輝かしい街 5
ある程度の荷物を部屋におき、街に繰り出す。
それなりの時間がすぎていたらしい。街は夜の顔に変わりつつあった。
空に合わせるように藍色の空気がすべてを包む。石畳みの街路も、建物の壁も、そして依然として多い通行人の顔も。異なるのは、薄暗い世界にぽつぽつと灯る明かり。アレット村では
心なしか、賑やかさは増したような気もする。昼間から飲んでいた酒場の男たちには女も混ざり、話し声が大きく漏れている。店先にだって明かりは灯り、よりキレイな場所へと変わっていた。
昼と夜で大きく様相が変化する。それはどこでも同じだが、この街は違った輝きだ。
「すっかり暗くなってしまったな」
「そうですね」
ギンと私はゆったりとした足の運びで、街路の端を歩いていた。
宿を確保できたというだけで、安心感がちがう。今度は心置きなく目移りすることができる。
「どこか行きたいところはあるか? こんな遅くなってしまって申し訳ないが」
「行きたいところ……そうですね、まずは中心部のほうを見てみたいです」
そう言いつつ、建物の隙間から覗く城を指さす。
ギンは私の人差し指を追いかけると、文句をこぼすことなく頷いた。
「いいだろう」
とは言ったものの。この街は
さすが、名声高い『人と物が集まる交流地点』。売りに出されているものは千差万別、世界観どころか時代までちがうんじゃないの? と感じるところまであった。
私は大通りをいまだに埋め尽くしていた馬車の列を尻目に、ふと目についた店先でかがむ。
「これは、」
ランタンがいくつも吊された、見栄えがいいお店。並んでいるのは様々な色の花で、甘い香りが混ざり合って立ちこめている。
目をとめたのは、その隅っこに見覚えのある花があったからだ。
セルマリー。
黄色を揺らす、肌の薬ともなる花。
「おひとつ、いかがですかにゃ?」
……にゃ?
顔をあげると、細目の女の人が見下ろしていた。茶色い髪に、あの小動物しか持っていないはずの三角形がふたつ。視線を落とせば、エプロンに似た服装。飛び出た尻尾が動いているのを目にして、口をぱくぱくさせてしまう。
ネコがしゃべっている。
「え、あ、えっと」
あたふたしていると、途端、ネコがぴくりと耳を揺らした。同じようにしゃがみ込んで、私の顔を観察しはじめる。じー、と、細い目が。
「わぁお……よく見たらお姉さん、すごいキレイね。なにその髪色、見たことにゃい」
「は、はは、ありがとうございまス」
ど、どうしよう。変な興味を持たれてしまった。
この銀色の髪、私の国にしかいなかったからなぁ。エルフはもう少し金色に近いし、やっぱり珍しいのだろうか。
そう独りでに考えていると、また別の客がやってきたようだ。
「店主」
「おっと。はいはーい! にゃんですかにゃー? お求めは? 部屋に飾る一輪の花? それともオクスリに使う医術の花? はたまた、想い人に送る花束ですかにゃ?」
興味がそれてホッと胸を撫で下ろす。
私は手に取ったセルマリーを戻すと、立ち上がってマントのうしろを
さて、ギンは――
「スターチス・フラワーというものはあるか」
……。
まって、今の。
飛び込んできた単語に目を見開き、声のしたほうを振り返る。そこには、ネコ耳の店主に訪ねるギンの姿が。
私はあの日の夜を思い出して、眉根を寄せる。
「えっ、にゃに……すたーす、にゃんだって?」
「スターチス・フラワーだ」
「すたーちす――ですかにゃ?」
「そうだ」
ネコ耳の女の人は、難しげに記憶を探っているようだった。ギンの要求に、耳を垂らして。
しかしすぐには思いつかなかったようだ。「ちょっと待ってにゃ」と残すと、店の奥にひっこんでしまう。
そのタイミングを狙って、私はギンの横に立った。
「……」
ギンは、なにも言わない。
うしろを過ぎていく人々の声と足音、遠くから流れ続ける音楽家たちの演奏。記念祭に盛り上がる喧噪のなか、私とギン二人のあいだだけに、静寂が訪れる。
でも、どうしたって耐えきることはできなかった。なので思い切って踏み込む。
「スターチス・フラワーって、何なんですか?」
「……」
「答えたくないなら、いいですけど……」
横に目を向けると、兜が私の顔を一瞥。それからすぐに俯いてしまう。
これが、私にはわからない。ギンの素顔は見えないのだから当たり前だが、こういうときの感情はまるっきり読めない。雲に隠れる月のようで、今みたいにモヤモヤを残すのだ。
「えー、ううーん。ごめんにゃ、アタシの店には置いてないかにゃぁ」
店主のネコ耳が目録片手に戻ってくる。
対してこちらはとんでもなく分かりやすい。垂れた耳に、シュンとした尻尾。細い目元も悲しみにあふれている。
「次来たときには探しとくにゃ」
「そうか。ではまた来るとしよう」
頭をさげ、颯爽と店を離れてしまうギン。
私もそれにならい頭をさげ、いそいで追いかける。店を出て街路の左右に目を向けた。すると、すぐそこにギンの背中を見つける。
すこし先で歩幅をゆるめる彼に並ぶと、どう声をかけたものか、と思案。
それを察してか、今度はギンの方から口をひらいた。
「スターチス・フラワーというのは……ただの花だ」
「ただの?」
「そうだ。特殊な環境でしか育たない、貴重な花だ。かつては
ギンは、それを追い求めているのだろうか。さっきのやり取りもとても真剣だったし。耳に残る声音を
花というのは、不思議な魅力を持っている。
ある者は、花を想い人に送った。
ある者は、花を使って薬を生み出した。
ある者は、花に願いを込めた。
ある者は、花に金銭としての価値を見出した。
ある者は、花が世界を変えるとまで信じた。
あの色鮮やかな顔ぶれは、一つひとつに複数の呼び名がつくほど人々に求められている。それは、願いからだろうか。想いからだろうか。なんにせよ、人はなんてことないそこらの野花にだって意味を見出す。
きっと、絵画や本と同じなのだ。花は。
時を経るごとに灰色づく記憶のなか、思い出たる花だけは、変わらない色彩を見せてくれる。失われた景色、手の届かない誰かを思い浮かべるのであれば、花もまたそれを手助けしてくれる。
ギンは、そのスターチス・フラワーになにを求めているのだろう。
貴重な、だけど何でもないただの花。それを手に入れて、どうしようというのだろう。過去に思い馳せるのだろうか。
そうだというなら、ギンはいったいどんな過去を持って、ここに居るのか。私と旅をして、なにを感じているのか。
知りたい。
知りたいけれど、とても怖い。訊いてしまえば、この楽しいひとときが泡のごとく消えてしまいそうで。
「いつか、見れるといいですね。その花」
結局は、そんな情けなく逃げた言葉だけが、ギンに向けられた。
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