銀色の味 2
懐かしい感じがした。
硬い枕はひんやりとしていて、眠るにはあまり適さないけれど、眠りに落ちてしまえば、そんなのは些細なこと。
もうすこし。
もうすこし。
もうすこしだけ、こうしていたい。この浮遊感の中で、
だから、起こすのだけはやめてほしい。この眠りから覚めたくはない。
「んっ、ぅ」
逃げるように顔を
お母様はいつもそうやって、私の髪をくしゃくしゃにする。
起きたら、きっと許さない。
またお花の魔法を見せてくれなきゃ、私は不機嫌になるだろう。
でもまあ。
これはすごく好きだから、今だけは、続けて。
そう。
そう。
ずっと一緒よ。
これからも、私が死ぬまでここにいて。私の横に。私のとなりに。手を放しちゃダメ。
私から、離れないでいて。
私とともに、歩いて。
私を、置いていかないで……。
「――、」
目を覚ました私は、信じられない光景に
私は抱きつくかたちでギンを押し倒し、対する彼の手は、私の頭におかれている。至近距離で兜と見つめ合っており、現状を理解しようとして混乱する。眠気がさっぱり消えてもなお、私の頭は働かない。密着したまま思考がまっしろになっていた。
依然として馬車はゴロゴロ揺れ、景色は過ぎていく。
頬に張り付いた自身の髪が、さらりと流れた。
鎧の上に着き、それがそよ風にすべる。
今までにないくらい、動悸がうるさい。
目の前の彼から、視線をそらせない。
顔が熱くて、どうにかなってしまいそうだ。
呼吸もなぜか控えてしまう。
どうしよう。
どういうこと?
なんで?
なにがあった?
と、とりあえず、そうだ。こういうときは大抵、本でも、
「い、いっ、」
「ま、待てスイ。これは不可抗力というやつで――」
「いやぁぁぁああああああああっ!!!!」
込み上げた恥ずかしさと蓄積された驚愕のチカラは、私が思っていたよりも高められていたらしい。
突き飛ばしたギンの身体は、荷物が落ちないように備え付けられた柵に打ち付けられると、高く舞い上がり――、
「あっ」
馬車から落ちていった。
◇◇◇
「わはははははは!」
手綱を握る背のちっちゃいおじさんが、声をあげて笑った。
あたふたしつつ馬車を止めてもらって、砂まみれになったギンを迎えにいったのがさっきのこと。今は、また走り出した荷台でギンが肩を落としているところだ。
「ご、ごめんなさい、ギンは悪くないのに」
「いや、こっちが悪かった。すまん」
鎧を砂まみれにして、足元を流れていく地面を見つめるギン。なんだか寂しげな雰囲気だった。それだけに心が痛い。
単純に『突き落としちゃった』では済まない、別種の申し訳なさだ。自分から寄りかかっておいて、これでもかと拒否の姿勢をみせてしまった。男性に対する経験は皆無といっていいので、つい……。
「すまん……ほんとにすまん……」
うっ。
どうしよう。思ったより傷を負っているみたいだ。そんな反応見せられるとこっちもグサッとくるものがあるのだけど。
すこし考えればわかっただろうに、すこし前の私。できるだけ紳士的な態度で接してきたであろうギンが、寝込みを襲うなどあり得ない。襲うつもりならとっくに襲われていたはずだ。二人きりの夜などいくらでもあった。ましてや今は他人の馬車の上。私のばか……。
いたたまれない空気に顔から火が出そうである。でも、このままではいけない、気がする。
「そっ、その。ギン……?」
「なんですか」
敬語ーっ!
ウソでしょ、あれだけ「ああ」「そうだ」「無論だ」って無愛想な話し方だったのに!
「あのですね? ギン、私は単に驚いただけで、えっと。ほら、私十年間も城にいたでしょ? だからまだ人と接することに慣れていないんですよ。ねっ?」
「ああ、まぁ。そう、ですね」
「子供や女性はともかく、異性となると……まだ怖くて。あっ、でもギンは別で、むしろすっ――ゴッホン!」
待て待て待て、待って私。今なにを言おうとした?
あろうことかすっ、好意を伝えようとしたのか? それは待って。まだ心の準備が。
「な、何が言いたいかというと! その――イヤじゃ、なかったから」
「え」
『いやぁあっ』って叫んじゃってたけど。それは決まり文句と言いますか。なんといいますか。とにかく、そこまでイヤじゃなかったのは本音だ。
「イヤでは、なかった」
絞り出すように、話す。私は手袋をした手のひらを見て、握りしめた。必死に次の言葉を探し、乾いた唇を濡らす。
……うん。
認めよう。
明かすか否かは別として、私はギンのことを好ましく思っている。
騙して呼び寄せた卑怯な私と、契約を結んでくれた。
城のまえで足がすくむ私を、優しく引っ張り出してくれた。
獣から、肉食植物から、何度も命を助けてくれた。
呪いを発現して、気を失った私を宿に運んだ。
人の優しさを教えてくれた。世界の素晴らしさを伝えてくれた。
ここにいるのは、故郷を滅ぼした罪人だ。
そんな私が夢を叶えるのを、彼はいちばん近くで見守り、許し、ときには引っ張ってくれる。
彼がいなかったら、こんなに楽しい旅はなかった。ここまで胸の奥が温かくなる日々にはならなかったし、自分がちょっと好きになれたのも彼のおかげ。
私のこの色鮮やかな世界に、必要なのだ。欠けてはならないのだ。
だから。
「ギン――」
座ったままの騎士。
私は揺れた荷台の上で、彼のそばに寄る。
そして、顔を隠した兜に手を添え、
感じる時間がゆっくりになる。
一瞬が胸の奥を焦がす。とくん、と脈打つ。
目を閉じて、彼に口をつける。
ああ。
鉄の味は、やっぱり冷たい。
「……スイ、」
「はい、おしまい。これで今回の件はナシ。ですよね?」
「今、」
「ですよね?」
「なにをし――」
「あああああもう! だからなにもしてませんーっ! 聞こえない聞こえないっ」
しばらく顔を見れなかったが、それはまあ置いといて。というか触れないで。
とにもかくにも、ギンとの距離はこれで元通り。
いや。
より近づけたと言っていいだろう。
少なくとも私は、そう信じている。
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