうだ。

 私が靴を脱いだ日、故郷を襲った、あの――


 そのときだった。


「ッ!?」


 男の目が見開かれたかと思うと、突然足を止め、後方に飛び退く。人気のなくなった通りで、街灯と街灯の合間に降り立つ。

 捕まったままの私は目をつむり、衝撃に耐えた。そしてまた目を開けると。


「ったく。オメェ、しつこいヤツだな」


 毒づく声を受け、見覚えのある騎士が闇の向こうから現れた。街灯の下に躍り出て、仄明るい光を鉄が反射する。


「――!」


 思わず私も目を見張る。

 信じられない。ずいぶんな速度で移動していたというのに、なぜ目のまえに? この男の思考を読んで待ち伏せしていたのか? いや、それにしたってあり得ない。常識的に考えてもおそらく不可能だ。

 だが、そんな疑問に答える者はどこにもいない。もちろん本人にもその意思はない様子。


「……」


 ギンはただ無言でそこに立ち、私と男を見つめていた。

 無機質な兜の向こうはいつもより真っ暗で、どこか冷たい。纏う空気は見せたこともないほど鋭く研ぎ澄まされている。直立不動、灰色の石畳みに伸びた影は動かない。この距離を移動すればすこしは乱れるはずの呼吸をももらさない。どこまでも人間味がない。

 私の知るギンはそこになく、いるのは息を呑むほどの殺意の塊だった。

 口を塞ぐこの男とはまた別種の恐怖を放つが、それに反し剣は抜かれてもいない。しかし近づけば確実に斬られる、そんな感覚が彼の全身から感じられる。


 ……待て。今か?

 今なら、この男の注意はギンに向けられている。私がこの腕から逃れられさえすれば、きっと隙ができる。人質状態さえ、脱すれば!


 思い立った私は、口を覆う手を掴み、静かにギンを見据える。


 やれ。

 やれ、私っ。


 失敗すればどうなるかわからない。

 次の瞬間には、命がないかもしれない。

 それでも、私は動悸が示す恐怖を振り払い、


 覚悟を決めて、歯を立てた。



「いっ!?」


 男の顔が痛みに歪む。

 腕が解放される。


「ぷはっ」

「テメ――」


 肺に空気をとりこみ、横に飛ぶ。身体の動きを想像しながら、着いた足にチカラを込めた。

 が、それは理想の動きでしかない。


「なにしてくれやがんだテメェッ!」


 背中に鋭い痛みが走った。

 マント越しに胴体へ蹴りが入り、勢いよく突き飛ばされる。


「ぁぐっ」


 通路に敷き詰められた石畳みに身体を打ち付けながら、ごろごろと転がる。森で引きずり回されたときとは比べものにならない痛みだった。

 蹴られた胴体はきしむような激痛がはしり、硬い地面にこすった肩も。悲鳴を我慢はしたが、今すぐにでも泣きたかった。それすらも押し殺し、す、と短く息を吸う。


 これで隙が生まれたはずっ!

 私は今出せる最大限の声で名を呼んだ。


「ギンッ!」


 痛みに耐えながら私が振り返った先。身体を引きずる私と、短剣を両手に握るキツネ男のあいだ。


 そこに――



「ッ!?」



 叫びに応えるように、流星と見紛うばかりの閃光が走った。

 見開いた目に写る光景に、息を止める。鳥肌が立つのを意識する。


 鉄のすね当てで石畳みを削り、火花を散らしながら割り込む背中。

 ギャリギャリギャリッ!! 響く音が滑る。

 視界にオレンジの粒が弾け、跳ね、抜けていく。熱い欠片が私を魅了する。


 一瞬で肉薄する銀色の身体。

 薄暗い街灯の光に包まれ、ゆっくりにも感じられる一瞬。彼の背中のさやに添えられた指が、するりとつかの方へズレる。

 マントのはためきを振り払い、左腕を石畳みに突き立て。私の理解を超えた速度を殺し、ニタリ笑いのキツネ男と真正面から向き合う。


 スラ、と刃を見せる音は最初のみだった。

 錆びを纏う剣は理解するよりも早く振り抜かれた。光を写す刀身は想像よりも静かに空気をはらった。


 カァアアンッ! と甲高い打撃音がきこえたときには、ギンの腕は振り抜かれ、キツネ男の手元は火花を放っていた。いつの間にか握られていた二対の短剣が、大きく弾かれた。

 続けざま、すぐそこで光が散る。


「――っ、」


 衝撃。

 打ち払い、受け流し、空を斬り、ぶつかり合う幾音。

 何度もチカチカと輝く剣戟けんげきはすさまじく、上空で咲く花火よりもすばやく弾け、短命にも消えていく。

 焦げた匂いを意識するよりも先に、次の剣閃が生まれ。振り上げられた短剣よりも先に、銀色の弧が描かれ。切っ先が首にとどくよりも先に、手甲が受け止める。

 幾重にも重なり合い、耳鳴りかと疑う一瞬が、嵐のごとく過ぎ去った。

 あたりに残響が残り、そして風にかき消える。 


「――っとォ、おまえ、」


 距離をとって不愉快そうに声を低くするキツネ男。

 両手の短剣を下げ、ギンに問う。


「ナニモンだ? 錆びたガラクタでこれだけ斬り合えるのはそうはいねェ。その剣も驚きだが、なによりもお前が道を外れてやがる」

「そういう貴様は、攻め手が薄いようだな。臆病か」

「そういうテメェは、そこの女の前でよく振り回す。みすみす殺しちまうぞ」


 私はへたり込んだまま唖然としていた。

 あんなにも激しい剣戟の嵐が一瞬のうちに止み、自分の耳を疑うほどの静寂があたりに立ちこめていたのだ。

 私の知らない世界。

 それが、常に見えているわけではないのだと、初めて知った。


「はっ、血気盛んだねェ。まだやり合おうってか。憲兵も飛んでくんぞ。おとなしく渡しな、そこの銀髪ひとりでこと足りるんだ。そうだなァ、金貨五枚でどうだ?」

「黙れ」


 ギンが腕を振り上げた。

 かと思うと、次の瞬間には手元の剣は消え、銀色の一閃がまっすぐに飛ぶ。空気が振動する。

 しかし。


「おっとォ。危ない危なァい!」


 男は首をひねり、いとも容易く避けてみせた。

 ギンもギンだが、相手の人間にしては異常な反応速度にも驚愕する。


「……なるほど、その仮面。七年前の遺物か」

「ご名答。いくらやりあおうと、ただの剣じゃあ届かない。わかったろ? わかったら譲れって。それで全部チャラにしてやっから。そのまま向かってくるンのもかまわねェ。もっとも、愛しの剣はすっ飛んじまったがな」


 七年前の遺物。

 それが何なのか、ギンが話してくれたことがある。魔王と勇者がぶつかった七年前は、世界にまだ魔法という奇跡が蔓延はびこっていた。当時は道具に魔法をとじこめて、詠唱を省略したことも多かったという。遺物というからには、あのキツネの仮面もそうなのだろう。

 要は、イカサマだ。ギンの剣を避けたのも、あの反応速度も、きっと仮面のせい。

 そんなのってアリか。ふざけるな。


「ほォらどうした? 素手でかかってくるか?」


 挑発に対して、ギンは動かない。ただそこに立って、無言で兜を男に向けていた。


「ギ、ギン――」

「……」



「――剣じゃなきゃいいんでしょ?」




 にらみ合う私たちのあいだに、別の声が響いた。

 私が視線を上げ、兜がぴくりとし、男が背後の暗闇を振り返った。


 微かな街灯の光を受けて、錆びた剣が揺らめいた。

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